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『勇者、辞めます』三巻
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第一章：プロローグ

1. 仕事をするときは締め切りを意識しろ

　――魔界の中央に位置する、王都スヴァネティア。
　スヴァネティアの大宮殿では、一年間にわたる異世界出張から帰還した主を歓迎するかのように、すさまじい量の仕事が発生していた。
「エキドナ様、人間界からの食料輸入とその配分についてですが――」
「エキドナ様。ヒュリテ川流域の魔素汚染についての報告書が――」
「エキドナ様。王都のはずれに野盗どもがアジトを築き――」
「エキドナ様がご不在の間に魔力炉が三基故障しました。こちらが見積書に――」
「エキドナ様、経費の書類にハンコをください」
「ええい、順番に報告しろ順番に！　あと経費の書類はシュティーナに持っていけ！」
　我は魔王エキドナ。魔界最強の魔族にして、ここスヴァネティアから魔界全土を治めている女帝である。
　この一年、我は《賢者の石》を求めて人間界へ侵攻していた。結果的に侵攻は……大失敗した、とも言えるし、大成功した、とも言えるだろう。戦争には大敗北したが、《賢者の石》は手に入った。
　そうして魔界へ凱旋した我を待っていたのは、留守のあいだに溜まりに溜まった仕事の山だった。あらゆる事柄に関する報告書、稟議書、決裁書、見積書、請求書に承認書にあああああっ多すぎる！
　多すぎるわッッ！
　バカ！　こんなんじゃ魔王だって過労死するっつーの！
　書類一枚に目を通すあいだに五枚が追加される。執務室で書類に埋もれながら、我はちらりと窓の外に目をやった。
　……この宮殿からの展望は素晴らしい。
　きらめく湖面、豊かな緑――我の心をほんの少しだけ癒やしてくれる。
　だが、忘れてはいけない。あの水や緑こそ、我を悩ませる元凶なのだという事を。
「……魔素汚染、か」
　魔界は、一見すると緑豊かな土地に見えるかもしれない。
　確かに、草木が生い茂る野がある。水が流れる川があり、それが注ぐ海がある。
　しかし、しかし――それら全ては、ことごとく魔素によって汚染され尽くされ、今なお、その汚染域を拡大し続けているのだ。
　すでに西部地域はほとんどが砂漠化してしまった。魔界中央アカデミアの研究チームによれば、過剰なマナが原因だという事だった。
　これでは緑豊かな大地も砂漠と同じだ。いや、砂漠のようにわかりやすく荒廃していないだけ、たちが悪いとすら言える。
　マナというのは、魔術の行使にはかかせぬ元素の一つだ。
　水精霊ウンディーネや風精霊シルフ。彼らが住まう《精霊界》を構成する、大いなる元素――それが、マナ。魔術というのは、呪文詠唱によって《精霊界》とのチャネルを開き、魔素と精霊の力を現世へ流入させる事によって奇跡を起こす業わざなのだ。
　魔界は魔術文化発祥の地であり、3000年以上の古くから魔術が使われてきた。
　長年に渡る魔術の行使によってマナが少しずつ現世に蓄積され、水や大地を汚染したのだ――アカデミアの調査ではそう結論付けられた。
　草も木も水も汚染された世界。
　それでも、アカデミア研究室の試算によれば、魔界全体が完璧に汚染され、誰も住めない土地になるには、まだ二十年ほどの猶予があるとされている。
　二十年……一見すると、長く見える時間だ。『そんなにあるなら余裕では？』と誰もが思うだろうし、最初は我もそう思っていた。
　だがよく考えてほしい。この二十年は『これだけ経過したら魔界は誰も住めない土地になります』という、恐怖の二十年。最終時計にも等しい二十年なのだ。ただ普通に過ごす二十年とは、重みが違う！
　混乱を招かぬよう、この事はごくごく一部の、信頼のおける者にしか知らせていないが……もし魔界中にこの事実が知れ渡ればどうなるか。むろん、恐るべき事になるだろう。
　混乱。
　暴動。
　そして『人間界を支配して我らのものにしよう』という過激派の台頭。
　そうなればもはや治世どころではない。暴王ベリアルが引き起こした、人間界侵略戦争の再来である。
　今回の戦争では我が指揮を取り、人間界への被害は最小限に留める事ができた。
『我らの目的は《賢者の石》のみ。無駄な殺し、無駄な破壊は絶対に避けよ』――甘すぎる、という反発も多かったが、結果的にその甘ったるい方針が、勇者レオとの絆を作ってくれた。
　だが、魔界の過激派は我ほど甘くはない。やつらは魔界の修羅どもだ。長い間、魔界の同種族で内戦ばかりを繰り返してきた連中だ。
　同種族に容赦しないやつらが、他の世界の住人に容赦するわけもない。過激派が人間界へ侵攻すれば最後、彼らは人間界の住人を皆殺しにしてでも、新たな住処を求める事だろう。
　それだけは止めねばならん。
　我は戦ばかりだった悪しき魔界を断ち切り、平和な世界を築く為に魔王になったのだから……！
「……ふう」
　気がつくと、だいぶ書類が減っていた。いや多いことは多いのだが、さすがに書類がおかわりされる様子もなくなり、執務室は我一人になっている。
　我は《加速術アクセラレーション》を解き、のんびりと書類にハンコを押しつつ、今後の展開について思いを馳せた。
「……まあ、問題はあるまい。なにせ我も戻ってきたし、なにより、あのレオが仲間になった！　ワイバーン事件を解決したおかげでイーリス王国との国交は回復し、人間界からの食料・水の輸入だって出来る！」
　一年前、《賢者の石》を求めて人間界への侵略を決めた時は、すべてが絶望的だった。
　《賢者の石》はなかば夢物語だと思っていた。
　恐ろしく強い《勇者》が計画を阻むかもしれぬ、という懸念もあった。
　仮に《賢者の石》を手に入れても、それで魔界の環境が回復するかは分からない……という不安があった。
　すべてがバクチだった。それでも我は、人間界へ行くしかなかったのだ。
　荒廃する魔界を救う手立ては、他に思い浮かばなかったから。
「それに比べれば、今のこの状況のなんと恵まれたことか！　水！　ごはんっ！　勇者ッ！　二十年もあれば応急処置から根本的治療までぜぇーんぶやってのけるのは容易いわフハハハーッ！」
　口に出して現状を整理していると、なんだか勇気がわいてくる！
　我はふたたび《加速術》を使い、たんとんたんとんとリズミカルにハンコを押していき、
「エキドナ。邪魔するぞ」
「……おお、レオ！
　執務室に飛び込んできた青年を見て、手を止める。
「存外早かったな。魔界を見てきた感想はどうであったか」
　我が側近の中で、もっとも複雑な出会いを果たした男。
　今では我が魔王軍になくてはならぬ男。
　四天王を、いや、魔王たる我すら凌ぐ力を持ちながら、我に尽くしてくれている男。
　彼こそが人間界の"勇者"、レオ・デモンハートであった。
　魔界にやってきてから二日間。我が仕事だとか凱旋パレードだとかの公務に忙殺されているあいだに、こやつは王都周辺を散策したり、アカデミアで調べ物をしていたりしたのだ。
　『魔界の環境を復活させるなら、まず現状を俺の目で把握しておきたい』という事らしい。さすがはレオだ、基本がしっかりしている。
「エキドナ。あのな」
「ふふふふ、一見すると自然豊かな地で唖然としたであろう。高等な叙述トリックというやつよ！　無論、お前も気づいたであろうな。この豊かな自然こそが魔界を蝕むマナの温床である……という事に。だが案ずるな！　時間はまだ二十年もあるのだ。このエキドナとその仲間たちが居る限り、魔界が滅びる事は決してない！」
「ちょっと黙れエキドナ。いいか、よく聞け」
　レオは真剣な表情を崩さないまま、座ったままの我の両肩を掴み、静かに言った。
「滅びるぞ」
「は？」
「このままだと、魔界は滅びるぞ。一年以内に」


2. 『失敗を恐れるな』という言葉の意味を知れ
「――あと一年だとおっ！？」
　思わず椅子から立ち上がり、叫んでしまう。
　レオの事は信用している。腕も確かだし、見る目もある。だがそれにしても、たった一年で魔界が滅びるというのは、さすがに話が唐突すぎる！
「おかしいではないか！　人間界からの食料輸入もはじまったのだから、むしろ魔界終焉までのリミットは伸びるべきであろう。20年が30年になるとか、100年になるとか……。それがなぜ縮まるのだ！？」
「その食料輸入がマズかったんだ。これを見ろ」
　レオが何枚かの写真を机の上に放った。
　《転写《ストックプリント》》。小型の魔眼が見た映像を他の物質に転写する、映像記録用の術。それを使って作り出したあらゆる絵を、現代では『写真』と呼んでいる――。
　そんな写真に写っていたのは、人間界産のおいしい食べ物を我先にと奪い合う魔界の民の姿だった。そしてもう一枚は、その横でどっさりと売れ残った、魔界産の『マズい』食べ物の山だ。
「人間――いや魔界の住人は魔族だが、そこは置いとく。人間はな、《《他人と比べて自分が不幸だと分かった瞬間》》、不満が一気に噴出するものなんだ。"うわっ、他の人と比べて、私の年収低すぎ……！？"みたいにな。比較対象がいなければ自分が不幸かどうかは分からないが、比較対象がいれば――」
「自分がどれだけ不幸か分かってしまう。現状を嘆き、不満を唱える者も出てくる……というわけか……！」
「そうだ。他人は他人、自分は自分、と割り切れるヤツばっかりじゃないからな。魔界産のまっずいメシしか知らない時はそれでも良かったかもしれんが、いちど人間界産の美味いメシを知ってしまったら、もう戻れない。お前だって、最近食ってるのは人間界産の食材を使った料理ばかりだろ？」
「うっ」
　レオに言われ、ここ数日間、王宮で食べた料理を思い出す。
　た、確かにそうだ……味付けこそスパイスが効いた魔界風のものが多いが、食材はみな人間界から輸入したものを使っていると料理長から聞いている。
　人間界産の食材は魔界のそれと違って毒抜きの必要も少なく、香りも風味も段違いに良い。人間界産と魔界産、二つの食材を選べるなら前者を選ぶのは当然の話である。
　それと同じ選択が、民の間でも起こっている……！
　言われてみれば、しごく当然な成り行きであった！
「輸入できる食材には限度がある。マズい魔界産の野菜を仕方なく食っていると、どうなるか――むろん、為政者のお前に批判が向く。"魔王エキドナが人間界をしっかり征服していれば、こんなマズいもんを食わなくて済んだのに"ってな。そのうちエキドナ支持派より、人間界征服を主張する過激派を支持するやつが増えていくだろう」
「本末転倒気味だが、人間界からの輸入を一時中断してもダメか？」
「逆効果だ。一度肥えた舌は戻せないし、便利な生活を経験したら不便な生活には戻れない」
　もっともな話だった。『不便だったものが便利になる』で喜ぶ事はあっても、その逆は基本的に抵抗が生まれるものだ。
　実際、考えてみてほしい。それまで出来た事が出来なくなってしまったり、日常生活で当たり前だったものが突如奪われる事を。人間界からの食料輸入を止めるというのは、そういう事だ。
「いま言ったのは衣食住の『食』の問題だが、他にも問題は山程ある。たとえば『住』――水と土の汚染度が、お前が人間界へ遠征していたこの一年間で急激に進んでいる」
　どさりと書類を置くレオ。魔界の中央アカデミアから直で引っ張ってきた、最新の環境調査結果らしい。
「なんだと……！　原因は！？」
「未確定だ。研究所の調査報告だと、《大霊穴》が開いた事により大気中の魔力濃度のバランスが崩れた事が原因……とあるが、詳細は調査する必要があるな。どちらにせよ、このままいくと食糧問題でエキドナ政権が転覆するより、環境がダメになる方が早いかもしれん」
　続いて置かれたのは、あらかじめメルネスが魔界の各地に放っていた密偵からの報告書。魔界の民の意識調査だ。
『いまの魔王は甘すぎる』『人間界との友好関係なんぞを築いてどうなるというのか』『最大の敵だった勇者とやらと仲間に引き入れたらしいが、それなら今こそ人間界を滅ぼし、移住すべきではないのか』という、非常に物騒な言葉が並んでいる。
「人材不足も深刻だ。お前は平和を愛する新進気鋭の魔王だが、新進気鋭すぎて世論がまだついてきていない。後継者が少ないんだ。やがてお前が魔王の座から退く事になった時、お前の意志を継ぐ者がいなければ――」
「……わかっている。魔界はまた暴力至上主義の世界に逆戻りし、次の魔王は今度こそ、人間界を乗っ取る為に本気の侵攻をかけるであろうな」
「そうだ。そうなれば、俺も黙ってはいられない。腐っても"元・勇者"だからな」
　レオの目は真剣だった。『俺も黙ってはいられない』――かなりソフトな表現をしているが、それは間違いなく、レオと再び敵対する事になるかもしれないという可能性を示していた。
　こいつの性格をまったく知らなかった頃ならともかく、今は、レオ・デモンハートという男の人となりを知ってしまっている。こいつがどんな気持ちで3000年を生きてきたかを知っているし、人間界を追い出された経緯も知っている。
　そんなレオを再び『勇者』に戻らせるというのは、あまりにも心が痛む。勝ち負け以前の問題だ。
「食糧問題。環境問題。後継者問題。――わかるか魔王エキドナ。お前はこれらの問題を、一年以内にクリアしなければならない」
「……」
「さもなくば、魔界は滅びの道を歩む事になる」
　頭をガツンと殴られたような気持ちだった。
　――ああ、先ほどまでの我はなんと呑気で愚かだったのだろう。
　タイムリミットが二十年後？
　レオもいるんだしゆっくり解決していけばいい？
　現状を把握していないにも程がある！　魔界の破滅は、こんなに近くまで迫っていたというのに！
　魔界に戻ってきて数日間、忙しさにかまけて現状認識を怠っていた自分への怒り。
　だがそれ以上にショックなのは、よかれと思ってやってきた事が無駄だったことだ。
　行き詰まった魔界の現状を打破するため、力の限りを注いで《大霊穴》を開いた。
　少しでも美味しい食べ物を食べてほしいと、人間界から食料を輸入した。
　魔界の民はみな争いに疲れ切っているだろうと思い、魔界史上初の『平和を愛する王』になった。レオが仲間になってからはより一層、人間界の他の国との関係改善に精を出した。
　だが、結果はどうだ。
　《大霊穴》は環境の悪化を招き、食料輸入はいたずらに民を混乱させるばかり。
　平和……平和も、どうなのだろう。結局、魔界の民は平和など望んでいなかったのかもしれん。何年も何年も争いばかりの魔界が続いてきたのだ。争いがなくなった事で活躍の場が奪われ、我を恨んでいる戦士もいるだろう。彼らや彼らの近親者からすれば、我は『魔界の民を蔑ろにしておきながら、人間界との関係ばかりを重視する』という無能な王にしか見えまい。
　我がやってきたことは、すべて無駄だったのかもしれない。
　エキドナが魔王を目指した事そのものが間違いだったのかもしれない。
　それが一番ショックだった。

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「……そうか……」
　執務室の椅子に深くよりかかり、エキドナが俯いた。
　俺の方からその表情を伺う事はできないが、落ち込んでいるのは声色からして明らかだ。
　まあ、そうだろうな。仕事の――重大な仕事の締め切りが20分の1になっただけでもショックなのに、その原因の一端が自分にあるとわかれば、落ち込みもするだろう。むしろそんな状況でなおもヘラヘラ笑っているようなヤツは、直ちに王座から引きずり落とされるべきだ。
　さて。エキドナが立ち直るまで、少し『失敗』についての話をしておこう。
　『失敗を恐れるな』。『失敗を恐れずに挑戦し続けろ』。
　誰しも、そんな言葉を一度は聞いたことがあるだろう。
　勘違いしている奴が多いのだが、これは『失敗しても落ち込むな』という事ではない。
　誰だって転べば痛いし、失敗したら辛い。痛い目にあったら落ち込んでいいし、泣いたっていいのだ。
　大いに落ち込み、大いに泣く。それまでの努力が水泡に帰った事を実感し、とてつもない徒労感が精神を蝕んでいく。
　こんなつらい思いをするなら、二度と挑戦なんかしなくていい。
　挑戦もしないが失敗もない、ささやかな暮らしを続けていけば、それでいい。
　そう思う事もあるだろう。
　そう思った上で、なお『いや、それでももう一度挑戦してみよう』という気持ちになれるかどうか。それこそが《《失敗を恐れるな》》という言葉の本質なのだ！
「……」
　だからこそ、俺は落ち込んでいるエキドナに何も言わなかった。
　俺はこいつを信じている。
　心優しいこいつが、人間界への侵攻を選んだ理由を知っている。
　魔界と人間界の共存を心から願っている事を知っている。
　――自分には生きる価値がないと思い込み、はた迷惑な自殺を考えた愚かな勇者を受け入れる度量がある事を知っている。
　こいつは――俺の知っている、魔王エキドナという女は――。
「レオよ。かつての好敵手にして、我が側近たる"元"勇者よ。この魔王エキドナから、折り入って頼みがある」
「なんだ」
　エキドナが顔をあげた。
　目元をぐいと拳でぬぐい、毅然とした態度で俺に告げる。
「……頼む。我と共に、魔界を救ってくれ！」
　そう。俺の知る魔王エキドナという女は、決して失敗を恐れない。
　どんな困難にも立ち向かう、強いやつだ。
　ならば、俺の返す言葉は決まっていた。
「――我が名は、勇者、レオ・デモンハート。特技は剣術、黒魔術、精霊魔術、神聖魔術、その他全般！　3000年もの間、人間界のあらゆる問題を解決してきた実績あり。人間界でも、魔界でも、即戦力として活躍可能……だ！」
　俺はエキドナの右手を強く握り、まっすぐにエキドナの目を見据えた。
「《賢者の石》でなく、レオ・デモンハートを選んでくれた魔王エキドナのために――人間界と魔界の共存のために。全力で、お前の願いを叶えてやる！」
「……声が大きいわ。バカ者め」
　その手をしっかりと握り返しながら、エキドナが半泣きで苦笑した。

