ブルーレイ特典SS
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1. 良い仕事はプライベートの充実から
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──ドンドンドン!
「レオ、起きているかー? 我だ。エキドナだ! 少し相談があるのだが!」
「……」
心地よい眠りの世界から俺を現実に引き戻したのは、力の籠もったノック。そして直属上司の──魔王エキドナの元気な声だった。
時刻は、朝の7時半。早すぎず遅すぎず、目を覚ますにはちょうど良い時間と言っていいだろう。……今日が休日でなければ。
魔王城にも休日はある。人間をはじめ、多くの種族は24時間不眠不休で働き続けても大丈夫なようには出来ていないからだ。
十分な休息を取らずに長時間働き続ければ、まず肉体が疲弊する。そのままの状態で更に働き続ければ、今度は精神も疲弊する。疲弊するだけならまだ良いが、無理を続ければ肉体も精神も再起不能になりかねない。そうなれば現場の士気はガタ落ちになり、ヘタをすれば職場そのものが崩壊する。
ゆえにどんな組織も──この魔王城も例外ではなく──週あたりの労働時間の上限や、一年あたりの休日数をしっかり規則で定め、守っている。休日というのは本当に重要なものなのだ。
──何が言いたいかというと、今日は俺の心と身体を休める、極めて重要な日であるということだ。もちろんそんな日にわざわざ面倒事を背負い込む気は、全く、かけらも、1ミリもない。
「寝たフリなどしてもムダだ! 気配で分かるぞ、起きているだろう!」
魔王軍に正式入団して3ヶ月──いい加減分かってきた。休日にエキドナが訪ねてきた時は、たいていろくでもない仕事が発生する。
冗談じゃない、今日は昼過ぎまでベッドでゴロゴロしながら本を読み、午後は中央庭園で日向ぼっこしながら茶をしばくと決めている。無視だ、無視。
「たのむレオ~! 時間は取らせん、本当だ! 一瞬だけ耳を貸してくれればいいから! なっ!」
嘘つけ! このあいだもそう言って二時間近く俺を拘束しただろうが!
エキドナをはじめとする上級魔族は、人間と比べてかなり寿命が長い。『エルフの"このあいだ"は十年前』という格言からも分かる通り、長命種の時間感覚はかなりおおらかで……ルーズだ。
仕事モードのエキドナはそのあたりを結構自制してくれているのだが、このテンションは明らかに仕事モードではなく、休日に遊びにきた女友達のノリだ。絶対に自制が効いていない。
となれば、『一瞬耳を貸してくれ』という言葉を信じてドアを開けたが最後、俺の休日が終わりを迎えることは間違いないだろう。絶対に開けるものか。
「ううむ困った。こうなれば強硬手段に……ぬっ!」
扉の向こうで魔力が集中し、そして霧散する気配があった。
ははははは馬鹿め! 俺の部屋の鍵は特別性よ!
ドアの鍵はどんな怪盗でもピッキングが困難な特殊シリンダーに変更してあるし(作ったのは俺だ)、更にその上から無数の施錠呪文をかけてある。鍵を挿しても回らないようにする《施錠(ロック)》、許可なく鍵を差し込めば鍵が即座に破壊される《破砕鍵(クラッシャープレート)》、俺の『どうぞ』という声なしで扉を開ければ8時間ほど強制昏睡状態に陥る《奪命扉(シーフキラー)》などなどだ。さすがの魔王エキドナであっても、これら全てを解呪(ディスペル)して内部に入ることは困難だろう。
「……はあ。やむを得んか」
扉の向こうでエキドナのため息が聞こえた。ようやく諦めたのか、二歩、三歩と気配が遠ざかっていく。
そうそう、それでいいんだよ。今日は休日なんだからお前も休みな。どんな要件だか知らないが、明日出勤したらちゃんと話を聞いてやるから──。
「……《破砕爆槌(フレアバスター)》ァァァ!」
「うおおああ!?」
どがしゃああん!
凄まじい爆音と爆炎が荒れ狂い、俺の部屋のドアが炎上しながら吹っ飛んだ。吹っ飛んだドアは勢いよく天井に床にぶつかって跳ね回り、三回ほどバウンドしたところでようやく動きを止める。呆然する俺をよそに、呪文を放った張本人が満足気に室内に入ってきた。
《破砕爆槌》は城壁や建造物を破壊するための呪文だ。射程がやや短いという制限こそあるが、エンチャントされた各種防御呪文を軒並み無効化しながら対象物を粉砕できるため、俺の部屋へ強制侵入するにあたってはほぼベストに近いチョイスといえるだろう。ふざけやがって。
「ほれ見ろ、やっぱり起きているではないか。こんな可愛い上司に声をかけられているのに寝たふりをするなど、魔界であれば極刑ものだぞ」
「極刑はお前だ! 人んちのドアをブッ壊して不法侵入する上司がどこの世界にいるってんだよ!」
「少なくともここに一人いるが?」
「いるが? じゃねえよ」
エキドナは特に帰る様子もなく、無事だった椅子に腰掛けてふんぞり返っている。仕方がないので俺もベッドから起き出し、彼女の話を聞くことにした。
「で? 休日の朝っぱらから何の話だ。四天王どもじゃなくてわざわざ俺を頼ってきた理由ってのはちゃんとあるんだろうな?」
「もちろんだ。というのも、話というのはその四天王のことでな……最近どうもシュティーナの様子がおかしいのが気になっておるのだ」
「……様子がおかしい? 具体的には?」
「妙に寝不足気味であったり、購買で栄養ドリンクを大量に買い込んでいたり、夜遅くまで自室の明かりがついていたりといった具合だ。昨日も打ち合わせ中にウトウトと居眠りをしていてな」
「居眠りぃ? 真面目の化身みたいなあいつが? そりゃ相当だな」
「うむ……」
「でもあいつ、今そんなに忙しかったっけか? 大きなプロジェクトを抱えてたり、連日徹夜しないといけないほど締切がシビアだったり?」
「いや、むしろシュティーナ担当の案件は軒並み小康状態にある。だからそれほど忙しいはずはないのだ」
「ふむ」
「以前のシュティーナであれば、"一人で仕事を抱え込んでいるのだろう"と思うところだが……」
「それはないな。ちゃんと俺が指導したし」
寝不足、夜ふかし、栄養ドリンクによるドーピング。
以前のシュティーナなら分かる話だ。あいつは『部下に任せる』という事を知らず、仕事をぜんぶ一人で抱え込むから、比喩抜きに過労死寸前だった。
もちろんあいつも考えなしに業務を抱え込んでいたわけではない。当時の魔王城には、シュティーナにしか出来ない業務が多すぎたのだ。その人でないとできない業務、その人にしかやり方がわからない業務──いわゆる『属人化』というやつである。
ただ、俺が介入して業務内容を改善したことでそれらは一気に解消された。各種業務をマニュアル化することでシュティーナへの属人化を防ぎ、タスクを各所に分散させ、シュティーナは部下の業務報告をチェックして時々口を出せば良いよう、システムを作り変えてやった。はずだ。
