濃厚!ガリバタ醤油ソースのドラゴンステーキ(II)  ――イルツールの町。  魔術に使う希少鉱石、魔石が採れる鉱山があるこの町は、昔から鉱山を狙った様々な勢力に狙われてきました。  たとえば、魔術師。  たとえば、野盗の一団。  あるいは、魔石に惹かれてやってきた野良合成獣。  そんな物騒な連中から町を守るため、町のすぐ近くに築かれたのがヴァリエラ砦です。  僕……ヨハン・アーメントが十六歳になり、王国弓兵になって、最初に配属された拠点。  厳しくも優しい隊長や先輩たちに囲まれ、砦の一員として慣れてきて……そんな折でした。  僕のホームであるヴァリエラ砦は、今まさに無数の飛竜《ワイバーン》に取り囲まれ、陥落しようとしていた。 「――隊長、矢が通りません! こんなの応戦するだけ無駄です!」 「駄目だヨハン、攻撃を続けろ! この砦に引きつけておかないと、このクソトカゲ全部がいっせいに町の方へ飛んでいくぞ!」  いま、僕とグスタフ隊長が立てこもっているのは、城壁の上、四方に築かれた見張り小屋だ。頑丈な石造りになっていて、おかげで飛竜達の鋭い鉤爪から僕らを守ってくれている。  でもそれだけだ。飛竜たちが頭上を乱舞している今、一歩でも見張り小屋の外に出たら間違いなく死ぬ。猛禽類の前でネズミがうろちょろするようなもので……事実、中央にある砦の主館へ武器を取りに行こうとした先輩の一人は、小屋から飛び出してすぐに無残な姿になってしまった。  それでも諦めずに応戦する僕らをからかうかのように、黒い飛竜達は城壁の一部や中庭に降り立ったりしている。幸い、狭い室内にまでは入れないようだから、さっさと僕らに興味をなくしてどっかに行ってくれればいいのだが――それは隊長が言うように、僕らが守るべきイルツールの町がこいつらに蹂躙される事を意味している。  結果として僕たちは、さして効果があるとも思えない、それどころかろくに命中すらしない矢を放ち続けるしかなかった。  弓も矢も、ストックが潤沢にある事だけが救いだ。たまらず弱音を吐きそうになるのを堪え、隊長に聞く。 「……町の人達は大丈夫なんでしょうか?」 「これだけ派手に砦が襲われてるんだ。既に危険を察知して逃げてるか、さもなきゃ、めっぽう腕の立つ冒険者が偶然立ち寄ってて町を守ってるとか、そういう奇跡を期待するほかないな」 「討伐隊の皆さんは……」 「やられちまったんだろうよ。クソッ! あれだけの大部隊だぞ? ふざけやがって……!」  竜種《ドラゴン》は知性が高く、人に手を出せば様々な面倒事を引き起こす事を知っている。それは、竜種の中でも下級に属する飛竜であっても同じだ。彼らは滅多な事がない限り、人間に危害を加える事はない。  ただ、時折そういうセオリーが通じない事がある。『黒化』した竜が、それだ。  なんらかの呪いなのか、突然変異なのか、それとも繁殖期のように定期的にやってくるものなのか――とにかく、全身が黒く染まった竜は極めて狂暴になる。人里も襲うようになる。  そんな黒い飛竜がこの近くで目撃されるようになったのが、今から一月ほど前。それも一匹ではなく、何匹も。この砦より更に先、イルツールの町外れにある山に棲み着いたらしい。  ときおり街道沿いまで出て来るようになった飛竜を討伐するため、幾度となく王国騎士が派遣され……ついに数日前、山のどこかにあるはずの『巣』を潰すため、大規模な討伐隊が山へ送られたのだ。  指揮官の王国騎士様を筆頭に、僕のような下っ端とは比べ物にならないほど精強そうな兵士、あるいは魔術師で編成された、総勢十八名の大部隊。  これでワイバーンたちも終わりだろう、ここらも平和になるぞ、とみんな安堵していたところだった。  ――一日経っても二日経っても、討伐隊の皆さんがこの砦へ戻る事はなく。  三日目の日の出と共にやってきたのが、飛竜の大群で――。 