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第二章：vs 呪術師カナン＆食糧問題

1. 結局は○○○○○が一番大事

「……で。だいたいの事情は、わかったんだけど……」
「うむ」
「よりによって、なっ……なんでこんな重汚染地域なのよ？」
　エキドナと話した翌日。俺は魔界の中でもかなり魔素汚染度の高い地域に足を運んでいた。二つの川が合流する場所で、川のすぐ近くには程々の大きさの村がある。
　今回のねらいはズバリ、食糧問題の解決だ。俺一人だと少々手が足りないので、オマケとして従者二名も連れてきている。
「誰が！　従者よっ！」
「心を読むな心を！」
「態度に出てるのよ！　お師匠様と魔王様の言いつけがなければ、あっ、あんたの命令なんか即座にシカトして、王都へ帰還してるところなのに……！」
　俺の隣を歩く女が不満げに呻いた。
　全身を覆う黒いローブに、ウェーブのかかった長い黒髪。シュティーナと同じサキュバスとは思えないほど貧相なその身体からは、色気のかけらも感じられない。
　呪術師《カースメイカー》のカナン。
　四天王シュティーナの一番弟子にして、思い込みが激しすぎる女。
　イーリス王国でヴァルゴと共に黒化ワイバーン事件を起こした女――こいつが今回の仕事のパートナーだった。こいつとこいつの相棒の力は食糧問題と相性が良いため、俺が指名して王都から連れてきた形だ。
「とにかく、まずは食糧問題を解決したい。人間、住む場所があってハラが満たされてれば、ある程度までの不満は許容できるものだからな」
「解決、って簡単に言うわね。具体的にはどうするわけ？」
「魔界の汚染された土でも人間界の食物が育つよう、種子や苗の時点で品種改良を加える。重度に汚染されたこの地方で育つよう改良された品種なら、それ以外の土地でも問題なく育つだろ」
　俺はポケットから小さな麻袋を取り出し、カナンに見えるように振ってみせた。カサカサという音がするそれの中には、人間界から持ち込んだ様々な種子が入っている。
　カナンの表情は晴れない。じっとりとした目を俺の方へ向けてくる。
「……そういう生命操作って、呪術師のあたしが一番苦手な分野なんだけど。あんた、それを分かった上で言ってるわけ？」
「お前は苦手でも、オトモダチの方は生命操作のエキスパートだろ。なあー、ヴァルゴ？　そんな格好になっても、DHシリーズ随一とうたわれた回復呪文の腕は衰えてないもんなー？」
『チッ』
　カナンの左肩に乗っている、イビツな人型をした20cmほどのぬいぐるみが舌打ちした。
　ぬいぐるみ――そう、本当に、布で作られた普通のぬいぐるみだ。
　適当な四つ穴ボタンで出来た両目に、糸でジグザグに縫い合わされた口。幼い子供向けとも思えるデザインは、どこかコミカルで可愛らしい。
　だが侮ってはいけない。これこそ、シュティーナの一番弟子であるカナンが総力を注いで作り上げた『義体』。
　コアである《賢者の石》だけになってしまった俺の兄弟――DH-06[ヴァルゴ]の仮住まいとして彼女が用意した、彼のニューボディなのである。見た目はアレだが、内側にも外側にも高価な素材をふんだんに使っているせいか、《賢者の石》のパワーに耐えきれず自壊する恐れは……今のところは、なさそうだった。見た目はアレだが。
　先ほども言った通り、イーリス王国での黒化ドラゴン騒ぎはカナンとヴァルゴの仕業だった。
　今回の仕事は二人への反省を促すのと同時に、二人がどれだけ魔王軍にとって有益かを見極める実地試験でもある。使えるようならちゃんと褒美を出すし、反抗的ならば監視措置などを強めるという方向でエキドナとも合意済みだ。今回の俺は、いわばこの二人を面接する立場なのである。
　……いやァ～、気分がいいなあ！
　かつてはシュティーナからもエキドナからも邪険にされ、お試し採用止まりだった俺が、今となっては魔王軍の試験官ときたものだ！　こいつらのクビを切るも切らないも俺次第！　神の如き力を手に入れた気分だ！
「アンタ、またムカつくこと考えてるでしょ」
「……ソンナコトナイヨ。よし、このあたりでいいか」
　俺たちが足を止めたのは、村と川の中間地点にある平地だった。
　背の低い草が生い茂り、土も柔らかい。もし村の人間が新しい畑を作るなら、この辺だろう。
「ここの土を使って品種改良実験を行う。ヴァルゴ、土壌と水の成分分析頼む」
『いいけどよォ。おいレオ、今度は約束忘れんなよ』
　すとん、と可愛いぬいぐるみらしからぬ綺麗なフォームで地面に降り立ったヴァルゴが、げしげしと俺の足を蹴ってくる。
「わかってるよ。この仕事でお前たちがしっかりと成果を挙げたなら――」
『俺にはちゃんとしたボディを与えろ。先日から続いてるカナンの監視措置も解いてやれ』
「そ。約束は守るから、安心しろ」
『分かってるなら問題ねえ。こんな地味な仕事、速攻で終わらせてやるよ』
「……ね、ねえ、ちょっとレオ。ねえ」
　そう言って土をいじりだすヴァルゴを見、カナンが心配そうに耳打ちしてきた。
　俺は剣を鞘に入れたまま地面に押し付け、畑にする区画がわかりやすいように溝をつけながら、それを聞く。
「とりあえず、第一弾は30メートル四方もあればいいかな……なんだよカナン？」
「なんだよじゃないわよ！　きょっ、兄弟なら分かるでしょ？　成分分析って……そりゃ確かに、生命操作や生命探知の応用で成分調査はできるし、そういうのはヴァルゴの得意分野なんだろうけど……」
「けど？」
「…………。あいつは、《《あの》》ヴァルゴよ？　《《ド》》脳筋よ？　ぶっちゃけ、ちょっと賢い大型犬みたいなもの……いや、犬とさして知能レベルは変わらないと思うわ。無理でしょ」
　……ああ、なるほど。
　そういうことか。こいつは、ヴァルゴの一側面しか知らないんだな。
　確かに、ヴァルゴはDHシリーズの中でもだいぶ粗暴なやつだ。深いことは考えず、強敵を見かければとりあえず正面から殴りかかり、ちょっと複雑な話をすると『そういう話は興味ねえ』とすぐにそっぽを向く。カナンが彼の事をアホ脳筋だと思うのも無理はない。
　しかし、違うのだ。
　俺の知るヴァルゴは一言も『難しい事は分からない』とは言わなかった。
　彼はただ、つまらない事はやらない主義なだけなのだ。
　ほら、話術でもあるだろう。場の空気を読む、というやつ。
　会話のテクニックのひとつに、『あえて場の空気を読まない』というものがある。それまで形成されてきた空気感を一言でブチ壊し、交渉の主導権を握るのだ。
　場の空気が読めないのと、空気『を』読まないのは、違う……ヴァルゴの知能レベルも、それと同じ事が言えた。
『レオ』
「おう、分かったか」
　地面に四角を描くようにして一周してくると、丁度ヴァルゴの方も土の分析を終えたところのようだった。立ち上がり、（ぬいぐるみのくせに）頭をかきながら報告する。
『――まず魔術的な観点から述べるぞ。やはり四元素すべてが汚染されてる。地、風、火、水……まるで核戦争でも起きたみたいな汚れ方だ。濃厚な魔素が伝搬しないよう、種や苗には抗魔術防御を三重にエンチャントしろ。相手が土だからって火属性耐性を疎かにしたりするなよ？　地熱経由で、汚染された火のマナが土の中に溶け込んでるからな』
「分かった。科学的な観点はどうだ」
『ここも昔は戦場だったんだろうな。おおかた、錬金術師《アルケミスト》どもが怪しげな毒薬を使いまくったんだろう。第2種特定有害物質――水銀やら鉛やら、二硫化セレン、メチルジメトンに近いものまで溶け込んでいる。微生物分解《バイオレメディエーション》出来るものは俺の方でやるから、それ以外はお前の方でなんとかしろ』
「OK、十分だ！　さすがヴァルゴ先生、おみそれしました！」
『なにがセンセイだ。テメーもやりゃあ出来るだろうに』
「俺の技術はどこまでいっても他人の模倣だからな。専門家には一歩及ばないっていうか、ぶっちゃけ、普通に疲れるんだよ。こういう分析は、やっぱお前みたいな生命操作の専門家にやってもらった方がいい」
『どうだかな。どうせエキドナから"俺とカナンの仕事っぷりを評価しろ。お前はなるべく仕事をせず、見る側に回れ"とか言われてんだろ？　食えねえ野郎だぜ」
「まあまあ。じゃ、続けて水の方も頼むわ。川はすぐそこだし」
『あいよ。……それにしてもビックリだぜ。ベースとなっている土の構成成分は、人間界のそれと99.8%同じだ。これ、西暦の頃の学者どもが唱えてた『魔界は地球の小規模コピー惑星』みたいな説が一番近いんじゃねえか……？』
　そう言って、ざくざくと土を踏んで川の方へ歩いていくヴァルゴぬいぐるみ。
　その後ろ姿を見ながら、俺の隣に立つカナンはアホみたいに口をぽかんと開けていた。
「えぇ……嘘でしょ……」
「お前、ヴァルゴから俺たちの出自は聞いてるんだよな？」
「き、聞いたけど。3000年前のベリアル遠征の頃に、人間界の古代魔術師たちが作ったホムンクルスだって……」
「そう。俺たちは科学文明出身だ。当時の科学の粋を集めて造られ、あらかじめあらゆる分野の知識をインストールされた上でこの世に生まれた。たった十二人しかいない、人間界最強の決戦兵器だ。そんな存在を、当時の科学者たちが『ド脳筋のアホ』に設計するわけねぇーだろうが」
「……た、確かに……」
　複雑な表情をしているカナンに向かい、どやっ、と胸を張る。
　ふふん、そうとも！　俺たちはDH《デモン・ハート》シリーズ。人間の心と悪魔の力、その両方を宿して生まれた、世界の救世主！
　俺と、俺の兄弟を見くびってもらっては困るのだよ、カナンくん！
　ともあれ、何がどう汚染されているのかは分かった。これなら人間界から持ってきた種や苗を品種改良するのも、そう手間はかからないはずだ。
　俺はヴァルゴが水の分析をするのを待ちながら、のんびりと畑を耕していった。
　局所的な時間操作呪文を使用すれば、この畑いっぱいに人間界のおいしい野菜やお米が実るのも、そう遠い日ではあるまい。ははははっ、食糧問題恐れるに足らず！　フハハハーッ！

　……だが。
　そんな俺の驕りは、三日後に近くの村で開かれた試食会で脆くも崩れ去る事になる。
「……マズいですな……」
「へ？」
「いえ、レオ殿の苦労を考えると、大変申し上げにくいのですが……この野菜、あまり美味しくありません」
　村長の老人が首を振り、木製フォークをテーブルに置いた。

　……訂正。
　食糧問題、結構難しいわ……これ……。

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「――《雷槍撃《ライトニングスピア》》！」
『ギュロロロロロォォ――――！』
　試食会の翌日。
　畑に入り込もうとしていた野良魔獣を適当な呪文で撃破し、俺は何度目か分からないため息をついた。
「……やれやれ。こんな事やってる場合じゃないんだけどな……。おいカナン、畑に張ってある呪術結界をもう一段階厚くしろ。悪意を持って畑に侵入しようとする奴は問答無用で半殺しにされるくらいでいいぞ」
「分かってるわよ。あっ、アンタの方こそ、仕事は進んでるわけ？」
「進んでるように見えるか？」
「見えないわね……朝からため息がウザいもの」
　いま俺たちが居るのは、畑の横に急遽用意した掘っ立て小屋だ。食材の品種改良なんかすぐ終わるだろうと思って適当な住居にしたのだが、このままだと本格的な家を建てなければならなくなりそうだった。
　――魔界の土で育つよう品種改良された人間界の食べ物が、マズい。
　試食会の結果は、そういう事だった。
　いや、正確に言えば『マズい』とまでは行かず、『イマイチ美味しくない』程度らしいのだが、予想もしていなかった反応なだけに、正直言って戸惑いを隠せない。
　ためしに自分たちでも品種改良した野菜や米を食べてみたが、味は圧倒的に『人間界の食材＞魔界の食材』だった。
「しかも、このアンケート結果がまた、なあ……」
　王都のシュティーナから送られてきた情報によると、最近では人間界から輸入した食べ物の売上がだんだんと落ちてきているらしい。
　そのうえ、商店や酒場で一般人から取ったアンケートによると、
『魔界の食べ物はマズい』
『人間界の食べ物は、魔界の食べ物より美味しい』
『だが、どちらを食べたいかと言われたら、食べたいのは魔界の食べ物』
　――という、なんとも意味不明な答えが多かったらしいのだ。
『"美味しいのに食べたくない、その理由はなんでしょう？"――か』
「どういう事だよ……美味いのが人間界の食い物なら、食べたいのも人間界の食い物になるはずだろ……」
「味自体は人間界の方が上、っていうのはみんな分かっているみたいよね。そのうえで、にっ、人間界の食べ物を食べたくない理由って……なにか、あるのかしら……」
　俺とヴァルゴとカナン、三人でうーんうーんと考え込むが、なかなか答えが出ない。
「カナン。お前はどうなんだ？」
「なにが？」
「俺やヴァルゴと違って、お前はこっち出身の魔族だろ。人間界の食べ物が口に合わなかった経験とか、クソマズいはずの魔界の食べ物を食べたくなる理由とか、そういうのは思い当たらないのか？」
「んー……無いわね、悪いけど。そりゃあ、最初に人間界に行った時は驚いたわよ。みっ、緑色の葉野菜を生で食べるとか、正気とは思えないし……。でも魔界で取れる食べ物とは味も栄養も段違いだもの。すぐに慣れたわ」
　俺も魔界に来てから知ったのだが、緑色というのは魔界において毒のイメージが強く、緑の食べ物というのはあまり一般的ではないらしい。
　料理や食べ物の見た目というのは非常に重要だ。見た目が悪い料理というのは、どんなに味が良くても、どんなに栄養価が高くても見向きもされない事が多い。
　以前俺が料理ギルドに所属していた時もそうだった。あの年はとにかく紫芋と紫キャベツが豊作で、ギルドが直運営しているレストランでもその二つを使ったメニューを出しまくったのだが――それが思った以上に不評で客離れが起き、大変なことになってしまったのだ。
　たとえば紫芋のスープ。青紫色の濁ったスープに各種野菜を入れて煮込み、コンソメや塩コショウで味付けするものなのだが、一番不評なのはこれだった。
　味には自信があったのだが、なにせ見た目が悪い。毒々しい青紫色の液体というだけで食欲を奪われる人間が多いうえに、そのスープで念入りに煮込まれた具材もまた、軒並み腐敗したような青紫色に染まっているのだ。残す客は後を立たず、固定客は4割減。危うくレストラン自体が潰れかねなかった。
　この一例からも分かる通り、食べ物の見た目というのはやはり重要なファクターである。その点で言うと、魔界の食べ物は魔素汚染のせいか、変な触手が生えていたり捻じくれていたり、なんかとグロテスクなものが多い。
　今回の品種改良ではそうならないよう、細心の注意を払って見た目を維持している。魔界の食べもののようなグロい見た目にならないよう、人間界で慣れ親しんだそのままの形で食卓へお届けし――――――。
　あっ。
　……そ、そうか……！
　分かった。
　わかったぞ！
　俺は最初から答えを知っていた。
『美味しいし栄養もあるんだけど、食べたくない』。
　そんな問題を解決する最後のキーワードは、味や栄養価ではなく――『見た目』だったんだ！
　――ドガガガガン！
「……うおおっ、なんだ！？」
　その時だった。ふいに小屋全体に凄まじい衝撃が走り、俺の思考は完全に中断された。
　だあーっもう、誰だよ……！　せっかく答えが見えたところだったのに！
「ボーっとしてんじゃないわよ。外見なさい、外」
「外？」
　面倒臭そうな顔で窓の外を指差すカナン。そちらに目をやると、ガラの悪い男たちが10人ほど、ゆっくりと俺たちのいる小屋に近づいてきているのが見えた。小屋の屋根がじわじわ燃え出しているところを見ると、今の衝撃はあいつらが《火炎矢ファイアーボルト》あたりを放ったのだろう。
　炎や水で建物を攻める。
　パニックになって飛び出してきたところを、集団でボコる。
　これは腕の立つ騎士団や傭兵団でも採用されているポピュラーな戦法だ。なるほど、魔界の盗賊団というのは人間界のそれと違い、結構頭が良いらしい。
「――ヒャッハー！　出てこいよォ～農家のお二人さんよォ～！」
「大人しくその小屋と畑、あと有り金全部を差し出しな！　そうすりゃ手荒な真似はしねーよ！」
「まあ……女の方は俺たちのオモチャになって貰うけどな。ヒャーッハッハー！」
「ヒーッヒッヒッ！」
　……前言撤回。
　どこに行っても変わらないな、この手の連中の頭の悪さは……。俺は威力をギリギリまで落とした《氷針アイスニードル》で火を消し止め、小さくため息をついた。
　おそらくこいつら、俺たちが農場を始めた事をどこかから聞きつけてやってきたのだろう。
　育てているのは市場で高級品扱いされている人間界産の野菜や果物で、オマケに農場側の戦力は貧弱そのもの。いかにも非力そうなサキュバスカナンと、これまた弱そうなヒョロい純人間俺の二人だけ――ヴァルゴ（ぬいぐるみのすがた）に至っては戦力にすら数えられていないだろう。そりゃあナメられるよなあ。
　だが、この事実。
　見た目でナメられているという事実こそが、先程ひらめいた俺の仮説を裏付けるものとなっていた。
「なるほどなるほど。やっぱ見た目が一番なんだな、うん」
『なに一人で納得してんだよレオ。さっさとブチ殺すぞ』
「さすが魔界ね。こっ、こういうクソみたいな絡まれ方すると、地元に帰ってきた～って感じがするわ……。レオ、全員殺していいわよね？　ナメられたら終わりだし」
　物騒な事を言いながら、ヴァルゴとカナンが外へ出ようとする。
「不本意だけど、しばらくはここに長居して、本腰入れて農園仕事するしかなさそうだわ。ここはビシッと皆殺しにして、"近寄ったら死ぬ"って他の盗賊団にも教えてやらないと」
「いや、その必要はない」
　俺は首を横に振って否定し、
「あいつらは殺さず生け捕りにしろ。明日にはここを引き払って別の地方に旅立つから、あいつらは農場の労働力としてコキ使う事にする」
「は！？　どういう意味！？」
「フフフ……わかったんだよ、解決方法がな。俺は早速品種改良に取り掛かるから、外の連中の処理は頼む。じゃあな」
「……ちょっ、レオ？　ちょっと！」
　背後で騒いでいるカナンを放置し、俺は作業用に隔離された奥の部屋に移った。そして収穫したばかりのトウモロコシを手に取り、《物質変性オルタレーション》の呪文を使って野菜の見た目だけをいじりだす。
　予測が正しければ、食糧問題はこのやり方で解決するだろう。
　つまり――人間界の食べ物を、見た目だけ魔界の食べ物のそれにすることで、この問題は解決するはずだ――！

=========================================

「……なんッなのよあいつは！　ずーっと黙りこくってたと思ったら、急に"分かった"ですって？　一人で勝手に考えて一人で勝手に解決するんじゃないってのッ！」
　レオが作業室に籠もった直後。
　あたしはありったけの愚痴をぶちまけながら、ヴァルゴと一緒に小屋の外へ出ていた。
「出てきたなァ～！　おい！　俺たちはなあ、泣く子も黙る」
『もっと言ってやれカナン。俺らDHシリーズは何かと単独行動が多かったからな。ついつい自分ひとりで考えて、自分ひとりで結論を出して行動……いや、暴走しちまう。悪いクセだ』
「……ヴァルゴ。アンタが言うとすっごい説得力あるわね、それ……レオも昔からそういう性格だったわけ？」
「聞けッ！　俺たちはなあ！」
『いや、昔はもっと優等生で、物静かで、落ち着いたやつだった』
「へえーっ、ぜんっぜん想像できないわね！」
『レオの変わりようは凄いぜ。いやマジで、3000年前のレオの姿をお前に見せてやりたいもんだ』
「思い出話でもいいわよ！　聞かせて聞かせて！」
「あ、あのー……ちょっと……」
「何よもう！　うっさいわね！」
　ヴァルゴと話してるのに、さっきからどうも横槍がうるさい。声のする方を向くと、そちらには畑を囲むようにして遣る瀬無く突っ立っている盗賊どもがいた。
「あー……そうね、あんたらが居たわね。さっさと失せなさい。10秒以内に視界から消えれば、特別に見逃してやらない事もないわ」
「ザケんじゃねえ！」
　先頭に立つ人狼ワーウルフの男が大型のナイフを振り回した。トウモロコシが一房二房、茎ごとぶった切られて地面に落ちる。
　ああもう……！　畑を奪いに来たのに、自分から作物をダメにしてどうするのよ。これだから魔界の蛮族って嫌い。ホント嫌い！　インテリ以外は全員死ねばいいのに！
「いいかァ？　俺たちはなあ、泣く子も黙る、クライン盗賊団様よ！」
「ふーん」
　ずい、と人狼が前に出た。こいつがリーダーなのだろう、他のやつらは一歩引いたところで成り行きを見守り、いつでも応戦できるような構えを取っている。
　……無駄な事だ。この畑の周囲には、あたしの呪術結界が張り巡らされている。ナントカ盗賊団全員は、既にその結界内にどっぷり入り込んでしまっている。
　上位呪術師が張った結界内に無策で入り込んでいる時点で、こいつらの負けは確定。実力の程も知れているというものだ。
「今日からこの小屋と畑はクライン盗賊団のモノだ。死にたくなけりゃあ、金目のものを全部差し出してこっから失せな！」
「小屋と畑とお金ね。それだけでいいの？」
「いーや。お前も戦利品として扱わせてもらう」
　男たちのねっとりとした視線があたしに集中した。
　……あたし、自慢じゃないけど、サキュバスとしてはかなりこう……魅力に欠ける方だと思うんだけど。女ならなんでもいいのかしら、こいつら……。
「お前は今日からこのルード・クライン様の情婦だ。そのかわり、お前の夫は見逃してやる。悪い条件じゃねーだろう？」
　は？
「は？　なに？　夫……？」
「しらばっくれてんじゃねえ！　家の中に閉じこもってるヒョロい純人間だよォ！」
「……」
「夫婦で仲良く田舎で畑を耕してスローライフとか考えてたんだろうが、残念だったなァ！　お前らのスローライフはここで終わりを迎えるのよォ！　ハーッハッハッハァー！」
「…………」
　ふるふると震えるあたしを見て『怯えている』と思ったのか、盗賊どもはニヤニヤとした笑いをこちらに向けている。
　当然、怯えているわけではない。
　今のあたしを支配しているのは、100%純粋な怒りだった。
　よ、よりによって……。
　あたしが不在の間に、いつの間にかお師匠様に近づいていたクソ虫レオと一緒に仕事をするだけでも、耐え難い事なのに……。よりによって、よりによって！
　あいつと夫婦扱いされるなんて！
　――うん、決めた。決めたわ。
　殺そう！
　こいつらは、なるべく苦しめてから殺そう！
　からん、からん。
　あたしは腰に下げていたハンドベルを鳴らし、その場の全員に呪言を投げかけた。
「――《律言縛身、四肢封印》。シェイドとハデスの名のもとに告げる――クライン盗賊団よ、その場を動くな」
「うっ！？」
　盗賊どもの動きが一斉に止まった。
　先頭に立つ人狼ルードだけではなく、他の奴ら――実に十人以上いる盗賊全員が、ピクリとも動けないでいる。
「なッ……なんだ！　動けねえ！」
「お頭ァ！　こっ、これ、呪術だ！　この女、呪術師ですぜ！」
「なんだとォ！」
「……おバカ。術中に嵌ってから気づいてどうするのよ」
　これがあたしの――呪術師の戦い方だ。呪術師は武器らしい武器を持たないが、かわりにこうして、様々な呪文が付与エンチャントされたベルやオーブを使って戦う。
　このベルに付与されている呪文は《麻痺呪カースドパライズ》。ただ念じながらベルを鳴らすだけで――意識を保ったまま四肢の自由だけを奪う、恐るべき呪術が発動する。
　原理としては、古代の呪具『マニ車』と同じだ。ベルの側面には呪言が刻まれており、更にベルの内部にも《麻痺呪》のスクロールが内蔵されている。ただ念じながらベルを鳴らすだけで、呪言一回分の呪いが対象に降りかかる。
　そして、呪術結界。いま居る畑を中心に、蜘蛛の巣のようにあたしの呪術結界が張り巡らされているわけだけど、この結界内では呪言の効力が通常の3倍から5倍にまで膨れ上がる！
　誘い込んで、殺す。これが極悪ダンジョン職人とうたわれたあたし、《迷宮高弟メイズメイカー》・呪術師カナンの真骨頂！
　
　あたしを非力な女と甘く見た盗賊どもは、至近距離で超増幅されたベルの音を聞いてしまった。呪いは体中に染み込み、もはや指先一つ動かせないだろう。
　結界に相手を取り込んだ時点で、勝利はほぼ確定。
　あとは――ただ静かに命ずるだけで、戦いは終わる。こんな風に。
「《自壊勅命》。ルード・クラインよ、自害――」
『おいカナン。殺すなよ』
「……ルード・クラインよ。死なない程度に自傷せよ」
　ざくり。
　ナイフを握ったルードの手がひとりでに動き、自分の太ももに深々とナイフを突き立てた。
「ウギャアアアーッ！？」
「ちょっと浅かったわね。《自壊勅命》。重ねて、死なない程度に自傷せよ」
　ざくり。ざくりざくり！
「ウギャーッ！　ギャーッ、ギャーッ！」
「あ、他のも同じね。えーと、エイドン・オウマ。死なない程度に自傷せよ。ケン・グラスター、死なない程度に自傷せよ」
「なっ、なんで……俺は名乗ってなっ、名乗ってないのに、ギャーーーッ！」
「あたしを誰だと思ってるのよ。大魔導師シュティーナ様の一番弟子よ？　相手からの名乗りなんか必要とするわけないでしょ……」
　今あたしが発動させている呪文は《死神の目ミドラズアイ》。これを使うと、相手の名前がそれぞれの頭上に表示されるようになる。
　もともとはどこぞの呪術師が編み出した術だ。「えっ、名前が見えるようになるだけ？　ショボッ！」と思われるかもしれないが、呪術師にとって『相手の名前を握る』というのは、『相手の命を握る』のと同義なのである。ご覧の通り。
　ざくり！
「ギャーッ！」
　ざくざく！
「ウギャーッ！」
「うぐぐぐッ……ぬおおおーッ！」
「あら」
　このままたのしい自傷パーティーが続くかと思われた中、唯一、人狼ルードだけが呪いを強引に《無効化レジスト》した。さすが腐ってもリーダー格、それなりの実力はあるらしい。
「ハーッ、ハァーッ……こ、このアマァ……！　女だからってもう容赦しねえぞ！　アジトに連れ帰って、死ぬより苦しい思いを味わわせてやる！」
「あら怖い。じゃあ、そうね。いい加減手加減して戦うのも疲れてきたし……そんな怖い人には、怖い人をぶつけるとするわ。ヴァルゴ、いい？」
『当たり前だ。さっさとやれ！』
　あたしは肩の上に乗っていたヴァルゴを思い切り空中に放り投げた。
　そして、レオから教わったキーワードを口にする。
「――《封印解除ブールナー・アーラーム》。好きに暴れなさい、ヴァルゴ」
　――ドン！
　あたしの頭上……ぬいぐるみヴァルゴを投げた先で、凄まじいエネルギーが迸った。まるで人間界の太陽が間近に具現化したかのような熱、光、生命力が、そこら一面にばらまかれる。
　熱と光の主が落ちてくる。彼は片膝をつく形で地面に着地し、高らかな笑い声をあげた。
「ふ……フフフフフ」
　光が晴れていく。
　そこに立っているのは、もはやぬいぐるみではなかった。
「くくくくくっ！　クハハハハハハハハハハハッ！」
　背の高い銀髪の男がゆっくりと立ち上がる。
　そして、歯をむき出しにして愉快そうに笑った。……全裸で。
「戻ったッ！　戻ったぞ！　俺の腕……俺の脚！　正真正銘、俺の肉体だ！」
「ギャーッ！！　ちょっとヴァルゴ……！　服！　なんでもいいから服着て、服！」
「うるせえ！　少しは余韻に浸らせろ！　ああ……ぬいぐるみも悪くねえと思いはじめてたところだったが、やっぱダメだな。こっちの方が見た目も、機能も、一億倍いい！」
　……はあ……。
　これが、あたしの作ったボディにレオが追加した新機能。マスターたるあたしの権限により、限定的にヴァルゴを本来の姿に戻す、《封印解除》機能だった。
『――ヴァルゴは3000年間、コアだけの状態で地中に埋まっていた。俺なら完全なヴァルゴのボディを作る事もできるが、まずは負荷の弱いボディから徐々に慣らしていったほうがいい』
『ぬいぐるみボディのことね』
『そうだ。さっき教えた《封印解除ブールナー・アーラーム》の呪言でヴァルゴを一時的に本来の姿に戻せるが、もし異常があったら、すぐに《封印デナー・アーラーム》でぬいぐるみの姿へ戻せ。せっかく会えた兄弟なんだ……つまらない事故で、あいつを失いたくはない』
　それがレオの言い分だった。兄弟想いというか、過保護というか……。
　今回の仕事にあたしとヴァルゴが連れてこられたのは、このボディの試運転的な側面もあったのだ。どうせこういうチンピラが絡んでくるだろうと思っていたし。
　……しかし、まさか封印解除後に全裸で現れるとは思わなかった……。
　これが町中だったらどうするつもりだったのよ、あいつ！
　ひとしきり笑ってようやく満足したのか、ヴァルゴが《変装ディスガイズ》の呪文を無詠唱で発動させた。魔界の濃厚な魔素があっという間に彼の全身を覆い、衣服を構築していく。
　三千年前に彼が愛用していたという、合成素材で出来た黒いアームドスーツ。
　その上からラフに羽織った、白い軍用ジャケット。
　そこに立っていたのは……間違いなく、レオから聞いた、3000年前のヴァルゴ本来の姿、そのものだった。
「さァて……！」
「ヒッ」
「お前ら。ナントカ盗賊団。お前らは本当に運がいいなァ……！」
　ヴァルゴが獰猛な魔獣のような息を吐き出しながら、人狼ルードに向き直った。
　今のヴァルゴから立ち上る魔力は凄まじい。触っただけで――いや、近寄っただけで弱者は跡形もなく蒸発してしまうような、溶岩流のような獰猛な魔力が溢れ出ている。
　さすがのチンピラ盗賊も力量差を感じ取ったのだろう。じわじわと後ろに下がる。
「本当に運がいい！　このヴァルゴ様が復活する瞬間に立ち会えたんだからなあ！　お前らは……お前らは、特別に……」
　ヴァルゴの姿が消えた。そう思ったときには、既に人狼ルードの背後に回り込み、関節技をキメている。あたしの目では追い切れない速度だった。
「があああああ！？」
「特別に！　念入りに！　半殺しにしてやるから、喜べよなァ！　クハハハハハハァーッ！」
「か、頭ァ！　いま助けに」
「あっ動いてる。《律言縛身、四肢封印》。《自壊勅命》。重ねて命ずる、自傷せよ」
「イギャアアアアーーーッ！」
　あたしとヴァルゴ。二人の力で、為す術もなく壊滅していく盗賊団。
　……ああ、思えば。
　思えば、呪術師になってからのあたしは、いつも一人でダンジョンに籠もっていた。お師匠様以外の誰かとこうして連携して戦うのなんて、生まれて初めてかもしれない。
　ヴァルゴとの出会いは奇跡のようなものだった。
　たまたまダンジョン拡張中に土中から彼のコアを掘り当てた。
　打倒勇者レオの臨時同盟を組み、イーリス王国で騒ぎを起こした。
　結果的に……あたしとヴァルゴ二人の力を合わせてもレオには勝てず、今ではこうして一緒に、同僚として過ごしている。
　色々あったけど、ヴァルゴという男は、あたしにとって生まれてはじめての――肩を並べて戦える、背中を預けられる親友なのだ。
　ヴァルゴと出会う切っ掛けをくれたレオという男に、少しは感謝するべきなのかもしれない。
「そのまま抑えとけよォカナン！　一人ずつじわじわ潰していくからよォー！」
「分かってるわよ！」
　いつの間にか笑っている自分を自覚しつつ、あたしとヴァルゴは盗賊団を殲滅していった。