「デカい仕事を抱えているわけではない。属人化も解消された。となると残りは……プライベートか?」
「そうだ。友人であろうと部下であろうと、本来プライベートに口を出すことは許されぬのだが……」
エキドナが口ごもった。言いたいことは、まあわかる。
魔王軍が人間界にやってきてからずっと、シュティーナはエキドナのことを支え続けてきた。魔王軍が(俺によって)壊滅させられ苦境に追い込まれても、四天王として、あるいは友人として、エキドナの傍を離れようとしなかった。
理由こそわからないが、そんなシュティーナが大変そうなのだ。こっそりと助けてやりたいという気持ちは、わかる。
「本人には聞いたんだよな?」
「即座に聞いた。なにか困ってる事はないか、と。しかし、"たいした事はありません"の一点張りでな……笑ってはいたが、あれは明らかに無理している顔であった。我には話せぬ事情があるのかもしれん」
「そこで俺ってわけか。せっかくの休日に、わざわざ探偵の真似事をしろと」
「すまんレオ。これはもちろん休日出勤扱いにしていいし、代休も取ってよい。……だからどうか、我が親友を助けてやってくれんか!」
「……はぁ。わかった、わかったよ」
頭を下げようとするエキドナを押し留めつつ、俺は頷いた。
まあ確かに、これは俺としても無関係ではいられない。俺は俺がやった業務改善に絶対の自信を持っているし、それによってシュティーナの仕事が楽になったと確信している。万が一俺の業務改善が不完全で、それによってシュティーナが困っているというのなら、勇者の名折れだ。──"元"だけど。
それにシュティーナは魔王軍幹部の一人である。原因がなんであろうと、万が一彼女が倒れてしまえば多くの業務に影響が出るだろう。そうなれば結局、忙しくなるのは俺たちだ。予防線を張っておくに越したことはない。
そして、何よりも。
「ふっ。ふふふ」
「なんだレオ? 急に笑いだして」
「いやなに。あの魔王エキドナが一番に俺を頼ってくるとは、魔王城勤めも悪くないなあと思ってさ」
「……はっ!?」
シュティーナのプライベートを探るなら隠密能力に長けたメルネスでも良いはずだ。というかあいつはそれが本業なんだから、メルネスのほうがずっと向いている。
にもかかわらず一番に俺のところに来たということは……エキドナが無意識に俺を信頼してくれているということになるのだろう。
「ちっ違う、違うぞ! 我はただ、いちばん暇そうな奴のところに来ただけで……おい違うからな! 勘違いするなよ!」
「はいはい。んじゃ、行ってくるわ」
しどろもどろになって弁明するエキドナをよそに、俺は部屋を出ていった。
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「──さて」
こういうとき、普通ならば地道に聞き込みをして回ったり、本人を尾行したりして証拠集めに勤しむのがセオリーなのだが──エキドナと別れた俺は迷うことなく、まっすぐにシュティーナの私室へと向かっていた。
というか実際のところを言うと、なぜ最近のシュティーナが忙しいのかはだいたい予想がついていたりするのだ。予感はしていたが、さっきのエキドナの説明でそれが確信に変わった。
エキドナ同様、俺も同僚のプライベートには干渉しないつもりだったのだが、さすがに会議中に居眠りまでしてしまうようならちょこっと釘を刺したほうがいいだろう。エキドナになんと報告するかは別途考える必要があるが。
コン、コン。
部屋のドアをノックすると、すぐに反応があった。
「──はい? どなたです?」
「俺だ、レオだ。ちょっと話がある。入っていいか?」
「ダメです。今日はすっごく忙しいんです。後にしてください」
「エキドナが俺のところに来たぞ」
「えっ?」
「お前のことを心配してた。仕事は落ち着いたはずなのに最近妙に疲れてそうだとか眠そうだとか。俺に頭をさげて、お前のことを助けてやってくれとまで言ってきた」
「うっ……」
「上司様を安心させるためにも、お前が抱えてる"それ"、さっさと終わらせたほうがいいんじゃないか。俺も手伝ってやるからさ」
「ううっ……」
「てなわけで入るぞ。ペンネーム:リトルメイジ先生」
室内に一歩足を踏み入れる。
中は想像した通りの有様だった。
「……あーあー、酷い有様だな。散らかりっぱなしじゃねえか」
「仕方ないでしょう。コミパラの入稿締め切り、明日なんですから」
コミパラ──正式名称『コミック☆パラダイス』は、年に二回極東エリアで開かれる書物の祭典のことだ。『コミック』の名の通り漫画本がメインではあるが、最近では小説に魔導書、研究論文までもが販売される、まさに書の祭典となっている。
コミパラ最大の特徴は、誰でも売り手になれるというところだ。もちろん審査はあるが──審査にさえ通ればドワーフの鍛冶屋が冒険活劇小説を持ち込んでもいいし、魔王軍四天王が恋愛漫画を持ち込んでもいいということになる。
果たして今シュティーナが描いているのは、まさにその恋愛漫画であった。一心不乱に机に向かってペンを走らせるシュティーナを横目に、俺は散らかった部屋を片付け始める。
しばらく掃除されていないのか、室内はだいぶ悲惨な状況だ。真面目が取り柄のこいつが服やら下着やらをその辺に脱ぎ散らかしたままなのだから、相当とだろう。こっちには食べかけのスープヌードルが放置されてるし……。
「お前ね。趣味を充実させるのは社会人としていいことだけど、そのせいで仕事に影響が出たら本末転倒だよ? 分かってんの?」
「わかってますよう! でも魔界に居た頃からずーっと、ずーっと憧れてたコミパラなんです。それに出展できるんですよ!? すべてを犠牲にしてでも私はやるしかないんです!」
「せめてディアネットあたりに事情を話して手伝ってもらうとか……」
「無理ですよ、この作品には私の性癖を全部込めてるんですから! もしバレたら明日からどんな顔をして会えばいいか!」
「それで必死になって一人で缶詰してるってわけか」
「……というか、本当はあなたにも話すつもりなかったんですからね。職場の同僚にバレたくない、って意味ではあなたも同じですし」
「仕方ないだろ。俺、二百年くらい前からコミパラのスタッフなんだもん」
「素直に羨ましいです。魔界にはコミパラはおろか、私の大好きな恋愛マンガすらろくにありませんでしたから……」
恋愛マンガ趣味。
人間界に来てからこうなったわけではなく、シュティーナはもともとそういうマンガが好きだったらしい。人間界の文化は魔界にもしばしば輸入されることがあるし、魔界にもそれなりの規模のコミック市場があるそうだ。
しかし、そこはやはり魔界。暴力と魔力が支配する混沌の地だ。人間界と比べるとマンガの種類は少ないし、ジャンルもバトルものに偏っている。恋愛マンガが好きなシュティーナとしてはさぞ肩身が狭かっただろう。