「……おい嘘だろ」 「隊長?」 「隠れろヨハン! そこの棚か樽の下に入れ!」  僅かなあいだ物思いにふけっていた僕を現実に引き戻したのは、窓の外をうかがっていた隊長の鋭い号令だった。 「何が……」 「はやく!」  何があったかもわからない。ただ、一刻を争う事態だということはわかった。僕は命令通り、積み重なった樽の隙間に潜り込み、  ――ガラガラガラ! 「……うわああっ!?」  凄まじい轟音と共に、天井をぶち破って何かが落ちてきた。  もうもうと立ち込める土煙の中で、落ちてきたものが何なのかを確認する――巨大な岩だ!  天井に大穴が空き、そこから空が、頭上の飛竜たちが見える。そこでようやく、さきほど隊長が何を見たのかを僕も理解することができた。  どこから持ってきたのか――そして、黒化してもなお、獲物を殺す為の知恵だけは豊富なのか。飛竜たちはみな、鉤爪でがっしりと岩を掴んでいた。そしてそれを、小屋の真上から投下してきたのだ!  二つ、三つ。……四つ。続けざまに小ぶりな岩が落とされ、堅牢だった石造りの天井がどんどん崩れていく。僕と同じようにかろうじて難を逃れたのであろう隊長の声が、瓦礫の向こうから聞こえた。 「ここにいても岩に潰されて死ぬだけだ。ヨハン、ここを出て主館《パラス》まで逃げろ。あっちならしばらくは持つ!」 「隊長はどうするんです!」 「ここで連中の気を惹く。そうすりゃあ、お前一人はなんとか逃げ切れるだろ」 「……それは」  一瞬、この命令を聞き入れるべきかどうか、おおいに迷った。  小屋の天井は既に八割ほどが崩れ落ちている。こうしている間にも次の岩が降ってくるかもしれない。そうすれば、まず確実に死ぬだろう。  そうなる前に頑丈な主館に逃げろというグスタフ隊長の指示は、正しい。  だからって、隊長をここに置いて逃げるのが、兵士として正しい姿なのだろうか?  ここに残って隊長と共に死ぬまで戦う。あるいは僕が囮になり、僕より経験豊富な隊長に生き延びてもらう。そうあるべきではないのか……。 「……わかりました。必ず助けを呼んで来ますから、無理しないでくださいよ!」 「おう、頼んだ」  僕は命令を聞く事にした。  ただ逃げるのではない。隊長を、みんなを助けるために逃げる事にした。  この砦に魔術師はいないが、主館の地下にある武器庫には、一回だけ呪文を発動できる使い捨ての呪符なんかも置いてある。  それに、僕らが見張り小屋に閉じ込められているように、主館に閉じ込められて身動きが取れない先輩たちもいるだろう。彼らに外の状況を伝えれば、飛竜たちを追い払う策を考えてくれるかもしれない……。  剣の腕も弓の腕も隊長には及ばない僕だけど、身軽さだけは自信がある。伝令として主館へ走っていくなら、僕のほうがきっと適任だろう。  僕はそう考え、隊長が号令を出すまでの僅かな間、瓦礫の隙間から必死に周囲の状況を確認した。  四つある見張り小屋のうち、僕ら以外の三つはまだ無事。飛竜は見える限りで十四匹。城門は多少損傷しているようだが、通るのは問題ない。正門上に備え付けられた大砲《カルバリン》はどうだろう? あれを使えば飛竜も落とせるはずだけど、ここからでは見えない。 「3、2、1だ。3、2、1で俺が《火炎球》の呪符を使う。空中で爆発させるから、合図と同時に走れ。  間違っても城壁の上は走るなよ! すぐそこの階段を降りて、中庭を通れ!」 「はい!」 「……行くぞ。3、2、1――――  《解放《リリース》》!」  掛け声とともに呪符に込められた魔力が解放され、《火炎球》が放たれた。  灼熱した光の球が飛んでいき、轟音を立てて爆発する。飛竜に当たったのかはわからないが、城壁に留まっていた飛竜たちが慌てて飛び立つのが見えた。 「行けヨハン!」 「はいっ!」  あとは走るだけだ。