=========================================

　――翌日。
　畑を残して出発の準備を進める俺とカナンの横では、ヴァルゴの大声が響きわたっていた。
「――よォしお前ら、もう一度だ。もう一度、お前らを倒した偉大なる二人組の名前を言ってみろ。魔界中に響き渡るくらいの大声でな。さん、はい！」
「「「――ハイ！　僕たちを倒したのは、偉大なるヴァルゴさんと、美しきカナンさんです！」」」
「そうだ。じゃァ、お前らはいったいなんだ？」
「「「十人がかりでもヴァルゴさんとカナンさんに勝てなかった、ウジ虫の集団です！」」」
「オーケー。じゃァ、そんなウジ虫どもはこの先どうする？」
「「「死ぬまでこの農園で働きます！」」」
「約束破ったらどうなるか、分かってンだろうな？　カナンの《制約魔術《ギアス・スペル》》が発動して、お前らは内側から爆発して内臓をぶちまける事になるからな」
「ヒッ……か、勘弁してください！　ヴァルゴの兄さんとカナンの姐さんには、もう二度と！　けっして！　逆らいませんので……！」
「魔獣や他の盗賊団も撃退するか？」
「もちろんです！」
「がんばります！」
「俺たち、今日から盗賊団辞めて農家になります！　マジで！」
「よォし！　んじゃもう一回復唱だ！　お前らを倒した偉大なる二人組の名前を言ってみろッ！」
　ぺこぺこと頭を下げるナントカ盗賊団。ここらではそれなりに腕の立つ連中だったようなのだが、こうなってしまうと見る影もない。
　まあ、相手が悪かったよな。人類最強のDHシリーズの一人に、魔王軍の準幹部だ。そこらへんの盗賊団が勝てるわけがない。
「……楽しそうだなー、ヴァルゴ……」
「そりゃそうでしょ。まともなボディが手に入った上、食糧問題も解決したんだから」
　――結果的に、俺の目論見は大成功した。
　つまり……食べ物の見た目を、魔界産のものに変える。
　ただそれだけで、それまで"美味しいんだけど、あんまり食べたくない"という評価だった人間界産の食べ物は、一気に魔界の人々に受け入れるようになった。
「わからないものね。味も栄養価も変化なし……ただ見た目を弄っただけで、そんなにも食べ物の評価が変わるものかしら」
「変わるよ。大いに変わる。以前――3000年前、お前ら魔界の軍勢が攻めてきた頃な。人間界は一時的な食糧難に陥ったんだが、そこで昆虫食が提案されたんだ」
「昆虫食？」
「ああ。野菜や肉のかわりに、バッタとか芋虫を食べるんだ。栄養豊富で美味いんだが……その、見た目がアレでな。受け入れられない人間が多かった。"虫を食べるくらいなら餓死する"なんて言う奴もいたくらいでな。それくらい、食べ物の見た目ってのは重要なんだ」
　昆虫食。
　一部の地域ではメジャーだが、それ以外の地域ではかなり敬遠されがちな食文化。
　芋虫だとか、バッタだとか、ハチの幼虫だとか、台所によく出没するアレだとか……あれがパンやお米のかわりに食卓にあがる。
　もちろん食用に育てられた種だから、毒も無いし菌もついていない清潔なものなのだが、それでも『虫を食べる』という行為自体に本能的な忌避感を持つ人間は、かなり多い。食糧難の時代であっても、平然と虫を食えるのは、子供の頃から昆虫食文化に慣れ親しんできた人間くらいだった。
　今回もそれと同じ事が言えた。
　どんなに栄養価が高く、どんなに味が良くても――見た目が悪い、あるいは見慣れない姿の食べ物というのは、常用食品には圧倒的に向いていない。
　『美味しいけど食べたくない』という評価は、矛盾しているようであって間違ってはいなかったのだ。
「逆だったんだ。俺は最初、"魔界産の食物にありがちなグロい見た目にならないように"という点を重視していたが、ずっと魔界で暮らしてきた魔族にとっては、むしろその『グロい見た目』こそが普通なんだよ」
「そっか。考えてみれば、人間界の連中は普通に緑の葉っぱをむしゃむしゃ食べているものね。あたしたちから見て毒っぽいものが、向こうの世界では普通……輸入の時は、そこに気をつけないといけないってわけ」
「ああ。お前、昨日も"緑色の葉野菜を生で食べるとか正気とは思えない"って言ってただろ？　その言葉が切っ掛けで閃いたんだ。やはり、魔界出身のお前を連れてきてよかった。サンキューな、カナン」
「……な、なによ。別に、仕事だから。当然のことをしただけよ」
　ぷいと横を向くカナン。
　実を言うと、今回の仕事のねらいは四つあった。
　一つ目は、食糧問題の解決。
　二つ目は、ヴァルゴとカナンの仕事っぷりの観察。
　三つ目は、《封印解除》システムを使ったヴァルゴの新ボディの試運転。
　そして、残り四つめは――ソリの合わない同僚との関係改善。
　すなわちカナンとの仲直りだった。
　そもそも、カナンが俺に対して辛辣なのは、初期のシュティーナやエキドナと同じ理由――敵対していた頃、俺にこっぴどくやられたからだ。加えて、ヴァルゴ＆カナンとの戦いでカナンの命を俺が救った事もあって、『怨敵に助けられてしまった』という恥のようなものもあるらしい。
　……まあ、それ以外にも『レオは|お師匠様《シュティーナ》の貞操を狙うクソ虫』という根本的な誤解があるのだが、そこは置いといて……。
　カナン自体、あまり素直な性格ではない。このままではどんなに一緒に仕事をしても、『かつて敵だったアンタの事なんて認めない』とどんどん意固地になってしまうだろう。
　これでは仕事のパフォーマンスにも影響が出てしまう。俺としてはなんとかして、早いうちにカナンとの関係を改善したかったのだ。
　……さて。
　では、一度関係が悪化してしまった相手と、どう和解すればいいのか？
　俺としては――やはり、これがベストだと思う。
「カナン」
「な、何よ」
「ヴァルゴを頼む」
「……へ？　うわっ、ちょっ、ちょっと！？」
　唐突に頭を下げた俺を見て、カナンが慌てたような声をあげた。
　ご機嫌取りをするだとか、金品で懐柔するだとか、和解の仕方は色々あると思う。
　しかし、表面的に仲直りするだけでなく、根本的に絆を深めるなら――やはり、これ。
　結局は真摯な態度こそが一番。そう俺は考えていた。
「3000年間コアだけだったんだ。今は安定しているようだが、この先あいつのボディに何が起こるか分からない――その時あいつをなんとか出来るのは、お前だけだ」
「……《封印》と《封印解除》ね。アレ、あたしにしか使えないの？」
「ああ。ヴァルゴの新ボディは俺が以前培養した強化型ホムンクルスを素体にしているんだが、そのマスターにはカナン、お前を指定してある。お前以外の誰にも《封印》システムは使えない。作った本人の俺にもだ」
「いいの？　あんたの、その……やっと再会できた、たった一人の兄弟なんでしょ。あたしなんかに預けて」
「ヴァルゴが言っていた。お前の事は親友だと思っている、ってな」
　俺は盗賊団どもにまだ何か言っているヴァルゴの方を見て、先日あいつが言っていた事を思い出していた。
『――最初はただの道具だと思ってた。カナンのことはな』
『でも違うんだ。お前を倒すために色々と一緒に行動するうち、あいつの事が気に入ってきた』
『あいつには色々と借りがある。……あいつが俺のマスターになるなら、大歓迎だ。どうなっても後悔はねェ』
　プライドが高く、誰にも従わなかったヴァルゴがそうまで言うのは、相当な事だ。
　ヴァルゴとカナンは性格も見た目も正反対だが、きっと深いところで通じるところがあったのだろう。『こいつと俺は同じだ』と思えるような、何かが。
「だからこそ、俺もお前を信じる。俺の大事な兄弟が信じたお前を」
「……」
「ヴァルゴを……よろしく頼む」
「……ちょっと、アンタの事を誤解していたかもね。もっといい加減なクズだと思ってたんだけど」
「おい、どういう意味だ」
「言葉通りよ」
　カナンが小さく苦笑し、右手を軽く顔の前で振ったあとに左手を差し出した。
　魔界の慣習だ。昔から戦ばかりが続いてきた魔界において、握手というのは騙し討ちの道具に過ぎなかった。右手を差し出した後に不意を打って左手で零距離呪文を放つというのは、極めてポピュラーな手段だったらしい。
　ゆえに、魔界での"本当の"握手はこうする。
　顔の前で右手を振り、武器を持っていない事を示し――そののちに、左手で握手する。
『敵意はありません。今後とも仲良くしましょう』という意志を、そうやって示すのだ。
「改めて、よろしく。勇者……元勇者、レオ・デモンハート」
「ああ。よろしく、カナン」
　結局は、真摯な態度が一番大事。
　仲直りの秘訣を思い出しながら、魔界での最初の仕事――食糧問題の解決は幕を閉じた。

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第三章：勇者vs魔王エキドナ

制約その1：『上司は堂々としていなければならない』

　――いいかエキドナ。よく聞け。
　組織のトップに立つ者には、絶対に果たさねばならない義務がある。
　トップ。支配者。
　オレらの場合は『魔王』ってことになるが、まあ変わンねえよ。学校の委員長でも、なんかの会社の社長でも、トップがやるべき事ってのはなンも変わらねえ。
　トップに立つ奴は、常に堂々としてなきゃいけねえんだ。
　王が迷いを見せてはならない――なぜか？
　王が迷えば、それに従う民もまた迷いを感じ、不安に思うからだ。
　王は率先して道を示さねばならない――なぜか？
　王が最初に道を示さねば、民が安心してその道を歩めないからだ。
　王が誰かに弱みを見せるなど、もっての他だ。
　王の弱みは国の弱み。国の弱みは、民の弱みだからだ。
　……いいかエキドナ。常々忘れるな。
　魔界を存続させたいなら、強くあれ。常に王らしく堂々としていろ。
　迷いも、恐れも、弱みも、絶対に見せるなよ。

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「――ということで、今回の仕事報告は以上だ」
　魔界の中心、王都スヴァネティア。
　辺境から王都へと戻った俺は、エキドナに仕事の報告をしていた。
「ヴァルゴとカナンは引き続き魔界の各地を回らせて、農場をどんどん増やしていくよう言ってある。食糧問題はじきに解決に向かうぞ！」
「ううーむ、見事だ……！　食糧問題だけでなく、我が心配していたカナンとの関係も無事改善されたようだな。レオよ、よくやった！」
「ふふん、まあな。もっと褒めてくれていいぞ」
「人間界からの食料輸入はどうする？　継続するか？」
「継続だな。結局、魔界の連中に合わなかったのは見た目だけなんだから、《物質変性《オルタレーション》》で食料の見た目だけを弄ってから市場へ放出すれば良いと思う。どうだ？」
「うむ、我もそれに賛成だ！　いかなヴァルゴとカナンでも、魔界中に農園を作るのは時間がかかるだろうしな。お前の言う通り、輸入は継続する。シュティーナにもそう伝えておこう」
　エキドナがそう言って席を立ち、壁際の書類棚へ紙とペンを取りに行った。
　ここはエキドナの執務室でない。彼女の私室だ。確実に二人きりになれるここなら、込み入った話もしやすいだろう――という、エキドナなりの配慮だった。
　部屋の中は明るく、そして、広い。
　豪華な絨毯といい、壁にかかっている様々な武具といい、まさに王の居室といった感じのインテリアになっている。これはエキドナの趣味というより、『王らしく』するためにまずは形から入った結果なのだろう。
　形から入る――というのはバカにされる事も多いが、俺自身としてはそこまで悪いやり方でもないと思っている。道具一式、装備一式を揃える事で意識が変わる事も多々あるからだ。
　たとえば以前、画家を志している男がいた。才能はあるのだがとにかく行動力に欠け、なにかと理由をつけては行動を先延ばしにする奴だった。
　その男が変わった切っ掛けは、友人に画材一式をプレゼントされた事だった。それもとびきり高級な画材を。男は当然困惑し、突き返そうとしたが、友人は頑としてそれを拒んだ。
　そして、その時から男の意識が変わった。
『――こんな高級画材を腐らせておくわけにはいかない」　
『"いい道具を使っているのに、ダメな絵しか描けないやつ"と思われたくない』
『期待されているなら、それに応えたい！』
　そんなモチベーションを得た男は、その日から毎日絵を描き、絵師として大成した。
　そして、画材をプレゼントしてくれた友人――幼馴染の女と結婚し、数百年経った今でも、そいつのその子孫が世界に名だたる大画家として活躍し続けている。
　これは一例に過ぎないが、形から入るというのはこういうメリットがある。カネや時間といった『形を整えるためのコスト』を前払いするせいで、物事に本気で打ち込まざるを得なくなるのだ。
　そういう意味では、エキドナも同じだ。この部屋に限らず、彼女は王らしい王で在ろうと日々努力しているのだろう。
　エキドナはいついかなる時も偉そうな態度を崩さないが、それも王らしさの一つと言える。王がいつも自信なさげにしていたら、その下についている民も不安に思うだろう。
　上司――責任者――王――は、常に堂々と胸を張っていなければならないのだ。
「さて、エキドナ。次の仕事に移る前に、二つほどお前に質問をしておきたい」
「む？　なんだ」
「まずひとつ目は、次の仕事についての確認だ。――水の浄化に向かおうと思う」
　はやくもシュティーナへの指示書をしたためはじめていたエキドナが、やや怪訝な顔をこちらへ向けた。
「水か。確かに水は魔素で汚染されているが、水源は無数にあるし、浄化施設も存在する。優先順位はやや低い気がするが……？」
　エキドナの言う事はもっともだった。魔界のあちこちには人間界と同様に川が流れており、その水も濃厚な魔素で汚染されているのだが、それらはすべて浄水施設によって汚染度をおおきく軽減させられているのだ。
　浄水器といっても科学文明のそれとはまた違い、《清浄光《クリアランス》》を付与した魔石を無数に埋め込んだ凄まじく巨大な水車といった見た目なのだが、浄水器は浄水器だ。これがあちこちにあるおかげで、魔界の民は『澄んだような』とはいかなくとも『まずいが、飲める』レベルの水を飲む事ができているのだ。
「水質をヴァルゴに徹底解析させたところ、《《水の奥底に謎の濁りがある》》と言っていた」
「なぞの、濁り？」
「そうとしか表現できないんだと。……『魔界では魔術が盛んだったから、そのせいで魔素が溜まっている』――環境汚染の原因はこれで間違いないと思っていたんだが、もしかすると、もっと根本的な原因があるのかもしれない」
「なんだと……！？　いや、いやいやっ！　それはありえん！」
　がたりと椅子から立ち上がり、エキドナがぶんぶんと首を振った。
「我ら魔界の民が、荒廃する魔界の環境についてどれだけ研究を重ねて来たと思う？　魔術の使いすぎによる魔素汚染は、魔界中央アカデミアが正式に支持している学説だ。長い研究の末にそこに辿り着いたのだ！　もしそれが違うというのなら、200年以上信じてきた常識そのものが覆ってしまう！」
「そうだな。俺とヴァルゴが間違ってるのが、学者さんがたが間違ってるのか。それを確かめるためにも、一度水源の調査に行きたいんだ」
「……」
　エキドナがふたたび椅子に座り、低く唸りながら考え込んだ。
　いや、それは考え込むというより――なぜ自分たちで気づけなかったのか、という悔恨に近い唸りだった。
　気持ちは、わかる。俺だって人間界の守護者だったのだ。
　もし、自分ではまるで解決できないような問題にぶつかったたとしたら。
　そんな問題が、よその世界――魔界からやってきたどこかの誰かのアドバイスでサクッと解決してしまったとしたら。
　なぜこんな簡単なことに気づけなかったんだ。
　こんな無能な奴が、どうして世界の守護者なんぞを名乗っているんだ。
　そんな気持ちで胸がいっぱいになることだろう。
「……うむ、承知した」
　エキドナがようやく顔を上げ、静かに頷いた。
「人間界での業務改革。そして今回の食糧問題解決。お前の能力に疑いなど持てるわけもない。そんなお前が、水が怪しいと感じるのなら――まずは行ってくるがよい」
「ああ、悪いな」
「それで、質問が二つあると言っていたな。我は忙しいのだ、端的に述べよ」
　さて、こっちが本題だ。
　水の話なんぞ、俺にとっては正直二の次。本当に気になっているのはこっちだった。
「エキドナ。お前、表には出さないけど、何か悩んでるだろ」
「ん？」
「……お前。魔王なんか辞めたいって、思ってるだろ」