人間界に来てからしばらくは、俺との戦いや軍団の立て直しで忙しくてマンガにかまけている暇はなかったのだが……俺が仕事の属人化を解消したことでプライベートの時間が増え、コミパラへの(作家としての)参加を決意した──というのが、今回のいきさつだ。
当たり前のことだが、マンガが好きでも描くのが得意とは限らない。
仕事をしながら不慣れなマンガを描く。あっという間に締切は迫り、睡眠時間を削ってもまったく足りない……これが最近のシュティーナが疲労困憊している原因だった。
「まあいい。俺も手伝ってやるから原稿貸せ」
「ええっ! い、いいですよ! やっぱり一人で完成させたいですし……あと見せるの恥ずかしいし……」
「締め切り前日にわがまま言ってる場合か! "未完の名作は完成品の駄作にも劣る"だ。背景とかモブだけ俺が描いてやるから、お前は他の作業に集中しろ」
文句を言うシュティーナから原稿をひったくり、サクサクと作業を開始する。シュティーナ本人はまだなにかいいたげだったが、締切の事を思い出して再び机に向かい始めた。
「……あなた、馬鹿にしないんですね」
背中を向けたままのシュティーナが、ふと漏らした。
「なにがだ?」
「色々と。ド素人がいきなりコミパラに出ようとすることとか、いい年して恋愛マンガが好きなこととか、単純に絵がうまくないこととか……お叱りついでにそのあたりも馬鹿にされると思ってたんですけど」
「なに言ってんだ。馬鹿にする理由がねえだろ」
いい仕事をするための秘訣は色々ある。色々あるが、その中でも筆頭は『プライベートを充実させること』だろう。
ヒトは仕事だけで生きているわけではない。呼吸が『息を吸って、吐く』の二つから構成されているのと同じように、プライベートを充実させず仕事だけをやっていればいつか息切れし、倒れてしまう。
じゃあ仕事=趣味のような職人なら仕事一辺倒でもいいのかというと、そんなことはない。むしろそういう仕事一本で生きていると知識が偏ったり刺激が不足して良いアイデアが生まれなくなってしまうから、そういうタイプこそ積極的にプライベートを充実させ、インプットとアウトプットのバランスを取らなければならないだろう。
そういう意味で、シュティーナのやっていることは実に理想的だった。
仕事以外でやりたい事があるのはプライベートの充実という面で非常に良いことだし、未経験の分野に勇気を出して飛び込めば多くの刺激を得られる。そこで得た全く新しい知識が仕事に好影響を及ぼすこともあるだろう。
……まあ今回の場合は、趣味に傾倒しすぎたあまり仕事に悪影響を及ぼしているのだが……それを考慮しても、新しいことに積極的にチャレンジしようとしているこいつを馬鹿にする理由はどこにもない。
シュティーナにそう説明してやると、小さくはにかむような笑いを見せた。ようやく信用してもらえたらしい。
「で、わかってんだろうな? 締切は明日で、明後日は普通に仕事だ。今日は徹夜で頑張るしかねえぞ」
「大丈夫です! 徹夜は激務時代で慣れていますから!」
「だから何でも徹夜で解決しようとするのやめろよ! 悪い癖だぞ!」
よく考えればこれ、俺の休日もこいつの手伝いで潰れることになるんだが……まあ、いいか。
"困っている友人を助ける"──なんて、俺にピッタリの趣味だもんな。
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2. 残業してでも働きたい!
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「──おはようレオ! 少し相談が」
「帰れ」
とある休日の朝。
ノックもそこそこに俺の部屋に乱入してきたエキドナをしっしと手で払いながら、俺は再びベッドに潜り込んだ。
「……失礼な! 我は魔王エキドナだぞ貴様の上司だぞ! 上司に向かってなんだその態度は!」
「失礼なのはお前だボケ! 前回といい今回といい、休日の朝っぱらから人の部屋にズケズケ入り込んできやがって!」
「だって急ぎの用件だったから……」
だってじゃねーよ。子供か。
というかこういう事態を想定して、部屋の鍵は物理的にも呪文的にもより強固に固めておいたはずなんだが、どうも俺が寝ている間に見事に全部解除されてしまったらしい。さすがは魔王と褒めてやりたいところではあるが、それどう考えても盗賊(シーフ)とか斥候(スカウト)の技能なんだよなあ……。
エキドナは特に帰る様子もなく、適当な椅子に腰掛けてふんぞり返り、俺が起きるのを待っている。仕方がない。
「わかったよ。さっさと話せ、そして帰れ」
「ふふん安心せよ、この話を聞けば眠気も吹っ飛ぶ。……いや本当になんでこうなってるのか分からんのだが……お前の方でなにか聞いてはいないか?」
「あ? 何がだよ?」
「これだ。中を読めばわかる」
エキドナが差し出してきたのは、バインダーに閉じられた分厚い書類束だった。表題は──『倉庫利用状況管理帳』。
俺たちの拠点であるこの魔王城には、大小合わせて約千棟ほどの倉庫が存在する。中に保管されているのは数ヶ月分の食料、毛布や衣服といった日用品、兵士が使う武器防具に魔力をエンチャントされた魔道具に娯楽用品にペットの餌などなど、とにかく多岐に渡る。魔王軍は大所帯だから、ただ一日を送るだけでも膨大な数の物資が必要になるわけだ。
いつ、誰が、倉庫に何を運び込み、何を持ち出したか。そんな利用状況を記録したのが、いまエキドナが渡してきた倉庫管理帳だった。
普段は兵站担当の幹部──四天王のリリが管理している書類だが、月に一度エキドナがチェックして内容に問題がないかを確認することになっている。エキドナの顔は半分くらい引きつっており、既に何かしらの問題が発生していることは明確だった。
「えーどれどれ。……五月三日、ラルゴ諸島から農作物の定期納品あり。輸送小隊でF51倉庫に搬入。五月四日、商業都市ドゥルハプールから治癒呪文をエンチャントしたダイヤモンド百個の納品あり。M19倉庫にて保管……なんだよ、ちゃんとしてるじゃないか。先月リリが提出してきた兵站計画書通りに進んでるし、納品の遅れとかもない」
「そこはまだいいのだ。続きを読め」
「なんだよもう。えーと、五月……んん!?」
エキドナに急かされてページを捲った俺は、目を疑った。本来ならば数ヶ月先に搬入するはずの物資が無数に納品されていたからだ。
五月五日。ドゥルハプールからダイヤモンド百個を一月ぶん前倒しで納品。
五月六日。ラルゴ諸島から食料品を一月ぶん前倒しで納品。
五月七日。ドゥルハプールからダイヤモンド百個を二月ぶん前倒しで納品。
五月八日……いや待て待て待て!
リリの奴、いったい何ヶ月先の仕事までやってるんだよ!