崩落しかかった小屋から這い出ると、幸いな事に、中庭に通じる石階段は無事だった。  中庭は平坦な作りになっている。壁沿いにいくつかの木が植えてあり、それ以外に隠れる場所はないが、逆に言えば、走りやすい。  僕は隊長の言う通り、階段を駆け下りて中庭の端を走る事を選んだ。  階段を降りきると同時に、二発目の《火炎球》が炸裂する音が聞こえた。隊長は全部で三枚の呪符を持ってると以前言っていたはずだから、まだしばらく気を引いてくれるはずだ。  主館の正面扉までは、あと20メートルほど。いつもはちょっと狭くすら感じる中庭だが、今はその20メートルがとてつもなく長い。  ついに木々が途切れ、開けた場所に出る。  あとは扉まで走るだけだ。残り10メートル――。 「……あ……」  そこで、僕の動きが止まった。  止まりたくて止まったわけではなく、止まらざるを得なかった。  黒い影が、僕の目の前に降り立ったからだ。  当然、期待していた助けなどでは、ない。  そいつはこちらを見据え、低い唸り声をあげた。  ……飛竜のうちの一体だった。 『Grrrr……!』 「う、あ……!」  リーダー格なのだろう、他の個体より少し体格が大きく、翼もごつい。  ぎょろりとした、トカゲのような黄色い目が、真っ直ぐにこちらを見据えている。主館への扉は、よりもよってこいつの真後ろだ。  そのリーダー格が大きく羽ばたき、一瞬だけ砦の塀より高いところへ飛び上がった。  見逃してくれたわけではない。次の瞬間には、猛烈な勢いで僕の方へ急降下してくる。  鋭い鉤爪を、死神の鎌のように輝かせて。  ――たぶん、こいつはずっと待っていたのだ。  仲間が岩を投下し、見張り小屋を破壊するのを。哀れなネズミが、そこから這い出てくるのを。  そのネズミが、主館への最短ルートである城壁上ではなく、城壁に囲まれて比較的安全な……そのかわり、隠れる場所も少ない……中庭を通るのを、ずっと待っていたのだ。  泥の中にいるように時間の流れが遅くなった。  扉まであと10メートル。  弓矢で応戦するか? いや、矢を番える事すら間に合わないだろう。背中の矢筒から矢を引き抜くので精一杯だ。  なら、走るか。走って、あの、いつも先輩たちが重い重いと愚痴を垂れていた鉄扉をひとりで開けて、中に逃げ込んで……駄目だ、間に合うわけがない。  どうやったって、急降下攻撃を食らうのは間違いないだろう。二秒後か三秒後には、僕はあの鉤爪に貫かれて死んでいる。 (……ああ、だめだ)  三発目の《火炎球》が視界の端で炸裂した。これで隊長の持っている呪符も品切れだ。遠からず、隊長も僕と同じ運命をたどるだろう。  自分の置かれた状況を冷静に認識し終わったところで、『怖い』という感情は不思議と湧いてこなかった。 (悔しいな。ああ、くそ。こんなところで)  ただ悔しかった。  何も出来ず、背後の町を守る事もなく、ここで死ぬ事が。  結局死ぬのなら、隊長と一緒に戦って死ねばよかった。少なくとも、こんな風に何の役にも立たずに死ぬよりはずっとマシだったはずだ。  これでは犠牲になった隊長にも申し訳が立たない。父や母だって、息子が先立ったと知ればきっと悲しむだろう。  僕は心の中で隊長や両親に謝罪しながら、死の運命を受け入れるばかりだった。飛竜が迫り――思わず目を閉じてしまう。  覚悟していた痛みは、しかし、いつまで経っても襲ってこなかった。 「――まあ、そうなるだろうな」  かわりに、すぐ近くで声がした。  若い男性の声だ。  隊長ではないし、先輩たちの誰でもない。 「黒化したドラゴンは群れをなし、強いやつを頭に据える。黒化した真龍《ウィルム》がいるなら、しもべの飛竜《ワイバーン》も居るってわけだ……おい、ケガはないか?」 「……え……」  こわごわと目を開けると、そこには剣を手にした黒髪の青年が立っていた。  