=========================================

「――なにをバカな事を言っておるかーッ！」
「うおっ」
　怒号と共に、エキドナの魔力が一気に膨れ上がった！
　エキドナは、生まれながらにして火の精霊――サラマンダーやイフリートの加護を強く受けている。エドヴァルト並に炎耐性が高いのはもちろん、ただ魔力を集中させるだけで周囲の温度が目に見えて上がるほどだ。
　しかしこれは……かなり暑い！　いや熱い！
　物質的な熱ではなく霊的・魔術的な熱だから、周囲の本や書類が燃えることはない。ないのだが、それにしても凄まじい熱だ！　そこらへんのザコ相手なら、これだけでも軽く戦闘不能に追い込む事ができるだろう。
　……。なるほど。
　これは、あれだな？
　……割と本気で怒ってるな、こいつ……！？
「我を誰だと思っている。魔王だ！　魔界の王、炎を統べるもの、爆炎女帝エキドナだ！　魔界を救うために王を目指し、数多の強者を打ち倒し、あらゆる苦難を乗り越えて王の座を勝ち取った、第105代目魔王だぞ！」
「わかってる、わかってるよ！」
「それが……事もあろうに、"辞めたい"だと……！？」
「うあっちい！　あちちち！」
「……辞めるわけッ！　なかろうがーッ！」
　熱い。マジで熱い！
　こんな元気が余ってるなら、余計な心配なんかしなけりゃよかった！
　そろそろ防御呪文を張らないとヤバい……！　《氷盾《アイスシールド》》あたりを、いや、《氷盾《アイスシールド》》と《霊水膜《アクアベール》》をダブルで使って凌ぐべきか……！
　そう俺が思ったと同時に、フッとエキドナの魔力が静まった。
　周囲の温度もまた、急激に低下していく。
　……もとに戻ったはずの空気がやや肌寒く感じられるあたり、先程の怒りがどれほど激しかったか、どれほど室内の温度が上がっていたか、分かろうというものだ。
「……まあ、よい。本来ならば問答無用で《六界炎獄《インフェルノ》》を叩き込み、貴様の骨が灰になるまで100回ほど焼き尽くし、万が一復活した場合は四肢を拘束し指先からじわじわと炙って少しずつ炭化させていく魔界式B級拷問術にかけていたところだが……」
　おい、怖いよ。やめろ。
　っていうか今のでB級止まりなのかよ。ふざけてるな魔界……。
「レオ」
「はい」
「だが、今の貴様は我の大事な部下である。魔界と人間界の和平を目指す同胞である。先程の失言は忘れてやるゆえ、疾《と》く失せよ」
　……どうしようかな。
　俺の頭の中で『にげる』『たたかう』という二つのコマンドがよぎり、俺は僅かな間、思案した。穏便に退くなら、今がチャンスなのだが……。
　……いや。
　さすがにここで退くわけにはいかん。もうちょい粘ろっと。
「いや、そう簡単に失せるわけにもいかん」
「なんだと？」
「だってお前、ほら、魔界に来るちょっと前から元気がなかっただろ？　自覚あるよな？　今日だってイマイチ張り合いがないし、元ライバルとしてはもう、心配で心配でさ……だから」
「――まだ言うかこの愚か者めッ！　焼き殺されたいかッ！」
「あじゃじゃじゃじゃ！」
「生きながら焼かれるか、死した後に焼かれるか！　究極の選択をしたいと言うのかーッ！」
　エキドナの一括と共に、再び室温が急上昇した。
　懐かしいなあ、このピリピリした雰囲気と口調。エキドナと最初に戦った時を思い出す――――いや、懐かしんでる場合じゃない！　熱い熱い、めっちゃくちゃ熱い！！
　ぼ、防御呪文！　防御呪文ー！
「《霊水《アクア》》――！」
「……。はぁ……」
　――ほっ。
　俺が《霊水膜《アクアベール》》を発動するコンマ一秒前で、膨れ上がったエキドナの魔力が元に戻った。周囲の温度もまた、急激に低下していく。
　もとに戻ったはずの空気がやや肌寒く感じられるあたり、先程の怒りがどれほど激しかったか、どれほど室内の温度が上がっていたか、分かろうというものだ。
　……いや、本当に怖かった……。
　今度ばかりは、マジに《六界炎獄《インフェルノ》》が飛んでくるかと思った……。
　魔力は引っ込んだが、態度までが戻ったわけではない。エキドナはもはやこちらを一瞥もせず、どすん、と部屋の奥にあるソファに座り込んでいる。
　何も言わずとも、その横顔が『もう話しかけるな。出て行け』と言っている。
　あと、『次に何か言ったら本気で燃やすぞ』とも言っている。
「エキドナ」
「……」
「悪かったよ。俺からの報告は以上だ。水の調査に行ってくる」
「ふん。さっさと行くがいい、バカ勇者め」
　逃げるようにエキドナの部屋を立ち去る。ばたん、と俺の背後で扉が閉まった。
「……取り越し苦労だったかな？」
　長い長い王宮の廊下を歩きながら、俺は考えを改めるべきか思案していた。
　――最近、エキドナから覇気が消えている。
　それに気づいたのは、食糧問題で悩まされていた時。ちょうど、ヴァルゴとカナンが引き起こしたワイバーン事件が目立ちはじめた頃だった。
　あのエキドナが "お前が言うことならば"と、俺が出したあらゆる提言を飲み、何かにつけて俺の事を褒める。そういうシチュエーションが多くなったのだ。
　思い出してほしい。先程だってそうだっただろう。
『――なんだと……！？　いや、確かにお前の言う事ならば、一理ある……。いや、いやいやっ！　一理もない！　　それだけはありえん！』
『――人間界での業務改革。そして今回の食糧問題解決。お前の能力に疑いなど持てるわけもない』
　この通りである。本来のエキドナならば、もう少し骨のある反応をしていたところだ。
　……うーむ。
　実際のところ、俺も仕事で手を抜いてきたわけではない。彼女に能力を認められるのも、褒められるのも、しごくまっとうな評価だと思う。そこは良いのだ、別に。
　だが、あいつはあのエキドナだ！
　本気の俺相手に一歩も引かず、世界を守るために戦った女だ！
　丸くなったと言えば聞こえがいいかもしれないが、こうなると少々、不気味である。加えて元気もないとくれば、そりゃあ『悩みがあるのかな』と気になったりもするだろう。
　そう思って、一番可能性の高そうなところをつついてみたのだが……。
「取り越し苦労だったか……あるいは」
　そうだ。あるいは――。

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「……くそっ、何をやっているのだ我は」
　レオが去った後。
　我は私室の部屋に三重の魔力鍵をかけ、更に奥の寝室に引きこもり、枕に顔をうずめてジタバタともがき続けていた。
「あれでは"図星です"と言わんばかりではないか！　ううっ、へーぜんとした顔で痛いところを突きおって……おのれ、おのれ……！」
　魔王を辞めたい。
　パーフェクトに図星であった。
　いや、だって、仕方がないだろう！
　レオが優秀すぎるのがいけないのだ！
　……。
　少し、昔話をしよう。
　今からしばらく前。我は盟友シュティーナ含む数多の強敵を退けて見事魔王になったが、魔界には我一人では解決できぬ問題が山積みだった。
　大きな問題に一人でぶつかるのは、阿呆のすることだ。
　ゆえに我はシュティーナをはじめ、信頼できる仲間を作った。
　リリが兵站任務でやっているような適材適所を心がけた。
　メルネスがやったように苦手な事をひとつずつ克服し、エドヴァルトのような思い上がりがあれば、即座に正していった。
　そうした努力のひとつひとつが、今の『魔王エキドナ』を作ったのだ。
　魔王になってからの日々は、文字通り努力の日々だった。
「……それでも、分かる。一緒に仕事をしていれば、分かってしまう……！」
　今の我の実力は、レオに遠く及ばない。
　戦闘面でも、それ以外でも、だ！
　レオは義理を立てて我の下につく形をとってくれているが、本来なら我がレオの下につくべきなのだ。それくらいの圧倒的な実力差が、ある。
　にもかかわらず今の形……我が上、レオが下という形が維持されているのは、ひとえに、我が王だからだ。
　王のメンツを汚してはならないと、レオが理解し、《《気を使ってくれている》》からだ！
　――屈辱！
　これほどの屈辱が、あるか！
　これほど情けない魔王が、いるか！
　ううっ、弱音を吐きたい！　レオに全部このことをぶちまけた上で、あいつがどんな反応をするのか見てみたい。相談に乗ってもらいたい！
　別に、この気持ちは今にはじまった事ではなかった。だってずるいではないか！
　四天王どもはレオに何から何まで相談して問題を解決してもらってるのに、我だけが相談させてもらえない！　相談っぽい事といえば、あの『オニキス』との飲み会くらいだ！
「……いや、わかる。我は王だから仕方ないのだ。王とはそういうもの、そういう孤高の存在なのだから、仕方がない……理屈はわかる、わかるのだ……！」
　我の父――先代魔王キュクレウスも言っていた。
　トップに立つ奴は、常に堂々としていなければいけない、と。
　トップに立つ者が迷えば、部下も迷う。
　王の迷いは民に伝搬する。
　だから絶対に、部下の前で弱さを見せたりはするな――と。
　父に言われるまでもなく、これはしごく当然のことだ。部下の前でオドオドし、自信なさげに振る舞うようなヤツに、王の資格などあろうはずもない。
『こいつなら信じられる』
『こいつについていきたい』
『こいつに道を示してほしい』
　民草にそう思わせてこその、王！
　我はそれを心に命じた。
　常に堂々とした、模範的な王であろうと努力した。
　もちろん、態度と実力が釣り合うよう、あらゆる方面で努力を重ねてきた。
　しかし……。
　しかし、レオという超絶チート有能人材が出てきて……。
　我の自信……じ、自信が……。
「ううっ。ううー……！」
　うううううーっ！
「……んもーーー！　んじゃ、どーしろっつーのよーーー！」
　もう、終わり！
　本日の業務は終わりました！
　魔王エキドナは終了！　フツーの魔族エキドナに戻ります！
　やってられるかコンチクショー！
「これだけの実力差を見せつけられて！　戦闘面でも、洞察力とかでも、あと経験面でも負けていて……！　っていうかフツーに考えて、ベリアルの頃から生きてるヤツに経験面で勝てるわけないじゃない！　ナメてんの！？」
　まくらをばっすんばっすんと壁に投げつける。壁のすぐ下に《転送門《ワープポータル》》を開いているから、床に落ちたまくらはすぐにベッドの天蓋からあたしの手元へ落ちてくる。そしてまた投げる。
　ばっすん、ぼとん。
　ばっすん、ぼとん。
　ううっ、ごめんシュティーナ。これシュティーナがプレゼントしてくれたやつなのに……。
「……。はぁー……」
　十回ほどまくらと壁が衝突した頃、ようやくあたしの頭もクールになってきた。
「……落ち着くのよ。落ち着け……落ち着くのだ」
　冷静になるのだ。
　我は魔王である。爆炎の女帝、魔王エキドナだ。
　この広大な魔界を統べる、第105代目魔王である。
　……今の我は悩みをかかえている。
　レオに対してコンプレックスを抱き、自信を喪失している。
　要するに、この悩みを相談できればいいのだ。できれば、四天王どもと同じようにレオ本人に相談し、カウンセリングしてほしい。
　王が部下に弱みを見せるのは許されないが、エキドナ個人としてなら、まあ、いいだろう。今言った悩みを全部レオにぶちまけられれば、それで気は晴れる。
　レオに相談する。なるほど、突破口は見えた。
　……。
　しかし……。
「ついさっき、あんな事を言ってしまった手前……"やっぱり魔王をやっていく自信がないの"とか、"レオに魔王を継いで欲しいって言ったらどうする？"とか、聞けるだろうか？」
　聞けるわけがない！
　そんなの、王の器とかそれ以前に正真正銘ただのアホ！
　アホ丸出しである！
　ああ、クソッ。レオのようなクレバーさが欲しい。思えば、あいつは最初から上手くやっていた。
　我が魔王城に『黒騎士オニキス』として潜入した時から、奴はあんなにも自分の本当の目的を隠して、正体も隠して、上手くやってのけたというのに――――。
　――――あっ。
「あっ、そうか」
　ぽんと手を打つ。
　そ、そうか……！
　ここにきて、この手に気づいてしまうとは……！
　やはり我は天才、王の中の王なのではないか……！？
「簡単な事ではないか。《《変装》》だ！　オニキスのように、変装すればいい話なのだ！」
　変装して、他人のフリをして、レオに悩み事を打ち明ければいいのだ！
　これならば『王は弱みを見せるな』という制約にも抵触しない！
　灯台下暗し！　なんという機転！　これこそまさに王の器！
　ふふっ、ふはははっ、ふはははははははーっ！
　完璧だッ！　イッツパーフェクト！　勇者レオここに敗れたり！
「……見ていろ勇者レオ。必ずやこの魔王エキドナが……完璧な変装で……貴様のもとへ、悩みを相談しに行ってやるからな……！」

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第四章：勇者vs謎の神官A

　エキドナの部屋から追い出された数時間後。俺は王都から遠く離れた山奥へ来ていた。
　今回の目的は水質調査だ。飲料水、生活用水、そして食料を育てるための農業用水――どれにとっても水は必要不可欠であり、ヴァルゴの言っていた"濁り"を水から取り除く事ができれば、魔界の生活クオリティはグンと向上することだろう。

「――《氷槍撃《アイスジャベリン》》！」
「しゃらくせえ！」

　巨大な氷の槍が飛来する。全部で七本――直撃コースのものだけを焼き払い、残りは躱す。氷の槍は針葉樹林の合間を縫い、山裾に広がる大きな湖の方へと消えていった。
　あれが今回の調査対象。かつて――数百年前までは魔界随一の水源と謳われていた、『アミア湖』。水を司る精霊、ウンディーネの伝承が眠る地である。
　エキドナが治める前の魔界は戦争文化が主流だった。村同士が、町同士が、領主と領主が、貴重な資源を奪い合って他人と戦う。朝起きて歯を磨くのと同じくらい当たり前に戦争が起こっていた世界が、この魔界なのだ。
　当然そんな中では、戦争に勝つために精霊すら利用するヤツだって居た事だろう。精霊を意図的に暴走させたり、無理やり操って支配下に置いたり。
　そんな事をやっているうちに精霊の怒りを買い、ウンディーネの加護を失い、水が汚染されたのではないか……というのが、俺の予想だった。
　ゆえに、ウンディーネが住まうという伝承のあった、アミア湖を調べたい。
　……調べたいのだ、が！
「おいっ、お前は一体なんなんだよッ！」
「この地に住まう神官だ。それ以上は言えない。言う必要もない」
　突如襲ってきた《《こいつ》》！
　この……この、謎の神官Aが苛烈な攻撃をしかけてくるせいで、さっきから一向にアミア湖に近づけないのである！
「俺は魔王の許可を得てこの地に来てるんだぞ！　別に変な事をしようってんじゃねえ、ちょっと湖を調べたいだけだ！」
「ダメだ。調べる、許さない」
「カタコトかッ！　蛮族か！」
　こいつが何者なのかは分からない。声は少年のようでもあり、少女のようでもある。
　群青色のフード付きローブを目深に被っているから、顔つきどころか性別すら判断がつかないのだが、とにかくアミア湖に近づくとこいつが現れ、襲ってくるのだ。
　湖から離れればこいつも姿を消すが、近付こうとすると再び現れ、問答無用で攻撃を加えてくる。これは実に三度目の交戦だ。
　ゆいいつ分かっている事といえば、氷呪文の使い手という事くらい。
　青を貴重とした服装を踏まえると、おそらくはこの地の――ウンディーネを祀っていた神官か何かなのではないか、ということが推測できた。
　もちろん、湖がマナで汚染されたことで、この地に住む者はほとんどいない。本当の神官かどうかは、正直怪しいものだ。
「湖を調べるな。おまえ近寄る……私、怒る」
「なんでだよ！？」
「理由は、言えない。おとなしく帰れ――《凍滅陣《ディープフリーズ》》！」
「！」
　とっさに上へ飛ぶ。直後、先程まで俺が立っていた場所に巨大な魔法陣が現れ、周囲のものを完全凍結させた。木々も草も一瞬で冷凍され、氷の粉になってバラバラと散っていく。
　――《凍滅陣《ディープフリーズ》》はそれなりの上級呪文だ。最上位の《絶対零度《コキュートス》》ほどではないにしても、そんじょそこらの神官がホイホイ撃っていいものではない。
　それをこうもあっさり無詠唱で放つということは、この神官A……カナンに匹敵する程度の魔術師であることは、間違いない。
「ナメやがって、この野郎……！」
　俺の心の中は苛立ちでいっぱいだった。
　……《《カナンと同程度の魔術師ごとき》》が！
　魔界一の魔術師、四天王シュティーナすら倒した俺の邪魔をしようとは！
　一方的に攻撃され続けていた事もあり、ムカムカと腹が立ってきた。この神官A、腕前には自信があるんだろうが、しょせんは井の中の蛙だということを教えてやる！
「どうだ。帰る気になったか」
「なるかッ！　"変な神官に帰れって言われたから帰ってきました"なんて報告書出したらエキドナに笑われるっての！　このレオ・デモンハート、そんないい加減な仕事はしねーんだよッ」
「……。…………。なるほど」
「……あ？」
　一瞬だけ神官Aの動きが止まった。
　止まったのはほんの1～2秒だが、それまで休み無しに攻撃を仕掛けてきた事を考えると、凄まじく長い間と言ってもいいだろう。
　……もしかして、手を引いてくれるのかな？
　引いてくれないかな……。
「ならば仕方がない。少しばかり手荒にいかせてもらうよ」
「……ああ、そうだよな。期待はしてなかったよ……！」
　なんだったんだよ、今の"間"は……。
　神官Aの魔力が高まっていく。今の言葉通り、少し本気を出すつもりなのだろう。
　こういう、『会話は不要！　とりあえず暴力で言うことを聞かせよう！』という蛮族めいた姿勢、生粋の魔界人であることは間違いない。こういうタイプとは2060年の東京でイヤというほど戦ったから、攻略法は今でも身体に染み付いている。
　つまり――。
　つまり、説得による平和的解決は120%不可能！
　逃走しても相手を無駄につけあがらせるだけ！
　ここはあえて真正面から戦い、完膚なきまでにブチのめし、力の差をハッキリと示す。
　それしか手はない。それが一番！　そう思えた。
　けっして、ケンカを売られてイラッときているわけではないぞ。俺の豊富な経験が、『とりあえず一度ブッ倒してから話をするといいよ』と告げているのだ！
「|《氷結矢《フロストボルト》》！」
　神官Aが放ったのは無数の氷の矢だ。一点集中ではなく、面を制圧するようなばらまき方。
　もっと威力のある呪文だって撃てるだろうに、あえて出の早い初級呪文で弾幕を張る――おそらく、俺が回避に専念している間に距離を取り、必殺の大技を放つつもりなのだろう。
（――いいだろう）
　焼き切る、上に飛ぶ、地面に潜る、盾を作る。
　色々あったが、俺はその中でも一番原始的な『後ろに大きく飛び退く』という手を選択した。
（その目論見、乗ってやる！）
　すると、案の定だ。
　俺が距離を取るのを待っていたかのように、神官Aが大技の詠唱に入った。
「――《レ・ディリ・リ・サー・オーム》。《蒼き辺獄・白銀の檻、永久《とわ》なる氷壁・四天《してん》を覆え》」
　無論、そう来ることは想定済みだ！
　俺の方もまた、距離を詰めずに詠唱を開始する。
　《《相手と全く同じ呪文》》の詠唱を！
「《レ・ディリ・リ・サー・オーム》！　《蒼き辺獄・白銀の檻、永久《とわ》なる氷壁・四天《してん》を覆え》ッ！」
「……おお……！？」
　神官Aがわずかに驚いたような声を出した。
　実力に自信があるやつの鼻っ面をへし折るにあたって、一番効果的な方法は何か、知っているだろうか？
　個人的なベストアンサーは、やはりコレだ……！　『相手の土俵で戦う』！
　できることなら、相手の得意技をそっくりそのまま使ってやれるとサイコーだ。
　理由は言うまでもない――同じ呪文・同じ技が小細工なしでぶつかれば、当然、力の弱いほうが敗れる事になるからだ。
　こちらが格上だと示し、相手の戦意を折るのなら、このやり方が一番手っ取り早い！
　あと、超パワーで雑魚を圧倒するのは単純に気持ちがいい！
「驚いたね。何か狙ってると思ったが、まったく同じ呪文で対抗する気かい？」
「そりゃこっちの台詞だ。圧倒的な実力差というモノを思い知りやがれ！」
　互いを挑発しあう余裕すらある。やはり、相手はかなりの上級魔術師のようだ。
　……。しかし……。
　しかし正直言って、俺は驚きを隠せなかった。いま俺たち二人が唱えている呪文は、ごく一部の魔術師しか使えない超上級呪文だからだ。
《絶対零度《コキュートス》》。
　水精霊《ウンディーネ》の力を借りて放つ氷結系呪文の中でも、最上位に位置する術。
　最上位の称号は伊達ではない。俺やエキドナ、シュティーナだってそれなりに気合を入れないと撃てない、先程の《凍滅陣《ディープフリーズ》》とは格が違う呪文だ。
　半端な術士が不用意に放てばたちまち全身の魔力を吸い取られ、七日七晩寝込む羽目になるような、禁呪スレスレの代物である。
（そんなもんを辺境の神官Aが……撃てる……ものなのか……？　魔界の住人って、これくらいレベル高いのが当たり前なのか？）
　よく分からんが、それほどの使い手ならあちらも気づいているはずだ。俺があえて全く同じ呪文を唱え、全く同じタイミングで術をぶつけようとしている事くらいは。
　にもかかわらず、神官Aが呪文詠唱を止める様子はない。むしろ全身から立ち上る魔力は増幅され、練り上げられ、こちらを押し潰さんばかりに膨れ上がっている。
　……いい度胸だ。そのクソ度胸だけは買ってやる！
　このレオ様にケンカを売った事を後悔し、誇りに思いながら死ぬがいい！
　あっいや殺すのはまずいな、適度に氷漬けになるがいい！
「――《顕れよハデスの息吹》、」
「《死と静寂の帳を降ろせ》！」
　俺と神官Aが鏡合わせのように動く。
　左手に纏った光芒でルーン文字を、右手の光芒で魔法陣を空中に描く。空中に描いた魔法陣がそのまま俺達の足元にも現れ、巨大な複合魔法陣が形成されていく。ここまでくると、もう呪文発動を止める事はできない。
　俺と神官Aが右手をかざしたのは、全くの同時だった。
『力ある言葉』が紡がれると共に、圧縮された魔力が解放される。
「「――《絶対零度《コキュートス》》！」」

　――ギャッ！　ギッ！
　ッガガガガガガガガガッ！

　硝子が軋むような嫌な音をたて、空気中の水分が一気に凝結する。
　またたくまに周囲の気温が急低下。
　そして次の瞬間――。
　俺たちの周囲半径1kmが、完全なる極寒の地獄と化した！
　これこそ究極冷凍呪文、コキュートス。物質界のあらゆる熱量《エントロピー》を奪い、同時に無数の氷塊を召喚し、文字通りの氷結地獄へ相手を叩き込む、氷の最強術！
　恐るべき冷凍波が二人の間でぶつかり合い、極死の領域をあたり一面に撒き散らした。余波だけで周囲の木々は完全凍結し、パウダースノー状に粉砕されていく。
　……この余波、こいつが守ってる湖まで及んでると思うんだけど。大丈夫なのかな……。
「なかなかやるな神官さんよ。だがなァ！」
「ふむ……そうだね」
　神官Aが他人事のように言った。
「弱ったな。どうも、力押しで君に勝つのは難しいようだ」
　――やった！　勝ったッ！
　状況は神官Aの分析通りである。二つの《絶対零度》は今のところ拮抗しているが、術の威力は俺のほうが明らかに上。あと10秒もすれば拮抗状態は崩れ、二人分の《絶対零度》がいっせいに神官Aを襲う事だろう。
　竜将軍エドヴァルトすら戦闘不能に追い込む究極冷凍呪文が、二発！
　もはやどんな防御呪文を唱えようと、どんな複合結界を纏おうと圧倒的に手遅れ！　無慈悲な氷の顎に呑み込まれるのみ！
　だが安心せよ、このレオ様は寛容だ。お前のような優秀な人材の命まで取るつもりはない。
　素直に負けを認めて許しを請えば、特別に俺の現地アシスタントとしてコキ使ってやらんこともないぞフハハハハーッ！
「どうだッ！　今すぐ負けを認めりゃあ――」
「よし。じゃあ、こうしよう」
「あん？」
「《――――》。」
　荒れ狂う冷凍波の向こう。
　歪む視界の中で、神官Aが小さく何かの呪文を唱え、パチンと指を鳴らすのが見えた。
「あんまり使いたくはなかったんだけど……ま、これくらいならいいだろう」
　それと同時だ。
　ただそれだけで――二つの《絶対零度》の拮抗は、いともあっさりと崩れ去った。
「は？」
　そして。
　どんな防御呪文を唱えても手遅れな、二人分の極大冷凍波が、哀れな敗者めがけて押し寄せた。「――――は？」
　敗者めがけて。
　つまり……俺の方へ、一斉に。