更に報告を読み進めていくと、食料・武具・雑貨・魔術用品すべてが半年ほど前倒しでがっつりと搬入されていることが分かった。
ありえないことだ。食料品には当然賞味期限があるし、呪文をエンチャントされた宝石も時間が経過すると徐々に効力が薄れて普通の宝石に戻っていってしまうから、やはりこちらにも期限がある。
武具や雑貨は数ヶ月でそこまで劣化しないから多少前倒しにしてしまってもいいのだが、そうなると今度は倉庫の空き状況がマズくなってくる。
「倉庫の利用状況、100%中98%!? ほぼパンク寸前じゃねーか!」
「そうなのだ……」
エキドナが頷き、がっくりと肩を落とした。
「我が城の倉庫は、緊急時の避難所や輸出品の一次保管場所としても使っているからな。最低でも10%ほどの空きは確保しておかんと他の業務に影響してしまうのだが…」
「2%しか残ってねえじゃねえか。これじゃあそのうち魔王軍全体の業務がストップしちまうぞ」
「ゆえにお前のところに来たのだ。リリに注意するにしても、我よりお前から言ってやった方が話を聞くだろうからな」
「……リリはどこにいる? 部屋か?」
「いや、今日も仕事をしているらしい……部下と一緒に」
「なんでだよ!? 今日休日だぞ!?」
何故かはわからないが、リリのやる気が凄まじいことになっているらしい。
休日返上で仕事をし、数ヶ月先の仕事まで終わらせてしまい──しかし担当業務が兵站という特殊な分野ゆえ、それがかえって魔王軍の首を締めることになっている。
そもそもの話、ラルゴやドゥルハプールといった取引先も『来月・再来月納品予定だった商品を今よこせ』と言われて大いに困惑しているはずだ。
このまま放置すれば関係の悪化は必至といえる。絶対にまずい。
「……ということで、これからリリのところに行くのだが。来てくれるな?」
「行くよ! クソッ、毎週毎週変な問題を持ち込みやがって!」
「悪いと思っておるのだこれでも! 今度一杯おごってやるから!」
弁明するエキドナと共に、俺は部屋を飛び出していった。
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──倉庫エリア。
駆けつけた先にはエキドナの情報通り、リリとその部下たちの姿があった。
驚いたのはその数だ。自主的な休日出勤というからせいぜい十人もいないだろうと考えていたのだが……なんとリリ配下にある輸送兵団の八割近くが集結していたのだ!
しかし本当に驚いたのは数ではなく、リリと彼女の副官の会話だった。コンテナの陰に隠れて俺とエキドナが様子を伺っていると、上からふよふよと副官のハーピーが降りてくる。
「リリの大将ぉ~」
「搬入終わりましたぁ~」
降りてきたのは双子のハーピーだ。名前はマヴロスとアスプロス。ハーピー語で『黒』と『白』を示すその名の通り、髪の毛と翼端が黒と白に染まっており、遠目からでもよく目立つ。
優れた視力と飛行能力によって高所から状況を俯瞰できるハーピーは軍師や副官に最適だが、輸送兵団においてもその技能は遺憾なく発揮されているようだった。リリが両手を広げて彼女たちを迎え入れ、ねぎらいの言葉をかける。
「マーちゃんアーちゃんおつかれさま! 朝からごめんね!」
「いいですよお。リリちゃんにはいつもお世話になってますし~、みんなとお仕事するのは楽しいですしね~」
間延びした口調でアスプロスがそう返す。
……いや待て。いま"楽しい"って言った? 仕事が?
まさか、こいつらがヤバい勢いで仕事を前倒ししているのって……。
「ねー! レオ兄ちゃんがテキザイテキショのチームワークを教えてくれてから、お仕事するのがすっごいたのしくなったよね!」
「ですねえ~。これまで一週間かかってた仕事が数時間が終わっちゃうの、もー楽しくって楽しくって。みーんなまだまだ自前で作業フローを改善していってますから、明日はも~っと早くなりますよぉ」
や、やっぱり……!
こいつら、単純に仕事が楽しいって理由で毎日仕事をやってやがるんだ!
たしかに以前のリリの仕事は、率直に言って酷いものだった。チームワークを全く考えていないから人員配置はバラバラだし、一日のスケジュールというものを考えていないから作業も非効率的すぎた。
見かねた俺が介入し、リリがチームワークの大切さを学んだことで作業効率は劇的に改善されたのだが……。
「……劇的に改善されすぎて仕事が楽しくなっちまったんだな。休日に、趣味としてやっても苦痛ではないくらいに」
コンテナの陰。姿を隠したまま小声で漏らすと、エキドナも難しい顔でうなり返す。
「なるほど。だから休日でもこれだけの数が集まっているのか」
「納品の前倒しだの倉庫の圧迫だのは全部副産物だ。あいつらからすれば『仕事イコール楽しい』『仕事イコール組織のためになる』から、いくら日程を前倒しにしても問題ないって認識なんだろう」
「うーむ……」
実際のところは問題おおありだ。取引先は納品スケジュールが狂って困惑しているだろうし、倉庫は圧迫されているし、食品や魔道具は劣化するし、そもそも届け出なしで休日出勤するのは魔王軍の労働基準にも違反しているし……。
止めるのは簡単だ。リリは俺の言うことをよく聞くし、なによりここには魔王軍の最高指揮官であるエキドナ本人がいる。
ここでエキドナが姿を現し、『今すぐ業務を中止して自室に戻れ!』と号令を出せばそれですべてが解決するだろう。あとはリリに事情を話して教育し、順次事後処理にあたればいい。
……それは分かっているのだが、俺もエキドナもその場からなかなか出ていけなかった。働いているみんなが非っ常~~~に楽しそうだったからだ。
「そういや大将、B中隊の軍用犬の話聞いたか?」
こちらは黒髪・黒翼のマヴロスだ。アスプロスほど柔和な性格ではなく、むしろ普段はメルネス級のとっつきにくさすらあるのだが──今日はどこか雰囲気が丸く、嬉しそうにリリに話しかけている。
「B中隊……ハモさんが担当してる子たちだよね? 元気になった?」
「あァ。どうもあれ、原因は運動不足から来るストレスだったみたいだな」
「ストレス!」
「最近は大きな戦もなくなったし、レオのおかげで無駄に走り回ることも減ってただろ? 結果的にそれが運動不足を招いてたみてェだ」
「そっかそっか! じゃあ、今日みたく休みの日にお仕事したのは大正解だったってことね! お城の中じゃ運動にも限界あるし!」
「ワイバーンちゃん達もねえ、毎日飛べて調子がいいみたいよ~。よく飼いならしてあるけれど、やっぱりああいう子たちは狭いケージよりも大空を飛んでる方が楽しいはずだから~」
「ワイバーンライダーの奴らも休日に仕事ができるって聞いてイキイキしてたな。まァ、飛ぶのが楽しくてライダーになったような連中だから当然か」
リリたちから目を離して他の軍団員を見ると……なるほど確かに、みんなイキイキと仕事をしている。話に出ていたライダーたちはもちろん、他のメンバーも仕事を嫌がるどころか、むしろ休日出勤によってストレスを解消しているようにすら見える。
輸送兵団はもともとアットホームな職場だ。休日に職場のみんなで集まってバーベキューしたり野球をしたり、といった話もよく聞く。
つまりみんなでワイワイやれれば彼らとしてはそれでよく、仕事とプライベートの境目というのはあまり存在しないのだろう。今日の休日出勤は彼らにとっては仕事であり、同時にレクリエーションなのだ。俺とエキドナはコンテナによりかかり、うーんうーんと腕組みをして悩み続けていた。
「どうするエキドナ、これ……」
「弱ったな。長期的なスケジュールを無視して仕事を前倒しされるのは困るのだが、みんな色々な意味で仕事を楽しんでいるようだ。……ここで水を差せば、輸送兵団全体のモチベーションに影響する可能性が高い」
「モチベ関連はマジで厄介なんだよなあ……」
社員や部下のモチベーション向上と、維持。
これは過去に様々なリーダーが直面してきた難問で、未だに正解らしい正解はない。強いていえば『給料を上げる』が一番無難な手と言えるくらいで、それですら絶対の効果を保証するものではない。仕事のモチベーションというのは人によって異なるし、人の心は千差万別だからだ。
今回の輸送兵団のように、部下のモチベが高く自主的に仕事をしてくれる状況というのは、リーダー視点だと大変助かる話だ。本来ならモチベを上げるだけで一苦労だと言うのにその大前提がクリアされているわけだからな。だからこそ、ここで安易に『仕事をやめろ!帰れ!』とはなかなか言えないのだろう。
「う~む……」
「どうするエキドナ。言いにくいなら俺から解散させてこようか?」
「待ってくれ。我は魔界の住人の、そして魔王軍のみんなの笑顔のために魔王をやっておる。今の彼らから仕事を取り上げるのは、笑顔を取り上げるに等しい。それはできん」
「できんって言っても、実際問題このまま放置してたらまずいって。倉庫は明日にもパンクしそうだし、取引先にも迷惑がかかるし。何ヶ月も前倒しで物資を運び込んじまったから、しばらく輸送兵団には休んでもらうしかない」
「レオ、お前の知恵でなんとかならんのか? 輸送業務を休みにするかわりに、城内で余っている別の仕事を振るとか」
「無理だよ。あいつらは輸送以外は素人だし、そんなことをすれば他の部署が混乱しかねない。休暇をやってお外で遊ばせておいた方がまだ健康的だ」
そもそもこいつらが仕事を楽しめているのは、業務改革によって『チームで分担して輸送をすると楽しい』ということに気づいたからだ。いくらアットホームな職場であっても、輸送のノウハウが通じない事務・経理業などに割り当てられたら楽しくはないだろう。
つまりエキドナが言うように輸送以外の仕事を振るのは、なんら解決になっていない。さっき言ったように外で遊ばせておいたほうがまだ──。
──あっ。
そうか! 解決策、あったわ!