冒険者か何かだろう。服の上にちょっとした外套を着込んだ以外には、鎧すらつけていない。騎士様はもっとゴツゴツした鎧を着込んでいるし、僕らと同じ兵士でもなさそうだった。  驚くべきは、彼の足元に飛竜の死骸が転がっていた事で――それは間違いなく、さっきまで僕を襲おうとしていたやつだ。  両の翼は根本から断ち切られ、すぱりと斬り飛ばされた首が、ちょっと離れた木の根元に転がっている。  これを、この人が?  剣一本で?  信じられない。  僕は無様に尻もちをついたまま、彼を見上げ――訊ねました。 「あなたは……その」 「オニキス。通りすがりの冒険者だ」  お礼より先に質問をぶつけてきた僕を責める事もなく、彼――オニキスさんは安心させるように言いました。 「おいしいドラゴンステーキを食べにきた。こいつらは一匹残らず片付けてやるから、安心しろ」 濃厚!ガリバタ醤油ソースのドラゴンステーキ(III) 「片付ける……? たった、一人で……?」 「いや、仲間もいるよ。残り二人――伏せろ!」 「うわっ!」  オニキスさんに突き飛ばされ、その直後、僕のすぐ真上を新手の飛竜《ワイバーン》がかすめていった。背後から僕を狙い急降下攻撃をしてきたのだ。  それはそうだ! リーダー格が倒されたとはいえ、まだ周囲には十匹以上の飛竜が飛び回っている。むしろリーダーが倒されたことで激昂していてもおかしくない!  しかし、その飛竜が再び空へ戻る事はなかった。いつの間にか城壁の真ん中、いちばん目立つところに立っていた赤髪の大男が、無骨な大剣を使って飛び上がる直前の飛竜を叩き斬ったのだ。  既に男の周囲には二、三匹ほどの飛竜が転がっているようで、僕は大いに目を丸くした。  ただ、僕が驚いたのはそれだけではない。  先輩たちが、みな生きている! 残った見張り小屋の中から、懸命に応戦しているのが見える! あの大男が矢面に立ってくれているおかげだろう! 「リリ! ああ違う、アリョーシャ!」  大男がよく通る声を張り上げ、急降下してきた別の飛竜の腹に大剣を突き刺した。  苦悶の声をあげる飛竜に構わず、大男が剣を振り子のように大きくスイングする。 「いい加減、城壁の上が狭くなってきた。そちらへ投げるぞ!」 「へいよー!」  男が思い切り剣を振ると、突き刺さっていた飛竜がすっぽ抜け、城門の方へ勢いよく飛んでいった。  飛んでいった先で瀕死の飛竜を待ち構えているのは、オニキスさんのもう一人の仲間――って、ええ!?  立っているのは、小さな女の子だ!  それも、僕よりだいぶ幼い!  そこらに落ちていた訓練用の武器を使っていたのだろう。手に持っている鉄製のメイスは既にひしゃげ、満足に武器の役目を果たしているとは思えない。  アリョーシャと呼ばれたその子も、武器が使い物にならないのに気づいたようだ。メイスをぽいと放り投げた。 「危ない!」 「ああ危ないな。飛竜の方が……」  横に立つオニキスさんがどこか呆れたようにつぶやき、 「っせい!」  アリョーシャさんが跳躍した。  右手を振りかぶり、ワイバーンの頭部を思い切り殴りつける。  素手で。  パンチだ。  それで終わった。まるで戦槌《ウォーハンマー》の一撃でも食らったかのように飛竜が地面へ叩きつけられ、ぴくぴくと痙攣し、ついには痙攣すらしなくなる。死んだらしい。 「……は……!?」  ……そんなバカな。  ドラゴンには色々な種類があるけれど、少なくとも飛竜の弱点は頭部とされている。人間と同じように、頭部に強い一撃を加えれば脳震盪を起こすし、当たりどころが良ければそれで倒せる。  だからって、素手!?  素手でドラゴンを倒す人なんて、聞いたことがない!  あっという間だ。  本当にあっという間に飛竜の群れは撃破されていき、かろうじて生き残った個体もどこかへ飛び去っていく。 