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　――私の眼前で、《絶対零度》が一気に炸裂した。
　ウンディーネの力を借りた極大冷凍波は、何か言おうとしていた青年を一息に呑み込み、次の瞬間には大きく弾け、周囲に超低温の嵐を巻き起こした。
「……さすがに、二人分だとすごいな……！」
　攻撃呪文というのは、ただ強力な攻撃を放つだけではない。
　多くの場合は術のランクに応じた、術者を保護するの防御結界もセットで展開される。さもなければ余波で自分もやられてしまうからだ。今回も当然、結界が私を守ってくれた。
　それでも今回は威力が威力である。ともすればこちらまで氷漬けにされそうな、超低温の嵐――荒れ狂うそれをなんとか防ぎきった後、私は安堵のため息をついた。
　――威力は俺が上だったのに。
　彼はそう思っている事だろう。それは正しい。
　実際、あのまま真っ向勝負を続けていたら負けていたのは間違いなく私の方だった。私が使ったのは、ゲームの仕様の穴をついたウラワザのようなものだ。
「……さて、どうしたものかな」
　この地――アミア湖の近くにおいては、口に出して良い事柄とそうでないことがある。とりわけ『湖の主』については、口に出すのはおろか、思考に浮かべる事すら危うい。
　説明しないのではなく、説明できない。
　問答無用で追い払おうとしたのも、やむを得ない事なのだ。私に追い払われる程度の相手なら、『湖の主』に返り討ちにされるのがオチだからだ。
　……彼はどうだろう。
　もし彼が死んでいなければ、種明かしもできるというものなのだが……。
「ちょっとはしゃぎすぎたな。死んじゃったかな……」
「……し」
「お」

　バキッ、バキバキッ！
　――ガシャン！

「死んでッ、たまるかァー！」
「おお」
　分厚い氷を内側からぶち割り、憤怒の形相の青年が姿を現した。
「さすがに生きていたか。えらい、えらい」
「ばっきゃろー！　この程度で死ぬわけねェーだろ！」
　吸い込まれそうな漆黒の髪に、ルビーのように赤い瞳。素体段階で人工的に調整され、どこか人間離れしたその顔立ちは、私にとってひどく懐かしいものだった。
　彼と――レオと会うのは本当に久々だ。あまりに久々すぎて、彼が名乗るまで本人だとはなかなか信じられなかった。さぞ社会の荒波に揉まれてきたのだろう、見た目は3000年前と同じでも、私が知るレオとは性格が違いすぎる。
　"紳士をつくるには三代かかる"。
　十六世紀のイギリスの政治家、ロバート・ピールが残した言葉だ。
　どうやら彼……私の兄弟、DH-06は、三代どころか数千年かけて、立派な紳士に成長したようだった。
　魔界でずっと暮らしてきた私には、それがたまらなく嬉しかった。

----

「……で」
「うん」
　神官Aがのほほんと応じた。
　すでに相手から敵意は消えている。《絶対零度》の炸裂によって焼け野原ならぬ凍り野原になった山を見回したあと、俺はややキツめの口調で言った。
「一つずつ。分かるように説明してもらおうか」
「説明、できない。お前、帰れ」
「今さらカタコトになってもおせーんだよッ！」
「はははは。冗談だよ、冗談だとも。うん」
　フードを目深に被ったまま、神官Aの口元が綻んだ。こうやって人をからかうところは、昔から変わっていない。
「……はあ。そういうところはホントに変わってねえな」
「おや。となると、私の正体も既に察しがついている？」
「当たり前だろ。あんな裏技、お前くらいしか使えない」
　3000年前、西暦2060年。魔界からの侵略に際して人類が作り上げた、十二体の決戦用生体兵器、デモン・ハート・シリーズ――それが俺やヴァルゴの正体だ。
　DH-07。
　既に顔なじみとなった、超回復を得意とする近接戦闘用個体、『ヴァルゴ』。
　DH-06。
　超成長をコンセプトとして造られた全自動盗作装置。この俺、『レオ』。
　そして――。
　古き良き英国紳士をモデルにしたという、中性的な見た目のジョーク好き少女。
　DH-11。DHシリーズ屈指の、氷術の使い手。
　顔を隠していてもわかる。この神官Aは、おそらくDH-11――『アクエリアス』だ。
　ついでに言うと、先程の《絶対零度》。
　俺のほうが魔力が上だったにもかかわらず、何故か俺の方が負けた、あの現象――あれこそアクエリアスの得意技。真骨頂とも言えるものだった。
　アクエリアスは水精霊ウンディーネとのつながりが深い。水・氷属性の呪文に限り、瞬間的に周囲に満ちる精霊の力をかきあつめ、呪文威力を大幅にブーストさせる事ができるのだ。
　魔界は魔素が多い上、この地はウンディーネ信仰のお膝元である。
　たとえ信仰が途絶えたとしても、まだ力が残っているのだろう。彼女お得意の《瞬間強化》に、俺は見事やられたというわけだ。
「まさか生きてるとは思わなかったけどな。しかも魔界で」
「ふふん、驚いたろう？　今じゃすっかり魔界の古株さ。隠居暮らしだが」
　アクエリアスが魔界に居る事自体は、そう不思議ではなかった。
　3000年前のベリアル討伐作戦は総力戦だった。ヒマラヤ山脈の奥地にあった魔王城攻略に、生き残っていたDHシリーズすべてが投入されたのだ。
　結果としてベリアルは倒したが、犠牲も大きかった。生還者は俺だけ――残りのDHシリーズはみな、魔王城のどこかで散った。主を失った城は崩壊し、魔界へ通じる《大霊穴》に瓦礫ごと引きずりこまれていった。仲間の亡骸ごと。
　その時、アクエリアスはまだ生きていたのだろう。そして、なんらかの理由で人間界に戻らず、そのまま魔界の住人として過ごしてきた。そんなところか。
　問題なのは、なぜそれを言葉で説明しないのか。
　そして……おそらく途中で俺をレオ本人だと気づいたはずにもかかわらず、なぜ戦いの手を止めなかったのか。その二点である。
　アクエリアスもバカではない。何かしらの考えがあるはずだが――。
「あ、ひとつ説明できる事があるね」
「なんだ？」
「戦いをやめなかったのは、単に楽しかったからだ」
「おいィィ！？」
　前言撤回！　こいつはバカ！
「仕方がないだろう？　久々に出会った末弟が、こんなに強く立派に育っていたんだ。それも見違えるように人間味豊かな性格になって――姉としては成長を確かめたくもなるさ」
「弟扱いすんのはやめろ！　誕生日は俺のほうが少し早いんだ！」
「そうだったかな？　いやあ、最近物忘れが激しくてね」
　このクソ女……！
　だが、この人をおちょくったような態度は間違えようがない。やはりアクエリアス本人だ。
　幸いなのは、こいつがただのバカではないということである。さっきから会話の中にヒントを散りばめてくれているのを、俺は見逃さなかった。
「お前、いま"説明できる事がある"って言ったな」
「言ったね？」
「つまり――《《それ以外の部分については、説明したくても説明できない》》って事だな？」
「……」
　アクエリアスが――見えるのは口元だけだが――少し困ったような顔をした。
　説明したいが、どこまで話していいものか。そんな風に悩んでいる風に見えた。
「イエスかノーかでいい。俺を襲ってきた理由や、そうして口ごもる理由を、お前は説明"できない"。説明しないのではなく、"できない"……そうだな？」
「認めよう。イエスだ」
「それは魔界の環境汚染……水の汚染と、何か関係があるんだな？」
「それもイエスだ」
「……。この湖には、ウンディーネの伝承が――」
「いやあ～、それにしても本当に立派になったものだねえ！　あれから3000年、ずっと人間界で生きてきたのかい？　結婚はした？　女の子は何人くらい泣かせた？」
「おい、話を逸ら……うわっ、べたべた触るな！」
　それまで従順に受け答えしていたアクエリアスが、明らかに不自然なタイミングで話を中断した。すぐそばまで歩いてきて俺をじろじろ見たかと思うと、そのまま俺の手を取り、やや離れたところまでぐいぐいと引っ張っていく。
「ほら、ごらんよ。ここからだとアミア湖がよく見えるんだ。わかるかい？」
「……」
　いま俺たちが立っているのは、湖近くの山の頂上付近だ。山の斜面に沿って視線を下ろしていくと、《絶対零度》の被害を逃れた針葉樹林帯にたどり着く。
　その森林の更に向こうに――拳をふたつ並べたくらいの大きさで、アミア湖が見える。かつてウンディーネ信仰が盛んだった地が。湖面はきらきらと輝いて……。
「……あれ？」
　数秒観察すると、違和感の正体はすぐに明らかになった。
「あの湖。もしかして、凍ってるのか？」
「当たりだ」
「お前がやったのか？」
「それは言えない」
「ウンディーネ……」
「それも、言えない」
　アクエリアスが人差し指を立て、自分の唇にそっと当てた。
「……」
　それきり、しばらくの間、会話が途切れた。
　アクエリアスは黙り込み――俺はここまでの流れから、状況を推理していた。
（なるほど。こういう状況、経験があるぞ）
　人間界に居た頃、こんな事件があった。とある村の近くに住み着いたチンケな悪霊が、村に伝わる伝承を利用して力を高め、村どころか国すら揺るがそうとする大悪霊へ姿を変えようとしていたのだ。
　精霊・悪霊といった霊的存在は、本来、人間界とも魔界とも全く違う世界に住んでいる。
　俺たちが居るのは物質界《マテリアルサイド》。精霊たちが住まうのは精神界《アストラルサイド》だ。その名のとおり彼らは肉体を持たず、精神体のみで活動している。
　物質界の住人が強い肉体を得たいなら、筋トレでもすればいいだろう。魔力を高めたいなら瞑想したり、魔術理論を勉強したりすればそれで済む。
　それにひきかえ、精神界《アストラルサイド》の住人の場合はことなる。彼らが物質界で強い力を得たい場合、《《承認》》が非常に重要になってくる。
　ほら、聞いたことないかな。
　神様が人々に信仰を求めるのは、それ自身が自分の力になるからだ――という説。
　信仰が厚く知名度の高い神ほど、物質界で強い力を振るう事ができる。
　信仰が薄れた神はその逆だ。物質界ではロクに力などふるえないし、それどころか、神性が薄れて精神界《アストラルサイド》からも消滅してしまう。精神的な"死"だ。
　ゆえに精神界《アストラルサイド》の住人は、しばしば物質界にやってくる。
　そして、様々な事件を通して『あの湖にはえらい神様がいる』『スゴイ精霊がいる』と人々に思わせる事で信仰を促し――己の存在を確立させるのだ。
　あの時はすごかった。俺が噂を聞きつけた時には事態はだいぶ悪化していて……ただの悪霊が、村に伝わる『魔女』の伝承を利用することで、森の奥に潜む魔女という姿を手に入れていた。
　魔女は新興宗教を立ち上げ、人々を魅了し、更に勢力を広げた。最終的には国すら乗っ取り、魔女を認めない者を即処刑するような暗黒宗教国家を作り上げようとしていたのだ。
　灰色の魔女ルテレシア。
　ギリギリのところで俺が野望を阻止したからよかったものの、気づくのが遅れていたらどうなっていた事か。もうかれこれ800年は前の出来事だが、あれは大事件だった。
（あの時は、そうだ。近くで"魔女"という言葉を口にするだけでも、ルテレシアの力が強まっていたんだっけな）
　俺がとった手段はシンプルだった。《時流停滞》の呪文を使い、ルテレシアに洗脳された住人を時間停止状態に――つまり、永続的な行動不能に置いたのだ。ときには城下町ひとつをまるごと止めなければいけなかったのでひどく大変だったが、それに見合った結果は得られた。
　信仰が途絶えた事でルテレシアは弱まり、パニックに陥り――物理的にも霊的にも強固な守りを築いていた館から、自分から飛び出してきた。そこを討伐したのだ。
　話を戻そう。
　もし、アミア湖に住まうウンディーネがそれと同じ――つまり、悪意を持った存在になっているとしたら、どうだろう。魔界に満ちる魔素は人間界の比ではないから、この悪堕ちウンディーネ、間違いなく凶悪な存在になっているはずだ。
　当然、アクエリアスはそれを封じ込めようとするはずだ。湖面を凍結させたりして。
　信仰が増えればウンディーネの力も強まってしまうから、表向きは『魔素で汚染され、信仰も途絶えた湖』として人を遮断し、たまにやってきた物好きも追い払おうとするはずだ。
　……そして、助けを待っていたはずだ。
　この事実にたどり着ける者を。
　ウンディーネを救うか、あるいは、完全に滅ぼせる者を。
「ああ、そうだ。一つだけ――思い出話をさせてくれ。大事な話だ」
「ん」
　ちょうど俺の考えがまとまったところで、アクエリアスがおもむろに口を開いた。
「私が魔界にやってきた時はね、ひどく傷ついていたんだ。なにせ最終決戦の直後だからね……。《大霊穴》に呑み込まれ、運良くアミア湖のほとりに辿り着いたはいいものの、まさに死を待つだけという有様だった」
「でも、こうして生きてる。誰かが助けてくれたんだな？」
「ああ。他でもない、この湖の近くに住んでいた人々――精霊を祀る神官や巫女たちが。そして、ウンディーネ自身が、助けてくれたんだ」
　――ぐらり！
「うお……！」
　アクエリアスがウンディーネの名をハッキリ出した瞬間、地面が揺れ動いた。大きな地震のようだった。
　揺れはすぐに収まったが、今のはただの地震ではないのは明らかだった。魔力が――強烈な魔力が、凍結したアミア湖の奥深くから伝わってくる。
　ほんの少し名前を出しただけで、ウンディーネの力が増大し、封印が解けかかったのだ。
「彼女とは長い付き合いだったんだが……私が留守にしている間に、当時の魔王によって戦争の道具にされてしまってね。なかなか自分に従わない小国に呪いの水を送り込むための"兵器"にされてしまったんだ」
「……出来ない事じゃないな」
　魔女ルテレシアのように、精神界の住人は信仰やウワサによって力を得る。
　ならば簡単な話だ。『アミア湖に住まう精霊は、毒の水を作り出す邪悪な神』――そういう伝承を作って広めてしまえばいい。魔王の権力なら、可能なはずだ。
　いつの間にか、アクエリアスの顔から、人をからかうような笑みは消えていた。
「彼女は大切な友人だったんだ。正気を失い、荒れ狂い、間一髪で私が封印しているが……」
「いつまで持つかは分からない？」
「それもある。だがそれ以上に、愛する友人をいつまでも薄暗い湖底に閉じ込めておくのは、英国紳士の名折れだ」
　アクエリアスがじっとこちらを見、そして、言った。
「――なんとかできるかい？　レオ」
　なんとかする。
　つまり、殺すか。あるいは、救うかだ。
（……まったく……）
　俺はひっそりと嘆息した。これが、どこの誰ともしれない奴からの頼みなら、『不要なリスクを負う必要はない。さっさと倒してしまおう』で済んだんだけどな……。
　なんの事はない。俺も結局、久々に会った姉……いや妹……の前で、カッコつけたいだけなのだ。
　俺はこんなに成長したんだよと、そう言いたいだけなのだ。
「出来るに決まってんだろ。俺を誰だと思ってる」
「私の弟だね。そして、最強の生体兵器の一人だ」
「違う。俺は兄だし……あと、3000年生きてきた結果、違う肩書きを手に入れてる」
　俺はアクエリアスに向かって胸を張り、力強く応えた。
「俺は、勇者だ！　人間界を何度も救い、魔王エキドナと手を組み、そして今、魔界すら救おうとしている最強の勇者――レオ・デモンハートだ！　お前のトモダチくらいサクっと助けてやるから、大船に乗った気分でいろ！」
「……ふふふふ。なるほどね」
　どうも私の弟は、本当に頼れる男になったみたいだね。
　それまで目深に被っていた神官のフードを取ると、3000年前と変わらぬ顔が現れ――アクエリアスはそう言って、嬉しそうに笑った。

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第五章：勇者vs副王イリス（？）

1. 女性の部屋には勝手に入るな

　コン、コン、ココン、コン。
　ノックを適当に数回。続いて、豪華な扉の向こうに声をかける。
「おーいエキドナー。来たぞー」
　ここは王都スヴァネティア。王宮の奥まったところにあるエキドナの私室前だ。
　アクエリアスのやり方は回りくどいものだったが、おかげで水質改善のための数々のヒントを得る事ができた。要はウンディーネをなんとかすれば、魔界の水も綺麗になるのだ。
　えっ、それだけでいいの？　と思うかもしれない。
　そう。それだけでいいのだ。ウンディーネというのは一体ではないからだ。
　ウンディーネというのは色々な世界にいる。本体――仮に100のパワーを持つ『大精霊ウンディーネ』としようか。
　この大精霊ウンディーネは、人間界や魔界といった物質界の人間が意図的な降霊儀式でも行わない限り、こちら側には出てこられない。力が大きすぎるからだ。
　物質界と精神界の間には巨大な網のようなものが張られている。その網をくぐり抜けられる程度まで自分の力を細分化するか、降霊儀式によって網の目をぐいっと広げて貰わなければ、精霊・神霊はこちら側の世界へやってくる事ができない……というわけである。
　そこで力のある精霊たちは、その問題をとある方法でカバーする。力を100分の1くらいにまで落とした、自律的に行動する、もうひとりの自分――『主霊《プライム》』と呼ばれる分身を、こちら側に送り込むのだ。
　そのウンディーネ・プライムも、物質界に来たあとは自分の力を更に分割し、無数の分霊《アバター》を作り出し、世に放つ。
　そうやって世界中の湖、谷、山……ありとあらゆる場所に己を宿らせて、『ウンディーネの伝承』を各地に広めていくのだ。
　精神界から出てこれない大精霊ウンディーネ。
　そこから力を分け与えられた、ウンディーネ・主霊《プライム》。
　更にそこから分割された、ウンディーネ・分霊《アバター》。
　これらが三位一体となることで精霊たちは長い年月を生き、我々に『魔術』という形で力を分け与えてくれているのである――。（【よくわかる・12歳からの精霊学入門】より抜粋）
　さて。問題はここからである。
　ピンと来た人もいるかもしれない。『百分の一にされてなお、世界中に自分の分身を放てる主霊《プライム》ってメチャクチャ強くない？』と。
　正解だ。メチャクチャ強い。しかもアクエリアスの話だと、こちらの主霊《プライム》は最低でもベリアルとの戦争の頃――3000年前には既に完全な自我を確立し、死にかけのアクエリアスを治療し、現地住民との交流すらあったようだ。
　そんなやつが悪堕ちしているのである。魔界中の水に影響を及ぼすのはもちろんとして、どれほどの力を持っているのかは想像もつかない。
（……だからこそ、殺すのは最後の手段にしたいんだよなあ）
　頭をかく。なんとかしてウンディーネを助けるには、色々と下準備が必要だ。魔界中央アカデミアの地下図書館に入るにしても、俺一人では門前払いを喰らうのがオチだ。
　魔王の協力が必要なのだが――。
「うおーいエキドナ！　レオだ！　水質調査の結果報告と、あと相談がある。開けろ！」
　部屋の中からの返事はない。お行儀が悪いのを承知で部屋のドアノブに触れてみるが、物理的にも魔術的にも三重のロックがかかっているようだった。
　時刻は午後三時。魔界は昼も夜も薄明るく、外からは弱い夕暮れのような光が差し込んでいるが、寝るには少々早すぎる時間帯である。
　……というかそもそもの話、俺を呼びつけたのはエキドナ本人だ。
　アミア湖から俺が戻ったのはお昼ちょい前。部屋で報告書を書いていた時に、『午後三時、我の私室に報告に来い』と、エキドナの使い魔経由で連絡があったのだ。
　場所まで指定しておいて不在なわけがない。
　そう思って繰り返しドアをノックするのだが……。
「……おいおい。どうなってる？」
　返事はない。
　弱ったな……。勝手に入るか？
　いや、さすがにそれはマズいだろう。男が女の私室に無断で侵入するというのは、よほどの理由がない限り許されない行為である。
　……まあ、シュティーナに対してはやったけど。
　あれは別に構わないだろう。シュティーナだし……。
（……仕方がない。出直すか……）
　アミア湖の報告は急ぎの用件ではあるが、これ以上エキドナの好感度を下げたくもない。遅くとも明日の日中に執務室を訪れれば、確実にエキドナと話せるだろう。
　俺がそう思い直し、扉に背を向けた直後だった。
　――――部屋の中から、《《女の子》》の声が聞こえたのは。
『レオね？』
「ん」
『鍵は開けたわ。入りなさい』
「……」
　思わず、ドアの前で硬直してしまう。
　当たり前だ。今の声は……俺がはじめて耳にする、エキドナでもシュティーナでもない、謎の声だったからだ。
　声質からすると、年齢はかなり幼い。せいぜいリリよりやや歳上程度だろう。人間界でも魔界でも、まったく聞き覚えの無い声である。
　……そんなやつが、なぜ？
　なぜそんなやつが、魔王の私室に侵入しているのだ？
　もしかして、エキドナに恨みを持つ貴族あたりが送り込んだ、刺客かなにかだろうか――！？
（いやいや。待て待て。それはない）
　頭を振って考えを打ち消す。
　さすがにそれはないだろう。確かに、エキドナに従わない貴族や領主は今でもあちこちにいるようだが、それならもっと入念な下準備を……最低でも、俺が王宮を離れているときを狙って刺客を送り込んでくるはずだ。
　そもそもの話、俺と対等に戦えるエキドナが、そんな刺客なんぞにやられるわけが……。
『……ちょっとー！？　開けたって言ってるじゃない！　さっさと入ってきなさいってば！』
「……」
　俺が押し黙っていると、声色がだんだんと弱々しくなっていく。
『ね、ねえ……？　もしかして帰っちゃった？　嘘よね……？』
　……あっ、ごめん。これ、刺客じゃないな……？
　刺客ならこんな事は言わない。油断を誘うにしても、もう少し別の手があるだろう。これは……こいつは、刺客よりももっとマヌケな何かだ。
　はて、どうしたものだろう。
　……いや、もとより選択肢は一つだ。俺は頭をかきかき、改めてドアノブに手をかけた。
「あー、悪い。ちょっと考え事をな。……失礼」
　がちゃり。
　きらびやかな飾りがついた扉を、ゆっくりと押し開ける。
　そこに広がっていたのは、先日エキドナと話したときとまったく同じ光景だ。
　――豪華な絨毯。
　壁にかかっている様々な武具。
　いかにも王の居室です、といったインテリア。
　そんな中で、ただ一つ明確に異なる点があった。
「おっそいのよ！　帰っちゃったかなって心配したじゃない！」
「……」
　それが、彼女だった。
　俺の前の前に立つ、見知らぬ少女。
　光すら吸い込むような漆黒のドレス。
　さらさらと揺れる、よく手入れの行き届いたロングの黒髪。
　細い腰にさげているのは、暗銀色の刺突剣。
　人間年齢にすると、年の頃は14、15歳くらいだろうか。エキドナに似た角と尻尾があることから、この娘が上位魔族――悪魔《デーモン》族であることは分かった。
「挨拶させてもらうわ。私はイリス――副王イリス」
　そんな見知らぬ少女がえらそうにふんぞり返り、鼻息荒く名乗りをあげた。
「現魔王、高貴にして偉大なるエキドナ姉さまの妹。絶対無敵の美少女剣士、副王イリス様よ！」