俺としたことがこの手を忘れていた。別に魔王軍の中だけで仕事を回す必要はないじゃないか!
「いや待てエキドナ。手はあるぞ!」
「なんだ? まさかとは思うが、本当に外で遊ばせる気ではないだろうな?」
「そのまさかだよ」
不安そうなエキドナに向かって、俺は大きく頷いた。
「──あいつらには当面、外で遊んでもらうことにする」
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──数日後、倉庫エリア。
そこには相変わらずやる気に満ちた輸送兵団と、その指揮官たるリリの姿があった。《転送門(ワープポータル)》を抜けてきたリリが俺とエキドナの姿をみとめ、尻尾をブンブンと振りながら駆け込んでくる。
「──レオにいちゃーん! エキドナちゃーん!」
「おうおかえり。まずエキドナに報告な」
「うむ。……してリリよ、今日の仕事はどうであった?」
「大成功だよ!」
どやっと平坦な胸を張り、耳と尻尾をピンと立てたリリが(真面目な話をするときの癖だ)、得意げに報告をはじめる。
「今日はね、朝から夕方までたくさんの国とかお店とかを回って、いっぱいおとどけものをしたの! こなしたお仕事は全部でえーと、えーと……アーちゃーん! いくつだっけー!?」
「500件ほどですね~」
「全部で500件もやったの! 苦情もなし! すごいでしょ!」
「おお……! 初日でそれだけやれれば、商人ギルドも満足だろう! よくやった!」
「えへへへへ」
エキドナにわしゃわしゃと撫で回され、リリが嬉しそうに尻尾を振る。とりあえず、俺の取った策は正解だったらしい。
やる気のある輸送兵団を生かしたまま、魔王軍内部への損害を回避する方法──それは、魔王軍で新たに『運輸業』を始めることだった。
兵站イコール輸送というわけではないが、それでも兵站という仕事において輸送作業が占めるシェアはかなり大きい。そして世の中、旅客や貨物を遠方に運ぶ運輸業の需要はいくらでもある。
つまり魔王軍は今、世界のあちこちで需要のある輸送能力を持て余している状態になる。それならば、輸送兵団を一般向けのサービス業に割り当ててしまえばいい……というわけだ。
知り合いが会長を務める商人ギルドに『運輸業はじめました』と打診すると即座に返事が来たので、今のところはそのギルドの専属運び屋として働いてもらっているが──順調に事業を拡大していけば世界中から依頼を受けることも夢ではないだろう。陸・海・空と輸送手段が充実しているから配達先がどこであろうと問題ないしな。
「しかしレオ、これ大丈夫なのか?」
「何がだ?」
リリをわしゃわしゃと撫でたまま、エキドナが顔だけをこちらに向けて聞いてくる。
「輸送兵団が新事業に専念できているのは、前倒しの影響で本来の業務がストップしているからだろう?」
「そうだな。数ヶ月後か半年後には通常業務に戻ることになる」
「……そうなったときこの運輸業はどうなるのだ? 本業が忙しくなったのでやっぱり辞めます、じゃあギルドからの信用もガタ落ちになりそうだが」
「そこは問題ない。通常業務と並行して運輸業ができるような条件でギルドと契約を交わしてある」
新しく始めた『魔王運輸』の配達エリアは、今のところラルゴやドゥルハプールといった都市とその近辺に限定してある。
これらの都市はみな魔王軍が物資の買付けに利用しており、新事業がなかったとしても毎日足を運ぶ必要がある場所だ。輸送兵団の人的リソースは業務改革の影響で余り気味だから、通常業務に支障をきたす事はないだろう。半年後に『魔王運輸』が盛況ならば、本格的な新事業として人を増やし配達エリアも拡大していけばいい。
『本業の片手間』と言うと聞こえが悪いが、事業の拡大というのは往々にしてこんなものだ。
余ったリソースで作った商品を本業の片手間に販売していたらそれが大人気になり、いつの間にかそっちが本業になり、大手に成長していく──今回はそれが人的リソースであり、販売する商品が『運輸』というサービスだったというだけのことだな。
……強いていえば、問題はリリだ。
長期的な仕事のスケジュールはちゃんと守ること。
締め切りを破るのはいけないが、早すぎてもそれはそれで問題があること。
予定にない仕事をするときは上司に相談すること。
運輸業に専念しすぎて兵站業務をおろそかにしないこと。
もろもろ教育したのはいいが、大丈夫だろうか……なんか最年少のリリのところにばかり、難しい案件が増えていく気がするのだが……。
「ねえねえエキドナちゃん。これからの魔王軍って、戦争とかはしないでみんなと仲良くしていくんだよね?」
「うむ。《賢者の石》はこれ(レオ)がおるからもう要らんし、我としても戦争は苦渋の選択であったからな。……まあ」
一度言葉を切ったエキドナの顔に、僅かな陰りが生まれる。
「……ついこのあいだまで戦争していた相手だ。世間から魔王軍に向けられる目は、まだまだ冷たい。イメージチェンジには長い年月と労力が必要だろうな」
「それ!」
リリが尻尾と耳をピーンと立て、人差し指を立てる。
「だからあたし、みんなが喜んでくれるお仕事をしたかったの! 魔王軍はもう戦争しないよ~ってみんなが思ってくれるなら、お仕事がいくら増えたって平気のへっちゃらだよ!」
「リリ……」
「だから心配しないで! ヘータンもおとどけの仕事も、どっちもいっぱい頑張るから!」
そう言ってリリが『おしごとメモ!』と書かれた手帳を広げる。中には過去に俺が教えたことがびっしり書かれており、今回新たに教えた内容もしっかりと記入されていた。
……うん、大丈夫だろう。
仕事は確かに増えたが、こいつならきっとうまく適応してくれる。俺やエキドナも補佐するしな。
『がんばれよ』の言葉がわりに、リリの頭を力いっぱい撫で回してやる。リリの顔がよりいっそう明るくなり、しっぽをぶんぶんと振って気合を入れた。
「おーし! 来週も休みなしでがんばるぞー!」
「いやそこはちゃんと休め! 休むのも仕事なんだからな!?」
……大丈夫かなあ。
大丈夫だよな、多分……きっと……。
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3. 積むな
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「……やった……! やったぞ!」
とある休日の朝。
俺は時計を見ながら、自室でひとりガッツポーズをしていた。
「10時を過ぎてもエキドナが来ない! 今日こそ……今日こそなんの邪魔も入らない、本当の休日を楽しめる! やったー!」
思えばここ最近、休日の予定は狂いっぱなしだった。
先週はリリの件で大混乱だったし、その前はシュティーナの手伝いで一日中マンガのアシスタントをやっていた。今日は待ちに待った、三週間ぶりの『まともな』休日というわけだ!