「ヨハン、これは……」 「隊長!」 「命拾いしたってのは分かるが、どうなってる?」  よろめきながら階段を降りてきた隊長に、しかしオニキスさんが鋭く言った。 「ここの指揮官か? まだ安心するなよ。メインディッシュが来る」 「なんだと? 飛竜だけじゃないのか?」  眉をひそめる隊長に向かって肩をすくめ、 「あいつらは下っ端だ。親玉は、黒化した真龍《ウィルム》。多分この砦で戦う事になるから、はやく生き残りを集めろ。下の町までは俺が守る」 「あーっ! あたし! あたしも守るよー!」 「俺と、アリョーシャが守る」 「――倒す? 真龍《ウィルム》を!? 冗談でしょう!?」  助けて貰った恩も忘れ、思わず口が動いてしまった。  飛竜を一撃で倒したところを見ると、たしかにこの人達は強いんだろう。それはわかるけど、それにしたって飛竜と真龍では強さが桁違いだ!  これまで戦っていた飛竜《ワイバーン》は、ドラゴンの中では比較的小型な方で、空をメインテリトリーにする。前肢そのものが翼になっているから、一度地上に叩き落としてしまえば然程の脅威でもない。  それに対して真龍《ウィルム》というのは、地上でも空でも驚異的な力を誇る最強クラスのドラゴンだ。がっしりとした四つの脚でしっかりと地面に立ち、大きな翼を持ち、尾の一撃は城門すら破壊する。息《ブレス》はそれ自体が高位の攻撃呪文に匹敵する――姿を思い浮かべるのが難しいなら、一般的に『ドラゴン』と呼ばれる存在を思い浮かべればいいと思う。それが真龍《ウィルム》だ。  真龍討伐は、本来なら国が総力をあげて行うような一大事だ。それをわかっているのかいないのか、オニキスさんは肩をすくめ、 「冗談なんかじゃない。言ってみりゃあ飛竜退治はオマケみたいなもんで……ほれ見ろ、来たぞ!」  背後で凄まじい轟音がした。僕が振り向くと同時に、城壁の一部が破壊され、がらがらと崩れ落ちるのが見えた。上から何かが落ちてきたらしい!  最初は、先ほどと同じように頭上の飛竜が岩を落としたのかと思ったけれど、どうもそうではないらしい。  岩のような……いや、岩よりも遥かに大きな巨体が、ぬっと姿を現したからだ。  全身が黒い。鋭い牙があり、地鳴りのような唸り声が内臓を揺さぶる。がっしりとした四つの脚がバキバキと瓦礫を踏み砕き、翼はそれだけで飛竜数匹ぶんの大きさがある。  轟音と共に城壁がまた粉砕された。尻尾を軽く振り回しただけなのだと分かって、思わず戦慄する。  ――真龍《ウィルム》。  最強クラスのドラゴンが、城壁を破壊して砦の中に侵入してきた……! 『Grrrrrrrr……!』 「言葉も失ったか、同胞よ。その巨躯、さぞ名のあるドラゴンだと思うが……黒化の呪いとは残酷だな」  いつの間にか僕の横にやってきていた赤毛の大男が、悲痛とも憂愁とも知れない声で静かに告げた。 「その姿、見るに忍びん。狩らせてもらうぞ」 『――ルオオオオオオオン!』  大男の言った事を理解できているのか、いないのか。応じるように真龍が吠えた。 「ひっ……!」  鼓膜が破れそうなほどの、凄まじい音!思わずしゃがみ込み、耳を抑えてしまう。  隊長や先輩たちも同じだ。ただ、オニキスさんたち一行だけが平然としている。 「エド」  そのオニキスさんが、赤毛の大男に声をかけた。 「ここはお前に任せる。いいな?」 「任された。オニキス殿はそやつらを守ってくれ」 「がんばってねー!」  信じられないことだ。エドと呼ばれた剣士は、たったひとりで真龍と対峙するつもりらしい――しかも残りの二人は、特にそれを気にする様子もない! 「おい、これで砦の兵士は全員だな?」 「あ、ああ。間違いないが……」 「そんなら、急いでここから離れるぞ。真龍のブレスから一般人を守るのは流石に骨が折れる!」 