2. 『なぜそれをするのか』を教えよ

　副王イリス。
　名前だけは以前、シュティーナから聞いた事がある。その名の通り、エキドナが不在のときに代理をつとめる『もうひとりの王』で――エキドナが人間界に攻め込んでいた間は、彼女が魔界を統治していたのだという。もちろん、魔界から人間界に向けての支援物資の手配なども込みだ。
　普段のエキドナは王っぽく振る舞っているが、イリスの性格はエキドナとは正反対。思慮深く、冷静で、口数が少ないが情が薄いわけではない。
　まるで影のように敬愛する姉を支える、静かなる実力者。それが副王イリスという話だった。
　ついでに言えば、その副王の座も血縁によるコネで手に入れたものではない。エキドナ・シュティーナと同じく『次期魔王決定バトルロイヤル』に出場し、自力で準優勝して得たものだ。
　相当な才媛だと聞いている。
　聞いているのだが。
　いま、俺の前でふんぞり返っているこの『イリス』は、どう見ても『思慮深い』『影のよう』という形容詞からは程遠い存在だった。
「……お前……なんか、聞いてたのとずいぶん違うな」
「レディに向かって"お前"とは失礼ね！　初対面の……」
　憤懣するイリスが、なぜかそこで一度口ごもった。そして、おどおどと訊ねてくる。
「……しょ、初対面よね？」
「なんでそこで自信なさげになるんだよ。初対面だろ、間違いなく」
「だったらいいのよ。――初対面の相手に"お前"とは失礼ね！」
「はいはい。悪かったよ、イリス様」
「素直でよろしい。許したげる」
　部屋を見回す。魔力も辿ってみるが、どうも室内には俺とイリスだけのようだ。つまり、部屋の主であるエキドナは不在である。
　エキドナは何処に行ったのか？　というところも疑問だが、それ以上に、イリスがエキドナの私室にいるのも疑問だった。
　いくら姉妹といっても、プライベートというものがあるはずだ。自分が不在の間に、私室に妹をほったらかしにするものだろうか……？
「……」
「なによ？」
　こいつ、もしかして……。
　呪文で姿を変えた、エキドナなのでは……。
「姉さまならしばらく出張よ。私は代理」
　洞察力はあるらしい。俺の考えを読むかのようにイリスが口を挟んだ。
「人間界への遠征で、長いあいだ魔界を留守にしてたでしょ？　だから、各地の有力領主のところに挨拶回り」
「なるほどな。魔界の勢力も一枚岩じゃない。地道な外交努力が必要、というわけか」
「そういうこと。メルネス君だっけ？　彼の部下が魔界中の情報を集めてくれたから、手土産とかも完璧よ」
　そこで、イリスの様子がおかしい事に気づいた。先程からそわそわと視線をバルコニーの方へ向けている。
　さりげなくそちらに目をやれば――ははーん。なるほど。
　バルコニーには二人分のティーセットが用意されていて、わざわざ人間界から取り寄せたのであろう、ドーナツなどのおやつも用意されている。ノックへの反応が遅れたのは、これのせいか。
「……そういや、朝から何も食べてないな。アミア湖から飛んで帰ってきたから」
「！」
「なんか軽く腹に入れておきたいんだが、何かないか？」
「そ、そうね。ちょうどいい事に……ちょうどいい事に！　お茶の用意がしてあるんだけど。一緒させてあげてもいいわよ！」
「そりゃありがたい。ご同伴に与るとするか」
　ここでひとつ、物事を教えるのが上手なやつと下手なやつの違いを教えよう。
　下手なやつは『What』――『何をするのか』だけを教える。"50個以上の薬草をまとめ売りしたあとは、かならず日時と客の特徴をメモしておけ"、といった具合だ。
　なぜメモをするのか教えないから、教わったやつも『ただメモするだけ』になりがちだ。そうやって無駄な仕事だけが増えていき、業務を圧迫していく。
　それに対して、教えるのが上手なやつ。
　こちらは『Why』……『何故それをするのか？』をセットで教える。
　"50個以上の薬草をまとめ買いしてくれるやつは上客だ。日時と客の特徴をメモっておいて、その客がどういうタイミングで来るかを把握しておけ。そうすれば来客に合わせて大量に仕入れる事だってできるし、仕入れ値が安くなるから値引きもできる。結果として、常連客を確保できる"――そんな感じだな。
　この二つの違いは明白だろう。どちらの店が繁盛するかも一目瞭然だ。人を育てるというのは、こういう事である。
　この事例からも分かる通り、物事を考える時は『なぜそれをするのか』が重要だ。
　なら、わざわざイリスが二人分のティーセットを用意して待っていたのは何故か……？
　理由はだいたい想像がつく。
　何か、腰を据えて話したい事があるのだ。それも俺とイリスの二人きりで。
　席につくと、ハーブティー特有のつんとした香りが俺の鼻腔をくすぐった。
「ん。こりゃ、カモミールティーか」
「うん。嫌い？」
「いや？　ただ単に――そういえばエキドナもカモミールが好きだったな、と思って」
「！」
　イリスの顔色が露骨に変わった。あわあわと視線をそらし、室内の戸棚を見、そこにダージリンやアッサム、アールグレイといった無数の茶葉が並んでいるのを見て、さらに目をそらす。
「茶葉は色々あるのに、わざわざカモミールを選ぶなんて。いやあ」
「う、うう……」
「やっぱりお前ら、姉妹だな。好みは似るもんだ」
「……あははは……。そう、そうなのよ。私と姉さま、昔からこれが大好きで。あははは」
「ははははは」
　なお、エキドナがカモミールティー好きになったのは人間界にやってきてからの話だ。カモミールはそもそも魔界に存在しないから、"昔から"好きなのは明らかにおかしい。
　……。
　まあ、いいだろう。
　さきほども言ったように、重要なのは『Why』。『なぜそれをするのか？』だ。
　『イリス』の正体を追求するのはいつでも出来るだろう。彼女が俺に対して話をしたがっているのなら、まずは話を聞くべきだろうと思えた。
「で？　なにか話があるんだろ。それとも、水質調査の報告から先にしてもいいか？」
「……ん」
　すっと、イリスの雰囲気が変わった。
　俺を驚かせたのはその変わりようだ。先程まではリリのような無邪気さを覗かせていたというのに、今はメルネスやエキドナのような鋭い目つきを帯びている。
　混沌渦巻く魔界で権力者の座を勝ち取るというのは容易い事ではない――そういうことなのだろう。アホっぽく見えても、一枚めくれば姉や四天王に匹敵する実力を秘めているようだった。
　……もっとも、中身が本当の『イリス』本人なのかは、現状だとわからないが。
「まだるっこしいのは嫌いだから、率直に聞くわ」
「なんだ」
「…………」
　イリスはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「レオ。あんた、次の魔王になるつもり、ない？」



3. 宿題

　エキドナの私室に備え付けられた、見晴らしの良いバルコニー。
　そこでお茶を飲みながら、俺とイリスは状況を整理していた。
「エキドナには、これ以上魔王をやっていく自信がない――か」
「勇者レオ《あんた》が有能すぎるせいで、ね」
　一言でまとめてしまえば、そういう事らしい。
『我を誰だと思っている。魔王だ！　魔界の王、炎を統べるもの、爆炎女帝エキドナだ！』
『それが……事もあろうに、"辞めたい"だと……！？』
『……辞めるわけッ！　なかろうがーッ！』
　あんな事を俺に言っていたエキドナだが……妹のイリスにだけはこっそり、自分の心境を打ち明けていたらしいのだ。
　いわく、
『自分は、何一つとしてレオに勝っている部分がない』
『一対一の戦いでは見事に敗北し、組織の運用や環境回復という面でも遅れを取っている』
『にもかかわらず、自分が魔王・レオが配下という今の形を維持できているのは、レオが気を遣ってくれているからだ。すべて"エキドナの指示でやった"という事にすることで、体裁を維持してくれているからだ』
『事実、レオは魔界の食料問題を解決してのけた。この調子ならば、じきに環境問題や人材問題も解決してしまうのだろう』
『……結局、我は何もできていない。ただ人間界へ行き、勇者に敗北しただけだ』
『このまま王を名乗っていて、いいものか』
　――と。
　最近どうも様子がおかしいとは思っていたが、理由を知れば意外な話だった。まさか俺に対してそこまでコンプレックスを抱いていたとは。
　魔王エキドナという女はもっとこう……絶対に砕けない鉄の信念と、絶対的な自信で組み立てられた、メンタルの体力バーが百本くらいある女だと思っていたんだが。どうもそうではなかったらしい。
「ちょっとレオ。あんた、姉さまの事を鋼鉄メンタルの無敵女だと思ってるでしょ」
「いやあ、そんな。……すまん、思った。思っていた」
「……まあ、分からなくもないけどね。魔王になってからの姉さまは、誰かの前では絶対に弱みを見せないから」
　王が迷いを見せてはならない。
　王が弱みを見せてはならない。
　王の迷いは民に伝搬し、王の弱みは国の弱みとなり、国を滅ぼす――それがエキドナとイリスの父、前魔王キュクレウスの教えらしい。
　それなりに筋が通った話でもあるのだが、この教えには一つ、考慮されていないポイントがある。それは、『突き詰めれば、王も一人の人間である』という事だ。
　迷わず、悩まず、なんの欠点もない――そんな完全生物などこの世には存在しない。悩んだ時、心が病みはじめた時は、『対等な』誰かに話を聞いてもらうべきなのだ。
　それをせずに強い王を演じ続けていれば、メンタルに負担がかかるに決まっている。
「で？　俺に王になれってのは、どういう事だ」
「言葉通りの意味よ。あたしがこう言うのもなんだけど、あんたはあらゆる面において姉さまを上回っているわ。姉さまの自虐ではなく、客観的に見た事実が、そうなの」
「ふん。そういうもんかね？」
「アンタだって分かってるでしょ。魔界を救い、人間界と魔界との和平を実現するという大事業を成し遂げるには、半端な人材では務まらない。情に流されず、二つの世界の損益を計算して動く事ができる、優秀な王が必要なのよ！」
「優秀な王。なるほどな。優秀な王……か」
「わかってくれた？」
「うん」
「だったら……」
「だったら、なおさらエキドナが王をやるべきだな」
「！？」
　何を言ってるんだお前は。
　さもそう言いたそうな表情でイリスが硬直したが、それに構わず続ける。
「王としての優秀さ、将来性でいえば、間違いなく俺よりエキドナのほうが勝っている。やはり、ここはエキドナの相談に乗り、あいつが抱えている悩みを解決し、魔王を続けて貰うのが一番いい……うん、そうしようじゃないか」
「どーして！　ここまでの流れでそうなるのよっ！？」
　バン！
　勢いよくイリスがティーテーブルを叩いた。俺は小規模な《重力結界《グラビテーションフィールド》》を発動させ、ティーカップが転倒するのを防ぐ。
　イリスはしばらく眉間を抑えていたが、深い溜め息のあと、やや落ち着いた様子で言った。
「……いい？　よく聞きなさいレオ。これはチャンスなのよ」
「チャンス？」
「そう。あんたは人間界を追い出されて、現魔王はあんたを次期魔王に推薦したがってて、しかもあんたは魔界でも次々と功績を立てている」
「この間の食料問題とかな。ついでに言うと、今この瞬間もヴァルゴとカナンが魔界各地を回って農場を立ち上げているから、現在進行系で功績を出し続けている事になる」
「なら、いいじゃない！　素直に魔王の座を継いで、あんたの求める平和な世界を作っていく大チャンス到来でしょ！　なのになんで、この期に及んで"エキドナに自信を取り戻させる"なんてこと言ってるのよ！？　無駄でしょ！　魔界にとっても、人間界にとっても、完全にっ！」
　一息にまくしたてたイリスが荒い息を吐く。
　彼女の呼吸が収まるのを待って、俺は静かに言った。
「無駄、無駄か……。無駄だと思うか？　本当に？」
「……。そりゃあ……無駄でしょ。いまさら自信を取り戻したところで、能力的な問題があるじゃない」
　口を尖らせ、イリスが力なく反論した。言っている間に、イリスは徐々に俯いていく。
「冗談抜きに、あんたのほうが優れてるんだもん。わ……姉さまがアンタに勝ってる部分なんて、一つも……」
「ある」
「え」
「エキドナのほうが勝っている部分は、ある」
　断言すると、イリスがぱっと顔をあげた。
　俺が嘘や気休めを言っているわけではないとすぐに分かったのだろう、その顔にはほんの少しの期待と、たくさんの疑問が渦巻いていた。
「あのな。俺がエキドナの上位互換だなんて話、あるわけないだろ。俺にだって弱点はあるし、エキドナのほうが優れてる部分だって、山程ある。王としても、人としてもな――分からないか？」
「……わ、わかんないわよ。具体的には……？」
「そうだな。具体的には――」
　エキドナにあって、俺にないもの。
　エキドナのほうが王として優れている部分。
　そのうちのひとつは、ズバリ言おう。《《人望》》だ。
　人望を勝ち取る方法は二つある。技を使うか、素質《カリスマ》を発揮するかだ。
　――確かに俺は魔王軍に入り、多くのやつの信頼を勝ち取ってきた。
　犬猿の仲だったエキドナやシュティーナに認められ、かたくなだったメルネスですら、今では俺に心をひらいている。
　だが、これはすべて、俺が長年培ってきた『技』によるものだ。
　話術をはじめとするテクニック。
　相手の心のスキマに入り込むタイミング。
　普段の挨拶からちょっとした振る舞いまで、俺の行動はすべて戦略的に組み立てられている。そうやって、"俺は信頼できますよ"と地道に刷り込んできた。まさしく、『技』の勝利だ。
　その点でいうと、エキドナは技で俺に負けているが、素質――生まれ持ったカリスマにおいては、俺をはるかに上回っている。
　何も考えなくとも、人がついてくる。俺のように理屈をこね回さなくとも、思ったように行動するだけで、信頼を勝ち取ってしまう。そんな天性のカリスマを持っているのが、エキドナという女なのだ。
　エキドナが俺に敗れた後、魔王城になおも多くの兵が残っていたのはその証と言えるだろう。
　魔王軍の兵士たちはみな、エキドナという王の手助けをしたいからこそ、彼女についてきたのである。これは、紛れもないカリスマだ。
　俺のような技は、鍛錬次第で誰でも会得できる。
　だが、素質というのは生まれ持ったものだ。正直言って『才能』とか『素質』という言葉で片付けるのは嫌いなのだが、それでも、生まれ持った向き不向きというのは確実に存在する。
　たとえば、俺――DH-06の開発コンセプトは、学習と成長だ。あらゆる事象を分析し、最適な形で真似することができる。《《だが、その道の専門家には負ける》》のが現実だ。
　潜在能力をフルに発揮した場合、超再生能力で言えばヴァルゴには負けてしまうだろう。
　氷術だけで戦った場合、水精霊《ウンディーネ》の加護がズバ抜けて強いアクエリアスにも負けてしまうだろう。というか、実際負けた。
　クソ……あれは失敗した。見栄を張って《絶対零度》だけで勝とうとしたのがいけなかった。たとえばあそこで《暴風乱刃《ギガタービュランス》》あたりを使い、アクエリアスの態勢を崩しつつ、漏れ出る冷気を暴風と共にあちら側にぶつけておけば、しょせん氷術しか能のないアクエリアスは為す術もなく……。
　…………話が逸れた。とにかく、そういうことだ。
　以前、リリがヨハン君に言っていたのと同じ事だ。
『努力すれば凡人でも強くなれるが、才能のあるやつが真面目に努力したら、もっと強くなる』という話である。
　なら、俺は王をやるより、才能のあるやつの補佐に回ったほうがいい。
　才能のあるやつ――それが、エキドナだ。俺が横で補佐し、俺の技を伝授していくことで、エキドナという女は素質と技の両方を身に着けた、最強の魔王になれる事だろう。
　だからこそ。
　安易に俺が王になるのではなく、エキドナに自信を取り戻させたい。俺はそう考えていた。
（――まあ。そこらへんも、結局はオマケ要素なんだけどな）
　心中でボヤく。
　確かに人望やカリスマといったものは重要だが、実のところ……それよりもずっと重要なものがあるのだ。
　それは、エキドナにあって俺には無いものである。
　人望よりも更に重要な、それでいて些細と言えば些細な、王に必要な要素である。
　それは――――。

「――いや。やっぱやめとこ」
「はあ！？」
　エキドナの方がレオより優れている。具体的には、どこが……。
　固唾をのんで俺の出方を見守っていたイリスが、今度こそ椅子から立ち上がり、俺につめよった。至近距離まで顔を近づけ、襟首を掴み、わっさわっさと俺を揺さぶる。
「どっ、どういう事よ！　まさかアンタ、口から出まかせ言ったんじゃないでしょうね！？」
「そんなわけないだろ。答えはちゃんと用意してる。だから、宿題にしよう」
「しゅ……宿題……？」
　落ち着かせるようにイリスの両肩をぽんぽんと叩き、身を離す。

「お姉ちゃん大好きなんだろ？　どうもお前は、さっきから……大好きなお姉ちゃんが俺より劣っていると《《自虐》》を続けているが、少しはお姉ちゃんの良いところを考えてみろ」
「う……」
「見れるよな。客観的に。エキドナ本人じゃないんだから」
「うっ、ううっ……」
　重要なのは、なぜこんな事をするのか――だ。
　この『イリス』が変装したエキドナである事は明らかだった。演技が雑すぎる以外にも数々な理由が……（後で明かそう）……ある。
　だが、今やるべき事はイリスの正体を暴く事ではない。なぜエキドナが、変装までして俺と話したがっているのか。そこを第一に考えるべきだろう。
　もちろん、理由はわかりきっている。
　エキドナは、悩みを俺に相談したかったのだ。
　誰かに弱みを見せられない魔王としてではなく――ただの魔族エキドナとして、対等な相談相手として、俺を頼りたかったのだ。
（……だからこそ、だ）
　だからこそ、この答えには自分で辿り着いて貰わないといけない。
　気づけエキドナ！　俺よりお前のほうが優れている部分、あるだろ！
　そんな想いを込めて、俺は腕組みして唸ったままのイリスに声をかけた。
「あるだろ。客観的に見て、エキドナが魔王をやったほうが絶対に良い理由。俺よりエキドナが王として勝っている部分――答えは、既に知っているはずだ」
「……ひ、ヒントとかは……？」
「さあな。人間界侵略に関係あることさ」
「あっ」
　俺の服の裾をつかみ、弱々しく訊ねるイリスを振り払う。
「じゃ、俺はこれで。アミア湖の調査報告書はあとで提出するから、宿題ガンバってな」
「あっ、ちょ！」
　そして、逃げるようにエキドナの部屋を立ち去る。
「――まっ、待ちなさい！　待ちなさいよーっ……！」
　イリスの声を背中に受けながらドアを閉め、廊下に出る。イリスもそれ以上追っては来ず、しんとした廊下の空気が俺を包み込んだ。
　逃げるようにエキドナの私室を去る――前回、エキドナと喧嘩した時とまったく同じ形だが、あの時よりも状況はずっと良い。あのエキドナが、俺を信用して、こうして悩みを打ち明けてくれたのだから。
　……思えば、俺は四天王たちの悩みを解決してきたが、エキドナの事はおろそかにしていた。
　あいつは強いやつだ。俺がいなくても大丈夫だろうと思っていた。
　だが違う。エキドナは思ったよりも弱く、そして、追い詰められている事が分かった。
　ならば、やるべき事は明確だ。俺は後ろを振り向き、廊下の突き当りにあるエキドナの居室に向かって軽く手を振った。
「安心しろ。俺がついてる、心配するな」
　だいぶ軽やかな足取りを自覚しつつ、俺は夕暮れの廊下を歩いていった。

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第六章：勇者vs水巫女クロケル


1. 仕事の根回しはしっかりやれ

「さて。上手い事、巫女さんを貸して貰えるといいんだがな」
「大丈夫でしょ。私がいるんだから」
　あれから数日後。
　俺はエキドナ……じゃない。イリスを連れ、王都からほど近い場所にある街を訪れていた。