面倒事を持ち込む元凶であるエキドナは、シュティーナと共にさきほど外出していった。夕方までは帰ってこないだろうから、少なくとも夕方までは完全フリーでいられるはずだ。よかったよかった。
「さてどうするか。散歩に筋トレに読書に、やりたいことは山程あるが……」
ちらりと部屋の片隅に積まれた本を見る。読もう読もうと思って購入したはいいものの、結局読めずじまいの本たちだ。
仕事が忙しいと、どうしてもこういった『積ん読』が増える。買ってからしばらく経つとジャンル自体への興味が失せてしまったり、シリーズものだから小分けにせず一日でまとめて読破したかったり……理由は様々だが、結局読まないままで放置してあることには変わりない。
ゆえに今日のようなフリーの休日は貴重だ。こういう日こそ『積ん読』の消化にはピッタリなのだが……。
「……積んであるといえば、こっちもなんだよなあ」
部屋の片隅にある小型の魔導装置《コンソール》を起動する。駆動方法も通信方法も魔術だが、基本的には機械文明時代のパソコンによく似ている。俺のは薄型軽量だから、さしずめ魔導文明版ノートパソコンといったところか。
この《コンソール》には様々な機能が備わっているが、中でも俺が重宝しているのがゲーム機能だ。魔光通信で遠隔地からデータを受信し、世界中の最新ゲームを購入・プレイすることができる──この魔王城のように山奥の僻地であっても、それは例外ではない。
今のところ、俺のコンソール内には『積ん読』ならぬ『積みゲー』が20個ほど存在している。本は昼休みなどにちまちま読み進めることもできるが、ゲームとなるとそうもいかない。休日に消化するならこちらを優先するべきだろう。
「今日はゲームの日にするか。さて、どれからプレイするかだが……ん?」
ライブラリの積みゲーを物色していると、知り合いから複数のメッセージが届いていることに気づいた。新しいものは昨日、古いものは二週間以上前だ。ちょうど忙しかった時期だから気づくのが遅れてしまったらしい。
「一番古いのからチェックするか。差出人は……おっ、スティロスか! 懐かしいなあ」
スティロスは昔一緒に冒険したことのあるエルフだ。年齢は確か……えー……今年で300歳くらいになるのか? エルフの平均寿命が500年ということを考えると、まあ折返し地点ってとこだろう。スティロスからのメッセージには、こう記されてあった。
『──やあレオ、元気かい? 最後に会ったのは30年ほど前かな。僕の方はもうすっかりヒゲが伸びてしまったよ』
ヒゲが伸びる、というのは"歳をとった"を意味するエルフの慣用句だ。長命なエルフは新陳代謝も活発でないから、髪の毛やヒゲが伸びるのはヒトと比べてかなり遅い。しかも文化的に、よほど歳を取らない限り彼らはヒゲを伸ばそうとしないから、"ヒゲが伸びた"というのは多くの意味を持つのだ。
『冒険者を引退してしばらくは陶芸をやっていたんだが、最近は別の趣味に手を出してみた。……ゲーム作りだ! 里にやってきたドワーフに《コンソール》の使い方を教わってね、今ではナウでヤングな文化を満喫しているよ』
……ナウなヤングって言葉自体が既にヤングからかけ離れている気がするのだが、まあそれはいいとして……エルフは長命だから、300歳を過ぎてもこのように新しい文化に手を出すことはよくある。さして驚くことではない。
『体験版をこのメッセージに貼付したから、よかったらプレイして感想を教えてくれ。百層ある自動生成ダンジョンを攻略するローグライク・ゲームだ。子供の頃に君に聞いたダンジョン攻略のエピソードをモチーフにしているよ。楽しんでくれると嬉しい。 ──スティロス・オークウッド』
思わずニヤリとしてしまった。こいつめ、大昔に聞かせてやった話を未だに覚えているなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。
だが、それ以上に嬉しいのはゲームのジャンルだ。俺はこういう……ちまちまと主人公を強化して強くなっていくゲームが大好きなのだ! よしよし、今日プレイするゲームはこれにしよう。
にんまりとしながら次のメッセージを開く。珍しいことに、次のメッセージもまた以前一緒に仕事をしたことのある奴からだった。
純人間──ヒューマン族のギルバート。こいつは各地を渡り歩く吟遊詩人で、あるとき酒を一杯おごってやった事から意気投合した経緯がある。さて、今は何をやっているのかな、っと……。
『──ようレオ、久しぶりだな。魔王軍に入ったって聞いたが本当か? まあお前ならどこでもやっていけるんだろうが、人類の敵になるとかそういう展開は勘弁してくれよ』
思わず苦笑する。大丈夫だよ。魔王エキドナに助けてもらったから、今のところその心配はない。
『まあ真面目な話は置いといて、頼みがあるんだ。このゲームをプレイしてくれないか? 俺が作ったゲームなんだが、マーケットからなかなか販売許可が降りないんだ。どこが悪いのか第三者の意見を聞きたい』
……お前もゲームかよ!
なに? 下界ではゲームクリエイターになるのが流行ってるの?
添付されていたファイルを開く。中を調べてみると、どうやらノベルゲームのようだった。
ノベルゲームはその名の通り、小説(ノベル)を読み進めるように遊ぶゲームだ。それなら本でいいじゃないかと思うかもしれないが、展開に合わせて臨場感あふれるBGMを挿入したり、登場人物のグラフィックを表示したりというのは本ではなかなか再現できない。
最近では《鏡像(ミラーイメージ)》の呪文を使って、目の前に登場人物そっくりのビジョンを出すノベルゲームもあるらしい。高位のクリエイターになると、それらの鏡像に触感や体温まで付与しているそうだ。
内蔵された術式を見ると、どうもこのゲームもそういう臨場感あふれる鏡像を展開するタイプらしい。ギルバートのやつ、魔術の腕を上げたなあ……。
感嘆する俺だったが、次の文面で言葉を失った。
『ジャンルは恋愛ゲームだ。メインターゲットは男性だから女性ヒロインを多めに設定してあるが、もちろん男性も攻略できる。《鏡像》の呪文によってホンモノそっくりの質感が楽しめるのがウリなんだが、それだけじゃない。最大の特徴はなんといっても、攻略対象だ!』
メッセージにはヒロインの名前とビジュアルが百人近くずらりと並んでいる。さぞ頑張ったのだろうが、いやお前……これはいかんだろ……。
『ここ最近、酒場の話題で常に登場するのは魔王軍幹部だ。四天王シュティーナは巨乳美人と評判だし、魔王エキドナもまたスレンダーな体つきが人気だ。あとリリだっけ? ちびっこ幹部も一部のマニアに人気だから、三人とも攻略対象にしてみたよ』
してみたよ、じゃねえんだよ! 魔王軍に俺が入ったってのを知ってるのに、なんてもんをプレイさせようとしてるんだ!