「……いや、そうじゃないだろう! そりゃあ腕は立つんだろうが、だからって、あの人ひとりで真龍の相手をさせるなんて、無茶にもほどがある!」  負傷し、隊長の肩を借りている先輩の一人がもっともな疑問を口にした。  そもそも僕らは真龍と戦ったことがない。だから、真龍が飛竜と比べてどれほどの強さを誇るのか、実際のところは伝聞でしか知らない。  それでもあの巨体だ。飛竜討伐より簡単にいくとは思えない……ましてや、一人でどうにかなるとは……! 「二十七匹だそうだ」 「なに?」 「エドヴァ……が、これまで倒してきた、黒化した真龍《ウィルム》の数」  先導する足を止めず、オニキスさんが静かに言う。 「あいつは竜人族でな。竜人族っていうのは、竜族の中でも黒化しない唯一の種族だ。  その竜人族でも一番の実力者として、あいつは黒化したドラゴン――凶暴化して、二度と元に戻らなくなった同族を処刑する役目を担っている。  竜殺し《ドラゴンスレイヤー》――それがアイツの仕事だ。わかったら、あいつに任せておいてくれ。むしろお前たちは、自分の心配をした方がいい」 「――飛竜だ! こっちに来る!」  オニキスさんの話を中断させたのは、空を舞う四匹の飛竜《ワイバーン》だった。ゆっくりと高度を下げ、距離を狭めながら、間違いなくこちらに狙いをつけている。  僕らが歩いているのは砦のある丘から町に繋がる坂道だ。街道として整備されているから広々としているが、隠れる場所は少ない。応戦するしかない。 「小隊長を失って統率が取れなくなったな。他のやつらみたいに逃げりゃあいいものを――よし。それ、ちょっと貸してくれ」 「あっ」  オニキスさんがさっと僕の弓を取り上げた。元はスリでもやっていたのだろうかと思うくらい鮮やかな手際だったが、それに驚いている暇もなく、 「オマケだ少年。飛竜の楽な倒し方を一通り教えてやるから、ちゃんと覚えておけ」 「はっ?」 「まず、弓」  オニキスさんが無造作に矢を番え、一番低い位置を飛んでいた飛竜を射る。  ――外れた。  そう思った。放たれた鉄の矢は、飛竜の弱点と呼ばれている翼膜でも狙いやすい腹でもなく、飛竜の首の横を抜けていった。  カツン、と頼りない音がして、翼の端に矢が当たり、そして、 『――ギッ――!』 「……え!?」  どういう手品か、飛竜の羽ばたきが急に止まり、真っ逆さまに墜落した!  落ちる場所まで計算したのだろうか、アリョーシャさんのすぐ目の前にべしゃりと落ちる。 「アリョーシャ! とどめ!」 「へい!」  どこから持ってきたのだろう。地面で痙攣する飛竜に、アリョーシャさんが鈍器を……というか、丸太だ。丸太を叩きつけた。  確かにこの砦付近には木が多いし、木こり小屋もあるけど、そういう問題ではない。丸太を鈍器にする人間って、そうそういないぞ……飛竜が動かなくなる。 「タンスの角に小指をぶつけると痛いだろ」  呆然としている僕に弓を渡しながら、オニキスさんがこともなげに言った。 「飛竜も同じだ。翼の先端に強い衝撃を受けると、その衝撃が全身を伝い、ときには脊椎にまで伝わって、一時的な気絶状態になる。  反対に、弓で翼膜を狙うのはあんまり良くない。大穴でも開けない限り飛行能力は失われないし、弾力があるから矢が弾かれる事もある」  言いながらオニキスさんは、別の先輩から槍を取り上げた。  ああ……正気なのか? まさかこの人、本気でこんな感じでレクチャーしながら飛竜を倒そうとしているのか? 飛竜って、そんな練習台みたいな魔獣じゃないんだぞ……!? 「次に、槍。これは一番簡単だから、ぜひ皆にも教えてやれ」  オニキスさんが空を見上げると、丁度二匹のワイバーンが同時に降下してくるところだった。  狙いは――オニキスさんとアリョーシャさんだ。さすが知能の高い竜種、この二人を殺すことが最優先目標だと認識したらしい。 