【試験の順位、成績優秀生徒の名前などが張り出されている描写】


　鬱蒼とした森林地帯の中に築かれた、凄まじく巨大な城塞都市。
　こここそ、魔界のどの勢力にも属さない中立区画。
　あらゆる勢力が一丸となり、魔界の環境問題を研究し、魔界を支える次の世代の若者達を生み出す施設――独立学園都市、魔界中央アカデミアだ。
　アミア湖に潜む、悪堕ちしたウンディーネ・プライム。彼女を助けるために欠かせないのが、かつて湖畔で暮らしていた本物の巫女――ウンディーネを祀る『水の巫女』と呼ばれる血筋だった。　手順はこうだ。巫女の力を借りて降霊儀式を執り行い、意図的にウンディーネ本体――大精霊ウンディーネをこの世界へ降臨させる。
　大精霊が親、大精霊から生まれた主霊《プライム》が子、主霊から生まれた分身《アバター》が孫だ。本体である大精霊を降臨させることで、過去の魔王によって汚染されてしまった主霊を上書きしてしまえばいいのだ。
　その上で、大精霊を倒し、元の精神界へ送り返す。
　そうすることで――初期化された、何も汚染されていないまっさらな主霊だけが魔界には残され――水の汚染も解決する、というわけだ。
「でも、巫女ってほんとに必要なわけ？　大精霊の降臨なんてろくに事例がないから、なんとも言えないけど……」
「お前も知ってるだろ？　精霊や神霊たちは信仰によって力を得る。巫女なしで神降ろしをすれば、完全にランダムな姿でこの世に顕現してしまうんだ。俺らが倒せないくらい強大な形で降臨したら、どうするんだよ」
「う……じゃあ、巫女がいれば違うってわけ？」
「ああ。アカデミア《ここ》の図書館で調べてみたんだが、アミア湖のウンディーネ伝承を上手く利用できそうなんだ。それを長年語り継いできた巫女は、やはり必要不可欠だ」
　――文献に曰く。
　はるか昔に魔界を支配していた魔王クロケルは、魔界でも有数の氷術の使い手だった。
　そして、当時のアミア湖は水竜と呼ばれる大魔獣が支配していた。水竜は生贄――それも若い女限定――を定期的に要求し、彼女たちを喰らっていると信じられていた。事実、生贄たちは誰一人として湖から戻って来なかった。
　そこで立ち上がったのが魔王クロケルだ。クロケルは生贄の娘に扮し、たった一人で水竜のもとへ赴いた。そして、その卓越した氷術によって、見事水竜を退治したのだ。
「水竜の正体は、人喰い竜の伝承を作り出す事で力を高めようとしていたウンディーネ・プライムだった。クロケルによって倒されたウンディーネは改心し、以後は魔界に清らかな水をもたらすようになりましたとさ……というのが、古い伝承だ」
「……なるほど。それなら確かに、使えそうね」
　イリスが頷く。
　この伝承で重要なのは、『魔王クロケルに倒された』という点だ。
　精霊たちは伝承や信仰によって力を手に入れる。
　逆に言えば、伝承や信仰以上の力を手にする事は《《できない》》。
　ウンディーネ伝承を詳細に語り継いできた巫女の血筋――彼女、あるいは彼女たちの力を借りて降霊儀式を行う事で、『魔王の手に負える程度の』ウンディーネ本体が現世に降臨してくれるはずなのだ。
「ま、そのウンディーネも、結局は後世の魔王に利用されて悪堕ちしちまったんだけどな」
「皮肉なものね。しかも……その、あんたが会ったっていう謎の神官Aによると、力の増大を防ぐために信仰も途絶えてしまったのよね？」
「ああ。巫女や神官の血筋は魔界中に散り散りになり、行方はほとんど分からない。唯一行き先を掴めたのが、このアカデミアで精霊学を学んでいる女エルフ――クロケルだ」
　ウンディーネを祀る巫女は何人か居たようだが、その中でも一番力のある娘には、代々クロケルの名が授けられてきた。おそらくは、水竜を調伏した魔王クロケルに肖ってのものだろう。ウンディーネの良き友人であり、理解者であろうという想いを込めたのだ。
　そんな『現代のクロケル』が来てくれれば、ウンディーネ本体の降霊儀式もより盤石になるというものである。
　ゆえに、俺とイリスはアカデミア学園長の元を訪れ、魔王特権にてクロケルを一週間ほど貸してほしい、と頼みに来たのだが――。
「おやイリス様、おはようございます。昨晩はお疲れ様でした」
「うっ……！？」
　開口一番。
　優しそうなおばあちゃん学園長の言葉を聞くや否や、イリスが『しまった』という顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
「昨晩？」
「ええ。この世界の水や大地が魔素に汚染されているのはご存知だと思いますが、イリス様は汚染対策研究チームの指揮をずうっと取られているのです。今もここから少し離れた……ほら。あの西の塔に住まわれているんですよ」
「ほおー……」
　ちらりとイリスの方を見れば、ぎぎぎ、とぎこちない動きで俺から目をそらした。
「じゃ、王都にはしばらく戻ってないのか？」
「むしろ、最近王都からこちらへ戻られたばかりですね。ほら、エキドナ様が戻ってこられたから、これで王都の方は姉さまに任せられる……ということで」
「なるほど、なるほど？」
「昨晩も夜遅くまで研究資料をまとめてらしたんですよ。いやあ、頭が下がる事です。イリス様ときたら本当に仕事熱心な……」
「ちょっ……ちょっと。学園長、ちょっと来て」
「なんでしょう？」
「いいから来て。レオ、そこで待っててね」
　ぐいぐいと学園長を引っ張り、部屋の外に出ていくイリス。
「……ついてこないでよ！　絶っっ対、そこで待ってなさいよね！」
「はい、はい」
　この慌てよう。おそらく『イリスに扮してアカデミアに行くから、イリス本人は隠れてろ』とでも伝えたんだろうが、肝心の学園長に口封じをするのを忘れてたようだ。なんと雑極まりない仕事……。
　繰り返すが、俺がやるべき事はエキドナ＝イリスの正体を暴く事ではない。ここは見てみぬフリをする事にしよう。それに、このドジ自体も決して悪い事ではないしな。
「……あらあら。はい、承知しましたよ、イリス様」
「絶対よ！？　絶対だからね！」
　ほどなくして部屋に戻ってきた学園長の口元は綻んでいた。
　それはそうだろう。絶対権力者だと思っていたエキドナに、こんな間の抜けたところがあると分かったのだから。
　確かに、王が人前で弱味を見せるのは良くないかもしれない。悪意のある奴から見れば、王の弱みというのは国の弱みでもあるからだ。
　だが――大前提として、王は民に慕われないといけない。
　些細なドジというのは人を和ませ、親近感を抱かせるものだ。狙ってやるにせよ天然でやるにせよ、そういったところで他人から好かれる力――それがエキドナのカリスマの正体だった。
　改めて二人が席につく。イリスは俺の隣、学園長は反対側だ。イリスがソファにずぼんと身を沈めたところを見計らい、俺はあらためて本題を切り出した。
「それで、おたくの生徒のクロケルが必要なんだ。精霊学部の二年生」
「十日ほどクロケルを借りたいの。いいわよね？　詳細は言えないけど、これは魔界の危機を救う重要な仕事なの。協力してくれるなら、クロケルにもそれなりの見返りは用意するわ」
　イリスも追従する。
　大した条件ではないと思っていたのだが、学園長の反応は芳しくなかった。
「……うーん……。いいことは、いいのですが……」
　考え込んでしまう。俺はすぐ横のイリスを肘で小突き、
（……おい、話が違うぞ。なんかダメそうじゃねーか！）
（知らないわよー！？　そもそも"儀式のために生徒を借りる"なんて前例がないんだから！）
（クロケルって、そんな重要人物なのか？）
（ううん、そんな事はない……）
（……）
（はず……）
（そこは自信持って言い切れよ！）
（じ、地味な生徒のはずよ！　特に実績もないし、成績優秀って話も聞かないし！）
「……その、成績の話なのです」
　丸聞こえだったらしい。学園長がため息をついた。
「落第寸前の彼女を、助けてやっては頂けないでしょうか」



2. 仕事の安請け合いはやめよう

「助ける？」
　俺とイリスが同時に首を傾げると、学園長が再びため息をつき、肩を落とした。
「……クロケルは才能はあるのですが、どうも自分の能力に自信が持てない子でして。実戦だと極度に緊張してしまうせいか、試験では毎回赤点を取り、今では落第寸前なのです」
　そう言って、あらかじめ用意していた書類を机の上に並べる。
　クロケルの成績について書かれた報告書だった。ぺらぺらとそれをめくっていくと、すぐに悲惨な現状が明らかになった。
「……なるほど。能力自体は高いのに、注意散漫で儀式に失敗することが多いな。あがり症……というか、自分を信じていないんだな。限界を低く見積もりすぎなんだ」
「レオ見て、こっちなんか酷いわよ。実戦が怖いって理由で、魔獣討伐試験の途中で会場から逃げ出してる。たかだか最下級の大蜥蜴《リザード》相手なのに……」
「どうも、ご両親から重い期待をかけられているようなんですよ。"お前は一族を代表する存在だ"――と。子供の頃からそういう重圧を受けてきたせいで、思うところがあるのかもしれませんねえ」
「ふむ……」
　子供の性格を作るのは親の教育だ。幼少時から親がどういう接し方をしてきたかで、子供の性格、得意分野、果ては将来までもが決定する。
　クロケルの家系は、アミア湖を離れてからもウンディーネ信仰を忘れなかったのだろう。巫女の血筋である事を誇りに思い、優秀な娘に伝統ある『クロケル』の名を授け、万が一の時――つまり今回のような、巫女が必要な時――に活躍できるよう、ありったけの期待をぶつけてきた。
　抱えきれない程の期待を背負った時、人は二種類に分かれる。
　一つはエキドナのように、期待されるような人物であろうと、自分を作り変えてしまう。
　そしてもう一つは……期待の重さに潰され、極端に自信を失ったり、ねじ曲がった性格になってしまう。クロケルは後者のようだった。
「どうでしょうか。クロケルをお貸しするのは構わないのですが、ひとつ、彼女の成績向上の手助けをしてやっては頂けないですか。ちょうど来月には試験も控えていますし……」
「……そう言われてもなあ」
　四天王の時もワイバーンの時もそうだが、俺は人を育てる事に関しては自信がある。
　なにせ俺自身、もともと弱っちいところから成長してきたからな。"元・弱者"だからこそ、どうやれば強くなれるかを人一倍理解しているのだ。そういう意味では、クロケルちゃんを育てるのはそう難しい事ではないと思えた。
　だが、なにせ状況が状況である。アクエリアスと話した時の事を考えると、ウンディーネが眠る凍結湖の封印は今にも解けそうだ。もし封印が解けて悪堕ちしたウンディーネ・プライムが暴れだした場合、どういう事になるのか見当もつかない。
　そうなる前に恒例儀式を執り行い、ウンディーネの性質を上書きしたい。ほのぼのしているように見えて、その実は一刻を争う事態なのだ。
（実力はある、ってのは幸いだな。自信がないだけならいくらでもやりようがある）
　俺は心の中で算段をつけた。言い方は悪いが――ひとまずは口先三寸でクロケルを騙し、ニセの自信を植え付けるしかあるまい。これで当面の儀式は乗り越えられるはずだ。
　根本的な『治療』については、事態が解決した後ゆっくり行う。よし、そういう方向で行こう。俺はイリスとその事を相談するべく、一度部屋を出ようと――。
「いいわよ」
　――出ようとする前に、イリスがさらりと返事してしまった。
「お安いご用じゃない。そのクロケルって子、サクッと成績アップさせてあげる」
「おいいいいいい！？」
「本当ですか！　さすがイリス様、頼れるお方です」
「そんかわり、約束してね？　成績アップしたら絶対にクロケルを貸してちょうだい」
「それは勿論！　クロケルが嫌だと言って泣き叫んでも、無理やり連れて行って構いません」
「オッケー！　じゃ、交渉成立ねっ！」
　がっしと握手するイリスと学園長を見ながら、俺は半ばヤケになりつつお茶菓子（魔界特産：激辛せんべい）を齧っていた。
　イリス……いや、エキドナは、確かにこういうところがある。理屈ではなく感情で行動するし、困っている人は見捨てない。それがエキドナの良いところなのだ……わかる、わかるよ。
　わかるんだが……。
「お、俺は知らんからな……安請け合いしやがって……」
　やはりこのポンコツ魔王、俺がついていてやらないと不安すぎる。
　激辛せんべいをばりぼりと噛み砕きながら、俺は深い溜め息をついた。



3. 

「――ということなのよ、クロケルさん」
　イリスが学園長と（安易な）約束をかわしてから数時間後。
　俺たちの行く手には、早くも暗雲が立ち込めはじめていた。
「魔王様じきじきに指揮を取る、大精霊ウンディーネの降霊儀式。あなたが儀式に協力すれば、その見返りとして、副王イリス様と勇者レオ様があなたの家庭教師をしてくれるそうなのです。めったにないチャンスだと思いませんか？」
「無理です……無理ですよう」
　アカデミアの制服に身を包んだ少女が、学園長の言葉にふるふると首を振った。
　薄い水色の髪をポニーテールにした、エルフの少女――この子が水巫女クロケルだ。
　二百年ほど前までアミア湖付近に居を構えていた、ウンディーネ信仰の民。
　彼らの中でもひときわ強い力を持っていた、"水の巫女"。
　巫女の血筋は、魔王クロケルとウンディーネの戦いの伝承をあまさず記憶し、現代に伝えている。彼女がいることで、今回の降霊儀式の安定性は増し、より確実にウンディーネを初期化できる。　まさに、今回の降霊儀式のキーパーソンと言える存在だった。
　……だが。
「うちなんかが、そんな大層な儀式でお役に立てるとは思えません。ブザマに失敗するのがオチです」
「あなたねえ……」
　そんなキーパーソンからは、覇気も気力もまるで感じられなかった。
　表情は常に暗く、しきりにため息をつき、自分の実力を疑いきっている。ちょっと目を離せば、すぐどこかへ逃げ出してしまいそうだ。
「それに、誰が先生になっても同じ事です。うちは所詮、どこにでもいる三流魔術師で……伸びしろなんかあるわけないんです。ほっといてください」
　取り付く島もない。最近成績が伸び悩んでいる、というから一度会って話をしようと思ったのだが、ここまでどんよりした、自虐的な娘だとは思わなかった。
「いいじゃないですか、ウチなんかより優れた人はいっぱいいるんですから。人手が必要なら、別の人を探してください。……では」
「あ、ちょっと！？　クロケルさん！」
「いいわよ学園長。行かせてあげなさい」
　勝手に退席するクロケルを押し止めようとした学園長だったが、イリスがそれを制した。
　このまま説得を続けていても埒があかない。作戦の練り直しが必要だ、と思ったのだろう。同じ印象を抱いた俺も、立ち去るクロケルをそのまま見送る。
　ぱたぱた。ぱたぱたぱた……。
　廊下を走るクロケルの足音が聞こえなくなったころ、学園長が大きなため息をついた。
「申し訳ございませんイリス様、レオ様。最近はずっとあの調子でして……」
「いいのよ、人となりが把握できただけでも進展はあったわ」
　イリスが頷く。俺も同じように頷いて同意を示し、
「そもそも学園長、クロケルがあんなに――あれほどまでに自信を喪失してるのは、何故だ？　いったいぜんたい、何が原因なんだ？」
　"自信を喪失"のところで、俺の隣に座るイリスがぴくりと身じろぎした。
「成績が悪いっていうから、てっきり俺は、真面目さに欠ける不良生徒なのかと思ってたんだ。だが今の様子を見ると、どうもそういうタイプとは違うように見える」
「ええ。実は――」
　学園長は姿勢をただし、クロケルの事について一つずつ語り始めていった。
「……へぇー、そりゃあすごい」
「じゃああの子、ホンモノの天才ってことじゃない！」
　俺とイリスが驚嘆の声を挙げたのは、まったくの同時だった。
　学園長いわく。クロケルは去年、この魔界中央アカデミアの入学試験で、ぶっちぎりの一位を取って入学したらしいのだ。
　ぶっちぎり、である。来る日も来る日も戦争ばっかりやってきた魔界の民は、人間界の連中とは比べ物にならないくらい魔術に長けている。そんな魔界中から優秀な魔術師が集まるのが、この中央アカデミアなのだ。
　いや、実のところはやれ剣士やら武闘家やら様々な奴が来るのだが、少なくともクロケルが専攻している精霊学部に関しては、大半が魔術師だ。
　そうなると、もちろん入学試験も熾烈を極める。中には『なんでこんな奴が今さら入学してくるんだよ』という超高位魔術師が現れる事も珍しくないのだという。
　そんな試験においてぶっちぎり一位を取るというのが、どれほど困難か――イリスが目を丸くして驚いている事からも、それは明らかだろう。
「"うちなんか"――か」
　そんな彼女が、何故自信を喪失しているのか。
　俺は先ほどクロケル本人が口にしていた言葉から、ある程度のあたりをつけていた。
「なるほど。とどのつまり、打たれ弱いんだな。彼女」
「！」
「え、なになに？」
　俺のつぶやきに首を傾げるイリス。しかし、学園長の方は驚きに目を見開いていた。
「そ、そうなのですよ。あの短い会話でそれを……？」
「大して難しい事じゃない。決まり文句だろ？　"他の人と比べて、私なんて……"ってのは」
「それはそうですが……」
「ちょっとレオ、学園長！　わかるように説明しなさいよ！」
「つまりだな。あいつ《クロケル》は、誰かと比較される事に慣れていないんだ。メンタルの防御力が、紙きれみたいにペラッペラなんだよ」
　絶賛自信喪失中のエキドナもそうだが、実力者はいつも自信満々でいられるわけではない。
　むしろ逆だ。高い実力を持っている奴ほど、より高度なフィールドで戦い、より優れたライバルたちの姿を目の当たりにすることになる。当然、自信を失う可能性も高くなる。
　雲の上の実力者ほど、『なぜあいつに出来る事が自分には出来なかったのか』なんて悩みに毎日のように襲われ、それを克服するためのメンタル・トレーニングを重要視するものなのだ。
　クロケルの才能はホンモノである。
　それは間違いない。
　だが、本当の実力者が重要視する、自分のメンタルを制御する力――精神面の防御力までは鍛えていなかった。いや、鍛えられる環境になかったのだろう。アマチュアの限界だ。
「見ろ、クロケルの出自をまとめた書類だ。出身地はどこになってる？」
「えと、ラーテ村……？　知ってるわ。アミア湖からしばらく東へ行ったところにある、ごく小規模なエルフの集落ね。アミア湖が汚染されてからは、ウンディーネ信仰の民の一部がここに移り住んだって聞いた事があるわ」
「"誰かと比較される"っていうのは、すなわち"誰かと競争する"こと。誰かと戦う、誰かとケンカするってことだ。小さな村でそんな経験が積めると思うか？」
「あっ」
「わかったか。あいつは、何の訓練も受けずに実戦に放り込まれた新兵みたいなもんなんだよ」
　ここに来る途中でちらと見た通り、アカデミアは常に苛烈な順位争いが起きている。
　魔界とて一枚岩ではない。現状は魔王《エキドナ》の下に多数の領主が集っているが、その領主たちは常に実権を握りたがっている。もし自身の領地から派遣した生徒が、見事アカデミアの主席にでもなったとしたら――その主席生徒は魔王軍の次期幹部となり、その生徒を輩出した領主もまた、強い後ろ盾を得る事ができるだろう。これはもう順位争いというより、ガチの権力争いに近い。生徒たちもライバルを蹴落とそうと必死だろう。
　そんなところに、"才能だけはあるが、まるでケンカ慣れしていない"クロケルが放り込まれれば……まあ、萎縮して当然だわな。ただでさえ、クロケルが育ってきたような村社会というのは『隣人との調和、譲り合い』を美徳とするものだし。
　はあ、と学園長がため息をついた。
「そうなのです。最初は私どもも、これはすごい逸材がやってきたぞと大喜びしたのですが……講義や試験で他人と比較される度に、どんどんクロケルの成績が落ちていきまして」
「魔術のキモは想像力だからな。『呪文が発動したときのイメージ』をのびのびと思い描ける者ほど、優秀な魔術師になれる。だが、クロケルの場合は……」
「……精神的に打たれ弱い、というのが致命的よね。メンタルが不調に陥れば満足に術を発動できないし、そのせいで成績は落ちて、さらに自信を失う。完全なる悪循環だわ」
　これで分かった。
　クロケルの弱点はメンタルの打たれ弱さ。それが成績悪化に繋がっているのだ。
「どうレオ？　なんとか、できそう？」
　イリスが不安げに俺を見た。
　そりゃそうだ。イリスがこの問題をサクッと解決できるなら、エキドナの自信喪失問題だって解決できてしまうだろう。彼女は、自信を失った者に対する的確な措置を分かっていないのだ。
「楽勝だ」
「おお……！　本当ですか！」
「だっ、大丈夫なの、そんな安請け合いして！？」
「問題ない。あいつに足りないものはもうわかってるからな。――"自分だけの勲章"だ」



4. 拠り所となる『自分だけの勲章』を作れ

「……自分だけの、勲章ぉ？」
「もらった表彰状の数が少ない。ということですか？」
「違う。端的に言えば、自分に対する誇りを持てって事だ」
　喩えというのは、概してわかりにくいものだ。俺はイリスと学園長を交互に見ながら、ひとつ実体験を語る事にした。
「学園長には言ってなかったが、俺は3000年前から生きている」
「は！？」
　ただの純人間が……！？　という顔をされる。こういう反応には慣れっこだ。
「純人間じゃないからな。魔王ベリアルが人間界に侵攻した頃、科学者――人間界の魔術師たちが総力をあげて作り出した、最強の決戦兵器。魔王に対抗しうるホムンクルス。それが、俺だ」
「はあー……」
「ほんとよ。色々あって、今はあた」
「あた？」
「……姉さまの部下になっているけど、こいつは3000年間ずうっと人間界を守り続けてきたの。"自称"でもなんでもない、100%ホンモノの勇者ってわけ」
「しかし、それとクロケルの自信喪失と、何か関係が……？」
「大いにある。そのベリアルとの戦いこそ、俺の"勲章"だからだ」
　3000年。
　一人で人類を守り続けるには、少々長すぎる時間だ。
　俺だって完全無敵ではない。特に最初の頃はまだ俺の『成長』も不十分で、ピンチに陥る事も多かった。このまま死ぬのでは――と思った事も、一度や二度ではない。
　強者との戦いで、自信を失いかけた時。心が折れそうになった時。
　俺を支えてくれたのは、いつだって『自分だけの勲章』だった。
「俺は魔王ベリアルを倒した勇者だ。あの死闘を乗り越えたこの俺なら、今回だって絶対に乗り越えられる。この俺が、世界を救えないわけがない――！　そういう、ちっぽけで安っぽい誇りこそが、俺の拠り所。俺だけの勲章だ」
「成功経験ってことね、つまり」
「ああ。大したもんじゃなくていいんだ。"友達の中で一番絵が上手い"とか、"親に褒められた"とか、なんだっていい。何かひとつ、自分を信じられるものがあれば――"俺は俺だ！"と胸を張って自分を誇れる、絶対的な評価軸を自分で持つことができれば。人は何度でも勲章の力で立ち上がって、戦える」
　自信を失っているクロケルに足りないのは、これだ。
　絶体絶命の戦いを乗り越えた実績――ではない。自分を評価する力が足りないのだ。
　自分で自分を評価できないから、外部評価ばかりに頼ってしまう。
　自分と他人と比較して、どんどん暗く沈んでいってしまう。
　これでは永久に負のループから脱出できない。あいつには、自分を誇りに思える力、誇りに思える経験を与えてやらなければならないだろう。
「勝算は十分にある。俺に任せろ。――だが、イリス。これだけは覚えておけ」
「……な、なによ……？」
　今回の降霊儀式はクロケルがキーパーソンだ。
　儀式の最中にクロケルが自信を失えば、本人はもちろん、儀式に参加するメンバー……俺やエキドナ、四天王全員が危険に晒されかねない。
　フェイルセーフ。
　より万全を期しておきたい。
　となれば――。
「俺がなんとかできるのは、半分まで。技術面だけだ」
「へ？」
「残りの『もう半分』は……イリス。お前がなんとかしろ」


5. 