『もちろん四天王のメルネスとエドヴァルトも攻略可能になっている。是非テストプレイして再現度がどれくらいかチェックしてほしい── ギルバート』
却下だ、却下。こんなんプレイしてるのが万が一にもバレたら、俺の城での生活が終わりかねない。攻略対象が誰であっても、だ。
せめて《鏡像》がなければよかったのかもしれないが、リアルすぎる《鏡像》がある恋愛ゲームは本当にヤバい。自室で同僚の分身に向かって何をしていたのか? と疑われでもしたら──想像しただけで背筋が凍る。
「メッセージはあと五件か。……おい、これひょっとして全部ゲームが添付されてんじゃねえだろうな……」
嫌な予感がしたが、大当たりだった。
差出人はどれも昔の知り合い。そして凄まじい偶然というか、内容はどれも『久しぶりだな。ゲームを作ったからテストプレイしてくれ』というもの。
積みゲーとは恐ろしいものだ。頑張って消化しようとしても、やっていく傍からこうして次の積みゲーが増えていってしまう……!
「弱ったな。明日は用事があるから、積みゲー消化に使えるのは一日だけなんだよな……ギルバートの恋愛ゲームは論外として、どれからプレイするか……」
──結局この日、俺がプレイできたのはスティロスのローグライクゲーム一本だけだった。それですら全ボリュームの七割くらいで、完走とは言い難い。
今回の件でよくわかったことがある。
コンテンツを、積んでは、いけない。
次の休みに積みコンテンツを消化しよう……などと考えるのは間違いだ。大抵の場合その計画は狂い、山の標高は更に高くなっていくのだから。
もし俺と同じような問題で苦しんでいる人がいたら、早急に三日ほどの有給休暇を取り、コンテンツの消化に全力を注いでほしい。
『今すぐ消化する』──それだけが、積みコンテンツを確実に消化するたった一つの手段なのだから。
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4. 魔王の悩み(上)
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「────《解錠(アンロック)》」
カチリ。
かすかな音とともに、ようやく最後の鍵が無効化された。
とある休日の朝。薄く開けたドアの隙間から中をこっそり伺うと、部屋の主はまだ、すやすやと気持ちよさそうにベッドで寝入っている。
俺は最初だけゆっくりと──そして最後には勢いよくドアを開け放ち、元気な声で挨拶した。
「――おはようエキドナ! ちょっと話があるんだが!」
「ふぎゃああああーーーっ!?」
瞬間、無詠唱でエキドナが放たれたねぼけ《火炎球》が俺に向かって飛来した。咄嗟にそれをかき消し、笑顔で応対する。
「はっはっは。いきなり攻撃呪文とは酷いなあ」
「なっ、なっ、なななな……!」
「まあ俺は心が広いから許してやろう。今日来た理由は他でもない、たまにはお前の悩みを聞いてやろうと思ってだな――」
「なに勝手に人の部屋に入ってきとんじゃボケェェエ!」
猛烈な爆炎が荒れ狂った。部屋のドアごと壁が焼け焦げ、崩壊する。
「おいッ! まだ俺が喋ってる途中だろうが!」
「やかましい! 勝手にレディの部屋に入るなど貴様には常識というものがないのか!? それも人が心安らかに寝ている休日の朝に!」
エキドナの両手から怒りの熱線が迸る。咄嗟に軌道を反らすと、部屋の隅に飾られていた高価そうな壺が真っ二つに焼き切られた。後ろの壁もだ。
「その台詞そのままそっくりお返ししてやろうかアアン!? 俺は二回も休日妨害されてるんだぞ! 自分がやられてイヤなことを他人にやるな!」
「あれは緊急事態だったのだから仕方ないだろう!」
「リリはともかくシュティーナの方は全然緊急じゃなかったろうが!」
いい加減一方的に殴られるのもイヤになってきたので、こちらも反撃の呪文を飛ばす。あっという間に室内は戦場と化し、かつての『勇者レオvs魔王エキドナ』を再現していった。
数分後。
「――いったい何を考えてるんですかあなた達はッッ!」
「はい……」
「すいません……」
そこには正座した状態でお説教される俺とエキドナの姿があった。
騒ぎに気づいて真っ先に駆けつけたのは、まだ寝間着姿のシュティーナだ。その迫力たるや俺ですらビビるほどに恐ろしく、少しでも反論すれば本当に殺されるんじゃないかと思うほどである。
「朝も早くから室内でドタバタと……いやドタバタなんて可愛いものではありません。あなた達が本気で戦ったら城が崩壊するかもしれなかったんですよ! そうなったら軍はどうなります!? 言ってみなさいエキドナ様!」
「大変なことになります……」
「レオも! 以前は私の部屋に勝手に入り込んでいましたね。あなたのそういう軽はずみな行動が今回の騒ぎを引き起こしたと分かっているんですか!?」
「いやこれはエキドナが俺の休日を……あっいえ、なんでもないです……」
「……レオ、エキドナ様。この部屋の片付けは自分たちでやってください。万が一にも他の軍団員を頼ろうものなら、この私が本気でお仕置きしますからね」
空気すら震えるほどの怒気と共にそう言い放ち、シュティーナが部屋を出ていった。数秒ほど固まったのち、ようやく俺とエキドナ二人が緊張を解く。
「おっかねえ……」
「怖かった……あんなに怒ったシュティーナを見るのは、ハロウィンのイタズラでガチの死んだふりを披露した時以来だ……」
すっかりしょぼくれながら、二人して室内の片付けを始める。手を動かしたまま、エキドナがため息交じりに聞いた。
「……で? 結局お前は何の用があったのだ」
「いや、お前の悩みを聞いてやろうと……」
「悩みぃ?」
「思えばシュティーナもリリも、俺が仕事上の問題を解決したからこそ新たな問題が生まれてきたわけだろ。《賢者の石》問題が解決したことで、お前もなにか新しい問題に直面してないかなあって思ってさ」
なお、エキドナが寝ているうちに室内に入り込んだのはただの意趣返し――仕返しだ。これ以上の面倒事はイヤだから言わないが。
幸いというかなんというか、エキドナの方も(この部屋の惨状以外の)悩みがないわけではないらしい。ふむ、と口元に手をあて考えている。
「一番大きく深刻な悩みは《賢者の石》の一件だったが、それは解決したしな。……強いていえば」
「何かあるか?」
「キュクレウス。――我が父にして前魔王のキュクレウスについては、いつも頭を悩ませていると言えるな。レオよ、たしかお前は一時期、奴と共に旅をしていたらしいな?」
「あー、うん。してたしてた」
魔王キュクレウス。エキドナの父であり、エキドナの一つ前の魔王であり、そして昔――俺といっしょに旅をしていた男でもある。