「獲物を見つけたワイバーンは、あんな感じに狙いを定めて急降下してくる。鋭い鉤爪で獲物を仕留めるためにな――つまり、こうだ!」  迫りくる鉤爪を冷静に見据えながら、オニキスさんがふいに片膝をつき、身を沈めた。そして、勢い良く槍を突き出す。  突き出された槍が、正確に飛竜の腹部を貫いた。穂先がそのまま背中まで突き抜ける。  即死とはいかなかったようだが、相当な重症だ。よたよたと地面を這うように逃げようとする飛竜の首を、オニキスさんが剣で跳ね飛ばした。  もう片方のワイバーンは――ああ、もうだめだ。アリョーシャさんの投石を頭に喰らい、ふらふらと落ちてきたところに丸太アタックを食らっている。あれも死んだだろう。オニキスさんが槍を先輩に返しながら言った。 「タワーシールドとかがあると最高だな。それの陰に入って身を沈め、なにも考えずに槍を斜め上へ突き出せ。それだけでいい。  あとはおもいっきり加速のついた相手が、自分から勝手に串刺しになってくれる――最後に、呪文!」  残り一匹。  仲間をやられて怒りに燃えているのか、残り一匹が複雑な軌道を描いてジグザグにこちらへ降下してくる。 「呪文に限っては翼膜を狙うのが有効だ。弾力のおかげで単純な物理防御に優れるぶん、呪文にはめっぽう弱くてな――《火炎球《ファイアーボール》》!」  オニキスさんが呪文を放った。驚くべきことに、詠唱なしで!  魔術師《メイジ》ギルドの定めるところでは、『1時間以内に最低1つ以上の呪文を無詠唱で発動できること』が中級魔術師への昇格条件になっていると聞いたことがある。つまりこの人は、最低でも弟子を持てるクラスの魔術師で、だというのに、剣や槍でもドラゴンを倒せるクラスの強さということだ……!  隊長の使った呪符よりも遥かに巨大な爆発が起き、熱風がちりちりと顔を焦がした。当然こうなると、直撃した飛竜もただではすまない。半ば炭化した飛竜……の残骸……が街道わきの木陰に落ち、終わった。  これはもう、翼膜狙いとかそういう問題ではないのでは。単純にオニキスさんの魔力が高すぎるだけなのでは……。 「あの……」  誰もが同じ疑問を抱いていたと思う。そして、誰もがそれを言い出せなかった。  ある意味、僕が経験の浅い新兵だからよかったのだろう。桁外れの戦闘力を前に、僕が一番最初に正気に戻り――尋ねる事ができた。 「あなた達は、なんなんですか?」  オニキスさんとアリョーシャさんが顔を見合わせ、なんとも言えない表情でこちらを向き、小さく笑った。 「ドラゴンステーキを食いに来ただけの、冒険者だよ」 「です!」 ---- 「――ほんとに全部持っていくんですか?」 「ああ。悪いなヨハン君、お前んとこの砦ぶっ壊しちゃって。隊長さんにも謝っといてくれ」 「いえ、いいんです。オニキスさん達がいなかったら、砦だけでは済まなかったでしょうから」  早朝の襲撃から半日。  結局、王都からの増援が来たのは陽が傾きはじめた頃で……その頃には、すべての決着がついていた。  つまり、飛竜たちはオニキスさんとアリョーシャさんによって一匹残らず掃討され。  砦での一騎打ち――エドさんと真龍との戦いは、エドさんに軍配が上がった。  信じられないのはエドさんだ。僕らが町に降りたあたりで砦で大爆発が起きて――おそらく、真龍のブレスが炸裂したのだろう――だというのに、彼は多少火傷をした程度で、数日以内には治るらしい。意味不明なタフネスだ。  それだけではなく、オニキスさん達はドラゴンの死骸すべてを引き取ると申し出た。  確かにドラゴンの肉や骨は高値で売れるけれど、どうやって運ぶのだろう。そう思っていた僕達の前でオニキスさんは《転送門《ワープポータル》》の呪文を(多少の触媒だけで)発動させ、ゴミ箱に紙を放り込むような手軽さでぽいぽいとドラゴンの亡骸を回収していったのだ。こうなるともう、さして驚きもしないというものである。  王都から派遣され、事情聴取をしていた騎士様がオニキスさんに聞いた。 「エド、オニキス、それにアリョーシャ。貴公らは冒険者ということだが、真龍討伐の功績を報告すれば、国王からじきじきに騎士の位を頂くのも夢ではないかもしれんぞ。一度王都に行ってみたらどうだ?」 「うん、そのうち行くよ。とりあえず、俺らが倒したってことだけ伝えておいてくれ」  これだ。  真龍を倒すという偉業を成し遂げたのに、まるで子供のお使いを済ませたかのような軽さなんだから、わけがわからない。  とはいえ、冒険者というのはそういうものなんだろう。これだけの腕がありながら一箇所にとどまらず、自由に世界を旅する――名を挙げるとか、地位を築くとか、そういうのには興味のない人種なのかもしれない。エドさんとアリョーシャさんなんかは既に帰り支度をはじめており、ずいぶんと上機嫌だ。 「いやあ、これで皆にたらふく肉を食わせてやれるというものよ! よかったよかった!」 「お肉! お肉!」 「調理法はよく分からんが、まあレ……オニキス殿がなんとかしてくれるだろう。そもそも、肉は焼けばなんでも旨いしな」 「ステーキ! ステーキ!」  ……本当に自由な人たちだった。 ---- 「困ったものよな」 「竜人族の歴史を考えると、人間なんぞはどうでもいいと思っておった。ゆえに竜殺し《ドラゴンスレイヤー》としてほうぼうを旅して、エキドナ様の誘いにも乗ったわけだが……エキドナ様が方向転換した今、人を守る為に竜を狩る羽目になっている。まったく、人生なにが起こるかわからん。お前とてそうだろう?」 『GRRRRRR……!』 「そうだな、言葉も失っていたか。すまんすまん」 「狩らせて貰う。覚悟するがいい」 「ハ! 流石に硬いな!」 「その黒い鱗、もとは《赤鱗》か? だとしたらこちらと同じだ。砕きがいがある!」 「――なあ同胞よ」 「俺は少しだけお前らが羨ましい。あらゆるしがらみから解き放たれ、見境なく力を振るうだけの暴力装置になれれば、どれだけ世界がシンプルになることか」 「だが、俺には戻る場所もあるし、愛する娘もいるし、自分の仕事がある。お前らのところに行くのは、まあ、当分先のことだろうよ」 「ゆえに、さらばだ。またいずれな」 「疲れる仕事だ。まったく」  僕も、先輩も、グスタフ隊長も、みな呆気に取られている。最後に残った一匹の飛竜は、逃げるべきか襲うべきか決めかねるように遠くを飛びながら、こちらの様子を伺っているだけだ。  オニキスさんは世間話でもするような調子で僕に聞いた。 「あれがラスト一匹だな。お前、なんか好きな呪文を挙げてみろ」 「ぼ、僕ですか?」 「うん。なんかあるだろ、一個くらい」  僕は弓兵だ。故郷の村で狩りをしていたときも弓を使っていたから、魔術の事はよくわからない。  ちょっと迷った末、僕はさきほど隊長が使っていた呪符の事を思い出した。 「……じゃあ《火炎球《ファイアーボール》》……とか」 「定番だなあ! まあ、いいか。それでいこう」  オニキスさんが剣を鞘におさめ、残り一匹の方を向いた。  この人は剣士だと思っていたが、呪文も使えるのだろうか?  オニキスさんはとくに呪文を詠唱する様子もなく、手のひらをワイバーンの方へ向けた。 「強力な飛行能力と物理耐性を得た代償として、翼膜部分は呪文にめっぽう弱いのさ。つまり――《氷針撃》!」 「呪文の場合、狙い目なのは翼膜だ。さっき言ったように弾力があるから、矢なんかに対する耐性は高いんだが……」 「ああ……そうだ。一番シンプルなやり方を忘れてた」 「弱点は頭だ。頭をやられて生きていられる生物は、そんなにいない。もしお前が剣の達人になったとしたら、とにかく敵の頭を斬り飛ばせ。それで終わる」