あれは今から五百年くらい前のことか。当時のキュクレウスは魔王になったばかりだったが、仕事面でかなりのストレスを抱えていた。どうも即位前に考えていた『魔王の仕事』と実際の内容に大きなギャップがあったらしい。
刺激のない業務、政治的なしがらみ、王宮からロクに出られない日々。そんな生活に嫌気がさしたキュクレウスは、急遽『リフレッシュ休暇に行ってくる』という書き置きを残して魔界から失踪したのだ。そうしてたまたま人間界に来た後、俺と出会い、一年ほど冒険者として各地を放浪しながら、二人で様々な事件を解決していった。
色々な意味でフリーダムな男だった。あれが父親なら、たしかにエキドナも悩みのひとつやふたつくらいあるはずだ。
「知っていると思うが、奴はとにかく自由奔放でな。行動基準は"楽しいか、そうでないか"だ。楽しそうと思ったことにはすぐさま手を出すし、そうでなければ欠片ほどの興味すら抱かない」
「改めて考えると、よくそんなやつが魔王やってたな……気まぐれで自由奔放って為政者に一番向いてないタイプだろ」
「暴力一辺倒の魔界は文化に彩りがなくてつまらん、というスタンスは確かだったからな。魔界を比較的平和な方向に改革するところまでは有能な魔王だったのよ。それが終わったら飽きてすぐに引退したがな」
「……で? キュクレウスが引退した今、なにに困ってるんだよ? 話を聞いてると、政治に介入してくるとか反エキドナレジスタンスを率いてるとか、そういう深刻そうな悩みじゃないみたいだが」
俺が質問するとしばしの沈黙があった。眉根を寄せたエキドナが、絶妙に嫌そうな顔で口を開く。
「……縁談を、持ってくるのだ。定期的に」
「縁談?」
「お前ももう500歳なのだからいい加減に結婚をしろ、孫の顔を見せろと……」
「えぇ……」
魔王の座は世襲制ではない。百人以上の候補者によるトーナメント――魔王決定戦で決まる。
エキドナはかつて、シュティーナと共にその魔界トーナメントに出場した。そして三年間に渡る壮絶な戦いの末、友人だったシュティーナや実の妹といった実力者を打ち倒して魔王になったのだ。
いわばエキドナは魔界で一番強い存在である。しかも今も最前線でバリバリに仕事をしていて、結婚や子育てといった余裕はまったくない。引退後ならともかく、今の彼女と縁談はどう考えてもミスマッチだと思うんだが……。
「会うたびにどこかの上位魔族とのお見合いをセッティングしてくるからもう嫌になってきてな。数日前も、"今度こそお前に相応しい男を見つけたぞ!"などと通信をしてきたから無言で切ってやった」
「まああいつ、一度走り出したら止まらないからなあ……」
「こういう場合は無視し続けるのが正解ということでいいのか?」
「正解だ。キュクレウスみたく熱しやすく冷めやすいタイプは、半年か一年くらい放置しておけば勝手に落ち着くからな。城で毎日顔を合わせるわけじゃないんだし、変にリアクションを取らないほうがいいよ」
これは縁談だけでなく、仕事面でも同じことが言える。思いつきで無理難題をふっかけてくる顧客や上司に対しては、『検討します』と言って放置するのが非常に効果的だったりする。どうせしばらく経てば自分がそんな提案をしたことすら忘れていたりするのが常だ。
「だいたいエキドナ、お前って魔界で一番強い奴なんだろ? せめて政治力か戦闘能力のどっちかがお前と互角な男でなきゃ婿として釣り合わないだろ」
「まったくだな。我としても、我より弱い男と結婚するつもりなど毛頭ない。キュクレウスのやつはそこを分かって――」
『エキドナ』
「ん」
不意に部屋の隅の魔導装置《コンソール》が鳴った。メルネスからだ。音声オンリーで通信が入っており、応答を待つ明かりがチカチカと点滅している。
「メルネスか。どうした?」
『例の客人がお前のところに向かったけど。放置していいの?』
「……は? 客人?」
『"エキドナに話は通してある"って言って、エドヴァルトと酒をがばがば飲んだあと、上機嫌でお前の部屋に向かったけど』
「はあ!? ぜんっぜん聞いておらんぞそんなの! 誰だそいつ!」
『《《キュクレウス》》って言ってた。……お前の父親なんだろ? 食事と酒の代金は、全部食堂からお前の方に行くから、ちゃんと払えよな』
プツリと通信が切れる。
それと同時に、廊下の方から愉快そうな話し声が聞こえてきた。声の主はエドヴァルトと……もうひとり。
『――いやあ、実に良い飲みっぷりだったなキュクレウス殿! 俺と互角に酒を呑めるやつなどそうはいないぞ! がっはっは!』
『人間界の酒は美味いからなあ。魔界の酒もここ百年で格段に味が向上したが、やはりこっちの酒が一番美味い。用事が済んだらまた飲もう』
『そういえばエキドナ様に用事があるとか言っていたな。何の用だ?』
『縁談さ。おーいエキドナ、入るぞー』
「ちょっ」
エキドナが止める間もなく、修繕したばかりのドアが開け放たれる。エドヴァルトの横に立っていたのは、俺とエキドナがよく知った顔だ。
気品を感じさせる丈の長いローブ。優雅と狡知が同居したような目つき。俺が知っている頃よりも少し大人っぽく見えるのは、僅かながら顎髭を伸ばしているからか。
「やあエキドナ。い~い縁談を持ってきたぞ」
「キュクレウス……!」
この強大な魔力と、胡散臭さ満点の笑顔。間違いない。
かつて俺と一緒に旅をしていた上級魔族――前魔王・キュクレウスだ。
「今日はひと味違うから安心してくれ。今回のお見合い相手は……これだ!」
懐から取り出した顔写真入りアルバムを開くキュクレウス。そこに載っている人物が誰であるかを認めた瞬間、俺とエキドナの表情が凍りついた。
「"元"勇者、レオ・デモンハート! お前、あいつに手ひどく負けたんだろう? しかも今のレオは勇者を辞めて、お前の軍の運営を色々手伝ってるって聞いた。お前より強く、賢い! 結婚相手としては最高だと思わないか?」
「おい、キュクレウス。ちょっと。おい」
「……おっ? なんだレオ、んなとこにいたのか!」
「いや、俺のことはいいから、まずエキドナに謝ったほうが……」
エキドナは隣で両目を閉じ、ふるふると怒りに震えている。既に魔力の集中が始まり、室内の気温が急上昇している……これは、まずい。
「よかったよかった。お前とエキドナ、既に二人きりで過ごすような仲になってたんだな。魔王たる者が五百歳を過ぎてろくに恋愛もしたことないなんてお笑いだと思ってたんだが……いい感じにくっついてるようで良かったよ」
「いやだから」
「あとは孫の顔さえ見せてくれれば、俺も安心して――」
「死ぃイねええええええェェエエ!!!」
エキドナが手をかざす。
そして、かつて俺が食らったどの呪文よりも強烈な爆炎が、キュクレウスを飲み込んだ。
(BD/DVD下巻へ続く)