「圧し潰せ――《破軍瀑流《タイダルストーム》》！」
　――ドン！
　計十二本の水柱が立ち上り、一斉に弾けた。
　水は破壊の渦となって押し寄せる。第一波だけで堅牢な鉄巨人数体が粉砕され、残った鉄巨人もまた、次々と破壊されていく。
　悩みから解き放たれたクロケルの実力は、それはもう、凄まじいものだった。
　――ここは魔界中央アカデミア、第三試験場。
　学舎からやや離れた、もとはだだっ広い荒野だった地点。そこに設置された巨大なドームが、この試験場だ。試験官をつとめるレオが、あたしの横で楽しげに口笛を吹いた。
「ヒューッ、やるねえ！　クロケル、あと六体だ。気ぃ抜くなよ！」
「はいっ！」
　あのあとすぐ。
　レオはクロケルのもとへ赴き、このドームでクロケルの実力テストをやると言い放った。
　カリキュラムは数カ月後に行う、上級魔術師への昇級試験と同じ内容。つまり、クロケルだけ昇級を前倒しにするというわけだ。
　この突発テストをクリアできたなら、最近の成績の悪さはすべてチャラ。それに加えて、ウンディーネ降霊儀式に参加するかどうかを選ばせてやる。
　そのかわり、失敗したら即退学。最近は成績も悪化の一途を辿っているようだし、お前のような生徒はアカデミアには要らん。実家に帰ってのんびり暮らすんだな……。レオはそう言い放ち、クロケルの宿舎を去った。
　当たり前だが、クロケルは凄まじく動揺。この世の終わりが来たといったような顔でふらふらと逃げ出し、昨晩と今朝の計二度捕まり、三度目の今回、ようやく試験に臨んだのだった。
　もちろん、あたしも怒った。ものすごく。
　外部評価を気にして実力が発揮できない、メンタルの弱い天才……。そんな彼女を更に追い込むような真似をしてどういうつもりだ！　と、レオに詰め寄ったのだ。

「ぬぁに考えてんのよアンタはーーーーっ！」
「ま、待てイリス……！　ステイステイ！　話を聞け！」
「いいわよ、言い残す事があるならどうぞ言いなさい。『遺言』をね。リリやシュティーナ達にはあたしから伝えておいてあげるわ」
「そうじゃない！　狙いは――上書き！　上書きなんだ！」
「上書き……？」
　感情は振り子のようなもの。それがレオの言い分だった。
　小さな不安は小さな安心に。そして大きな不安は、大きな安心に変わるというのだ。
「今のクロケルは、不安感が膨れに膨れ上がった状態だ。自分の才能も、実力も、何も信じられない。ちょっとくらいの成功じゃ、あいつを安心させるには至らないんだよ」
「……それで、わざと追い込みをかけて、不安を大きくしてるってわけ？　安心感を大きくするために……？」
「ああ。退学をかけた、準備もクソもない突発試験――そんな死闘を乗り越えれば、クロケルも自分を信じる事ができるだろう。劣等感も解消され、儀式に協力してくれるようになるというわけだ。めでたし、めでたし」
「バッッッカじゃないの！？　そんなプレッシャーかかりまくりの状況で、誰が万全な実力を発揮できるっつーのよ！　試験に失敗して余計に劣等感が強まるだけでしょーが！」
「大丈夫だ」
　激怒するあたしに対し、レオは自信満々に頷いた。
「俺を信じろ。ああいうタイプはな、壊れる直前までプレッシャーがかかると、逆に、恐ろしいまでに強くなるんだ」

　――クロケルが放った高圧水流が、レオの生み出した鉄巨人《アイアンゴーレム》を粉砕した。
　あと一体倒せば試験合格だ。事実上、もうクロケルの昇級は揺るぎないものとなっている。
「まさか、こんなに上手く行くなんてねー……」
「な？　言った通りだろ？」
　あたしのぼやきを、レオが自信満々に拾った。
「演技とはいえ、相手を精神的に追い込むっていうのは、あんまりよくないんだけどな。あの手のヤツに極限までプレッシャーをかけると、あるタイミングを境に、強い生存本能が働きだすんだ。ふざけるな、絶対に生き残ってやる――という力がな」
「悩み事も吹っ飛ぶってこと？」
「そうだ。今のクロケルの集中力は限界まで高まり、目の前の問題をクリアする事だけに全力を注いでいる。視界が狭まるほどの、強烈なコンセントレーション《集中力》――。コンセントレーションは、メンタルに関係なく実力を発揮するために必要不可欠な技術だ。それを無理やり生み出したわけさ」
　たしかに。
　眼前の出来事に全力投球している間は、悩みも不安も全部吹き飛んでしまう。あらゆる悩みから解き放たれたクロケルは、入学試験一位の実力を発揮できるはずだ。
　そして、この試験をスパッとクリアできれば、クロケルは大きな自信と成功経験を手にする事ができる。レオの言った通り、大きな不安は大きな安心に変わるわけだ。
「――そこまでッ！　試験終了！」
　レオが大きな声をはりあげた。ターゲットである鉄巨人15体、その全てが破壊されたのだ。
「やりました……！　学園長、見ていてくれましたか！　うち、やりましたー！」
「ええ、ええ、見ていましたよ。さすがクロケルさん。あなたは本来、これだけの力を持っているんですから、その事を忘れないでくださいね」
「はい！」
　ぶんぶんとポニーテールを揺らして頷くクロケル。その顔には、つい昨日まで浮かんでいた暗さや劣等感といったマイナス感情は全く感じられない。
　退学をかけた試験を、唐突に開く。
　そんなとんでもない行動も、すべてはレオの計画通りだったというわけだ。
（……ああ。結局あたし、何もできてないな……）
　結局、今回の問題も、レオ一人で全部解決してしまった……。
　あたしはただアカデミアについてきて、学園長にちょろっと口利きしただけだ。情けなさで胸がぎゅうっと締め付けられた。
「ああ、それでな、クロケル。ウンディーネ降霊儀式についてなんだが」
「はいはいっ！」
　びしりと敬礼し、クロケルが上機嫌でレオに駆け寄った。まるで忠犬か何かのようだ。
「お任せくださいレオ様！　ウンディーネ降霊儀式、もちろんお手伝いさせていただきます！　今のわたしなら、大精霊だろうとデミゴッドだろうと余裕で降ろせる気がします！」
「そりゃ頼もしい！　いや、実は儀式に参加する前に――これ」
　レオが、懐から一枚の紙切れをぺらりと取り出した。
「遺書、な。遺書を書いてほしいんだ」
「…………へ？」
　！？
　こ、こいつ……いきなり何を言い出すのか……！？
「あ、分かりにくかったか？　"死ぬかもしれない"って事さ。巫女のお前は儀式の最中、一番目立つからな。怒り狂ったウンディーネに狙われる可能性は非常に高い」
　あまりに話が急だったため、クロケルもあたしも口を挟めず、呆然としていた。それをいいことに、レオはどんどん勝手に話を進めていく。
「相手は大精霊だ。制御して意図的に降臨させるとはいえ、そんじょそこらの魔獣とは格が違う。命の危険がつきまとうのは当たり前だろ？」
「そ、そうです……けど」
「俺の想定では、えー、5割強だ。お前が死ぬ確率……。となるとやっぱ、遺書は必要だろ？」
　な……な、なな、な……！
　こいつ……この、この男は……！
　本当に……このアホ勇者は……！
「大精霊の攻撃を喰らえば、最悪、骨すら残らないかもしれん。死体から身元を調べるのも困難になるはずだ。だからこそ、ご両親のためにちゃんと遺書を――」
「――なにクソみたいな脅しかけてんのよアンタはーーーーーーっ！」
「ぐぼあああ！？」
　あたし渾身のドロップキックが、振り向いたレオの顔面にめり込んだ。そのままレオはどひゅんと吹っ飛び、先ほどクロケルが倒したゴーレムの残骸に頭から突っ込み、動かなくなる。
　……あっ嘘。いまピクって動いた。
「《灼炎槍《フレイムランス》》！」
「ぐあーっ！？」
　あたしの放った炎の槍が着弾と同時に大爆発を起こし、残骸ごとレオを空中に舞い上げた。
　へろへろぼとりとレオが落ちてきて、爆発によって穿たれた巨大クレーターの中央に墜落し、今度こそぴくりとも動かなくなる。
　よしっ！　これで悪は去った！
「イリス様！？」
「大丈夫よクロケル。邪悪な勇者はきっちり葬り去ったわ」
「そうではなくて！　流石にこれはやりすぎというか、レオ様、死んでしまったのでは！？」
　脅されていたにもかかわらず、クロケルはレオの方を心配している。
　まあ、レオの見た目『だけ』はただの純人間だから、わからなくもないが……。
「死ぬわけないでしょ。あいつはね、見た目よりもずうーっと頑丈にできてるの。ちょっとキツめのおしおきみたいなもんよ、この程度」
「こ……この、程度……」
　クロケルの顔が急に深刻なものに変わった。
　え、なに？
　あたし、何かまずい事言った……？
「……そうですよね。魔王様に次ぐ実力者と、その側近なら、コレくらいの強さがあって当然なんですよね。そういうレベルの戦いなんですよね、今回の降霊儀式……」
　……あっ、やばっ！
　ミスった！
　ただ単にレオにお灸を据えるだけのはずが、なんだかすごくマズい方向に！
「そんな方々ならともかく、わたしみたいなへなちょこ学生が大精霊との戦いに参加したら……れっ、レオ様の言う通り、ほんとに命を……」
「ち、違う違う！　クロケルあのね！　そうじゃなくて！」
「うう～～」
　ああああっ、どんどんクロケルのテンションが下がっていく！
　これじゃあ元の木阿弥だ。せっかく試験で自信をつけさせたというのに、こんな精神状態では実力を発揮できるわけがない。儀式が上手く行くかどうかも怪しいものだ！
　それもこれも、すべてはレオが無駄な脅しをかけたせいだ。
　あんのクソ勇者、いったいなに考えてんのよ！
　もう一発くらい《灼炎槍》を叩き込んでやろうかしら……！
（――いや。落ち着くのよ、今はそれどころじゃない）
　気持ちを切り替える。
　いまはクロケルのケアが最優先だ。レオへの拷問は、あとにしよう。
　とにかく重要なのは、クロケルの実力はメンタルの調子に大きく左右されるということ。
　そして今、せっかく回復したそのメンタルが、（主にレオのせいで）ものすごい勢いで下降し続けており、儀式にも影響が出そうだということ――それが最大の問題点だった。
　ならば、あたしがやるべき事は一つしかない。
「クロケル」
「はい……」
　どよん、と濁ったクロケルの瞳がこちらを向く。
「さっき見せたあんたの最強呪文、手加減抜きであたしにぶっぱなしなさい」
「はい……はい？」
　一瞬、あたしの言葉の意味がわからなかったらしい。寝ぼけた返事をするクロケルをあえてキツく睨みつけ、あたしは腰の刺突剣を引き抜き、彼女につきつけた。
「ひえっ！？」
「本気の本気、殺意全開のフルパワーでやるのよ。もしちょっとでも手を抜いたり、逃げ出したりしたら、そのときは問答無用であんたの全身を切り刻むわ」
「ど、どど、どうしてそんな急に……」
「どうしてもよ！　やるの？　やんないの！？」
「わっ、わかりました！　やりますやります、やりますよう！」
　半泣きになりながらだばだばと走り、距離を取るクロケル。よしっ、第一段階は成功だ！
　あたしが今やったのは、レオの理論の応用だ。『心が重く沈んでいるなら、別の問題をぶつけてそっちに意識を向けさせればいい』――というやつ。
　自分では実力不足かもしれない、儀式で死ぬかもしれない。そういうネガティブ思考を、『なんかよくわからないけどイリス様が怒ってる』という、より身近な問題で相殺したのだ。短時間ならば、今のクロケルは儀式の事を忘れ、100%の力を出せるはず。
　……そして。
　そして、あたしの見立て通りなら――多分これで、クロケルは自信を取り戻せるはず！
「ううっ、どうしてこんな事に……！」
「さあ！　来なさいクロケル！」
「どうしてこんな事に～～～！」
「あんたの全力、あたしにぶつけてみろーっ！」
　ぎん、とクロケルの目が鋭く光った。
　本気の本気、巫女特有のトランス状態に入ったのだ。一瞬にして別人のようになったクロケルの両手が空中にルーンを刻み、周囲に巨大な魔法陣を構成していく。
　強敵と相対したとき特有の、背筋がぞくぞくする感覚が走った。
「――」
　よどみない詠唱。高まる魔力。
　……やはり、あたしの見立ては間違っていなかった。
　クロケルがしっかりと本気を出せたなら……。
　この子は、魔王軍の次期幹部にだってなれる！
「すべてを呑み込み、圧し潰せ――！　《破軍瀑流《タイダルストーム》》！」
　あたしを取り巻くように、計十二本の水柱が立ち上る。
　一瞬の後、それらがひとりでに弾け――指向性を持った大津波として、あたしを押し潰した。



6. 

「……すみません学園長、ほんとにすみません……！」
　十五分後。
　あたしの前には、学園長に土下座し、ひたすらに謝り倒すクロケルの姿があった。
「いいんですよクロケルさん。あなた本来の力を久々に見れて、ホッとしたわ」
「で、でも……これはさすがに、やりすぎました。すみません……」
　まあ、クロケルが畏まるのももっともだろう。
　魔界中央アカデミア、第三試験場。
　特殊鉱石を使った巨大なドームは、クロケルの《破軍瀑流《タイダルストーム》》によって半壊……いや3/4壊……いや、ほとんど全壊状態になってしまったからだ。
　《破軍瀑流》は、《六界炎獄》や《絶対零度》と同じランクに位置する、最上位呪文の一つである。制御は非常に難しく、やわな魔術師が放てば魔力も生命力も根こそぎ持っていかれて昏睡状態に陥り、最悪死ぬ。
　その最上位呪文を放ってなお、ああしてぺこぺこ謝る元気が有り余っているのだ。やはり、本来持ちうる実力をすべて発揮したクロケルは、とんでもない逸材だった。
「イリス様にも申し訳ないです……うち、つい調子に乗ってしまって」
「なんで謝るのよ。本気で来いって言ったのはあたしなんだから、気にしてないわよ」
「……あの、そこなんですが」
　クロケルがやや口ごもり、おどおどと尋ねた。
「なんでこんな事をさせたんですか？」
　よかった。そこをクロケルが疑問に思ってくれるなら、話も進めやすい。
　あたしは咳払いすると、順を追って話し始めた。
「んー、そうね……。一言で言うと、あんたとあたしの実力差を計りたかったから」
「実力差、ですか」
「そ。あたしはこうして、《破軍瀑流《タイダルストーム》》の直撃を受けてもピンピンしてるけど、もちろん何の防御手段も講じなかったわけじゃないわ。全十層の防御結界を張り巡らせて、あんたの攻撃をシャットアウトしたの」
　それを聞いて、クロケルの表情がわずかに暗くなった。
　持てうる限りのフルパワーをぶつけたというのに、あたしは傷一つ負っていない。歴然とした力の差を見せつけられ、余計に恐ろしくなったのだろう。
　そんな凄まじい実力者が集まる儀式において、私なんかが役に立てるのだろうか――と。
　それは、大いなる間違いである。
「あんたで八人目よ、クロケル」
「へ？」
「あたしの父、キュクレウス。親友でありライバルのシュティーナ。四天王メルネス、四天王リリ、四天王エドヴァルト――そして人間界最強の勇者、レオ」
「は、はい……？」
　あたしが唐突に名前を列挙しはじめた意味がわからず、クロケルが目を白黒させる。
「あたしが、"あ、これ死ぬかも"と思った相手よ。あんたの《破軍瀑流《タイダルストーム》》はあたしの結界を第六層までブチ抜いて、なお有り余る威力があった」
「え……じょ、冗談、ですよね？　うちにそんな実力が……」
「あんた、あたしをナメてるの？　あたしは戦いでは絶対に気を抜かないわ。強者相手なら、特にね。今の一撃は間違いなく、四天王の本気の一撃と同クラスだった」
　"一撃の強さ"と"総合的な強さ"は、別物だ。仮にクロケルが四天王の誰かと戦った場合、クロケルは手も足も出ないままにやられてしまうだろう。
　シュティーナなら、水に対して相性の良い、強力な氷術や雷電術を上手く使うはずだ。
　エドヴァルトはレオすら手を焼くタフネスが自慢。クロケルでは、彼の体力を削りきれまい。
　リリとメルネスの素早さは群を抜いている。呪文を唱える間もなくボコられて終わりだ。
　だが、それでも――。それでもクロケルの一撃は、四天王並だった。彼女の才能は、紛れもない本物だったのだ。
「降霊儀式にはあたしも参加するわ」
　あたしはクロケルの両肩に手を置き、ぐっと彼女の肩を掴んだ。
「魔王軍幹部に匹敵する、無敵の才能を持つアンタ。そんなアンタの攻撃を防ぎきった、無敵のあたし！　あたしたち二人が力を合わせれば、ウンディーネなんて《《ヘ》》でもないわ！」
「……！」
　クロケルの目に――輝きが戻った。
　我ながら、レオとは程遠い、力押しの感情論だと思う。この理屈が通るなら、無敵の四天王を従えた『エキドナ』がレオに負ける道理だって無いのだから。
　だが実際、エキドナはレオに負けた。感情論だけでは、戦いには勝てないのだ。
　……しかし……。
「いいクロケル。戦いにおいて、いっちばん重要な要素を教えてあげる。よく聞きなさい」
「は、はい」
「それはね。あたしが思う、戦いでいちばん、いちばん、どんな事よりも大事なのは……」
「……だ、大事なのは……？」
　ごくり、とクロケルが唾を飲み込んだ。
「――――"気合いと根性"よ！」
「きあ……ふぇ！？」
　そして、大いに困惑した表情を浮かべた。


5. 
　――大事なのは、気合いと根性！
　クロケルの混乱が手に取るようにわかった。
　まあ無理もない。彼女してはもっとこう、『敵の弱点を突く観察眼』とか『引き際を見極める冷静さ』だとか、そういうのを想像していたのだろう。
「気合いや根性で戦いに勝てたら苦労しない。そういう意見も、もちろんあるわ。実際、気合いがまるで役に立たない戦いを、あたしは山ほど乗り越えてきたし」
「じゃ、じゃあ、全然大事じゃないじゃないですか！」
「それでもやっぱり、気合いと根性は大事なのよっ！　"こんなところで負けてたまるか"とか、"あいつだけは絶対にブチのめす"とか――そういう使い古された文句が、チンケで安っすいプライドが、自分を勇気づけて、戦いに向かう力をくれるのよ！」
　時代遅れの根性論。精神論だと思う。
　それでも、これは決して嘘ではない。実体験だ。
『こんなところで負けていられるか。あたしは、絶対に《《魔王》》になるんだ！』……。そんな想いで魔王決定バトルロイヤルを戦い抜き、優勝したあたしが言うんだから、間違いない。
　人は時として――気合いだけ、根性だけで立って、戦う事ができるのだ！
　クロケルに足りないのは、気合い。そして不屈の根性。
　それを、言葉ではなく魂で伝えたかった。
「……うち、考えたこともありませんでした。そんな……」
「クロケル……」
「そんな、どうしようもなく単純で、バカっぽい力押し理論、これまで誰も教えてくれなかったから……」
　おいコラ。バカとは何よ、バカとは。
　そう言おうと思ったが、クロケルの顔を見て、やめた。
　彼女は、実に良い笑顔を――吹っ切れた笑顔を浮かべていたからだ。
「イリス様。うち、うちでよければ、儀式のお手伝いさせてください！」
「クロケル……！」
「魔界の水をきれいにできるかもしれないんですよね？　魔界のためにも、身体を張ってうちを励ましてくれたイリス様のためにも……うち、水巫女の役割を果たします！」
　ぎゅむ、とクロケルが両手を伸ばし、あたしの手を掴んだ。
「ありがとうクロケル。本当に……」
「えへへへ……いえ、そんな。イリス様のためなら……」
「……あ、あの？　クロケル……？」
　クロケルの目はキラキラと輝いていた。これは、そう。以前にも見たことがある。
　……これは、カナンがシュティーナを見る時と、まったく同じ目。
　恋する乙女の目、だ……！
「うちにはわかります。うちを脅したのも、全力で呪文を撃たせたのも、全部うちの事を想っての事ですよね。うちの不安をなくそうと、イリス様が身体を張ってくれたのですよね！」
「え、ええ、まあ、そうね。ちょっと近くない？　離れてほしいんだけど」
「嬉しかったです。学園長やレオ様にも感謝していますけど……こんなにうちの事を想ってくれる方、はじめて出会いました！　うち、うち、感激です！」
　や、やばい……！
　クロケルの自信が戻ったのはいいけど、変な方向に突っ走っている……！
　今はクロケルはあたしの手を握ったままぐいぐいと距離をつめ、彼女の顔は間近にまで迫っている。ともすれば頬ずりでも始めそうだ。
　た、助け舟……誰か、助け舟……！

「――と、まあ。どうやら俺がサボってる間に、無事に話がついたらしいな」
　横合いから楽しそうな声がかかった。
　慌ててそちらを向くと、そこに立っていたのは――うん。まあ、そうよね。さっきから姿が見えなかったけど、死ぬわけないわよね。
　クロケルの《タイダルストーム》が放たれて以降、きれいに姿を消していたレオが、何食わぬ顔でそこに立っていた。
　言いたい事は山ほどあるけど、今あたしが言いたい事はただひとつである。
　へるぷ。へるぷ、みー……。
「クロケル、学園長がお呼びだぞ。短期の休学手続きを済ませるから学園長室まで来いとさ」
「わかりました。……ではイリス様、大変名残惜しいですが、うちはこれで！　また儀式の時にお会いしましょうね！」
「う、うん。そうね。またね」
　色っぽい熱の籠もったまなざしをぶつけた後、クロケルが走り去っていった。
　その走り去る最中も何度か振り返り、ぶんぶんとあたしに手を振る。結局、彼女の姿が完全に見えなくなるまで、あたしは気が張り詰めっぱなしだった。
「……はぁ～～～。終わったあ……」
「良かったな、かわいい女の子にモテて。あやかりたいぜ」
「あんたね……他人事だと思って……」
「しかし、びっくりだな。俺と"イリス"は一度も戦ってないはずなんだが。いつ戦ったっけ？」
　うっ！
「というか、四天王とも戦ったことないよな？　俺や四天王全員と一度以上戦ってるのは、魔王エキドナただ一人だけのはずだが……」
　ううっ……！
　レオはしばしニヤニヤとこちらを見ていたが、やがてすいと目をそらした。これ以上あたしの正体について追求するつもりは、ないようだ。良かった……。
「……そういえばレオ」
「ん？」
「さっきの、遺書を書け～って脅し。あれワザとやったでしょ」
「ふはっ、バレたか」
　レオはいち早くクロケルの弱点――メンタルの脆さに気づいていた。
　追い込みをかけたうえで試験を成功させ、自信を獲得する。そこまではいい。
　だが、それだけでは足りない。土壇場で怖気づいてしまうかもしれない。
　そう考えたレオは、もう一つくらい、クロケルが自発的に儀式に協力したがる理由を確保しておきたかったのだ――。
「ああすれば、お前が割り込んでくるであろう事は分かっていた。そして策に詰まったお前が――自分の身を張ってクロケルを元気づけようとすることもな」
「あんたねえ……！」
「まあ、あそこまでベタぼれになるとは思ってなかったが。これもお前のカリスマってやつかもな。いや、さすがはイリス様！　あっぱれだぜ！」
　わざとらしく褒めそやす。
　こいつ、もう一回顔面にドロップキックを叩き込んでやろうかしら……。
　そう思って振り向いたあたしの前で、レオはひどく意外な表情をしていた。
「……ちょっと。なによ、その顔は」
　それは、称賛。
　自分にできない事をやってのけたあたしへの敬意。
　そんな感情が籠もった、柔和な笑みだった。
「これがお前の力だ。俺にはない、お前だけの力」
「へ……？」
「今回、お前がクロケルに何をしたか。お前に出来て俺に出来なかった事はなんなのか。もう一度、よく考えるんだな」
「あたしの力って……あっ、ちょっと！」
　スタスタ歩いていくレオを追いかける。
　……今回あたしがやったこと。
　あたしにできて、レオには出来なかった事。
　それが――あたしの悩みを解決する突破口に、なるのだろうか……？

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第七章：勇者vs魔王エキドナ

1. すべての答え合わせ(1)

「――あなたが――」
　俺とイリスがアカデミアを去るちょっと前。
　イリスがクロケルを宿舎まで送っていく間、ベンチに腰掛けてぼんやりと時間を潰していた俺に声をかけてきたのは、初対面の――それでいて、よく知った姿の少女だった。
　手入れの行き届いた、さらさらとしたロングの黒髪。
　腰から下げた暗銀色の刺突剣。
　研究チームの制服を兼ねているのだろうか。黒いドレスの上から羽織った白衣がひどくミスマッチだったが、白黒のコントラストはどこか美しさが感じられた。
「あなたが人間界の勇者、レオ・デモンハートですね。少しお時間を頂きたいのですが、よろしいですか？」
「ああ、構わないぜ。――――《《副王イリス様》》」
「ふむ」
　少女が――つまり、本物の副王イリスが、小さく唸った。
　その唸りには不快さは感じられず、どこか事態を面白がっているような色が含まれていた。
「不思議なものですね。こうして貴方と出会うのは今日がはじめてなのに、貴方の振る舞いは、まるで顔馴染みの友人のようです」
「まあな。ここんとこ毎日"イリス様"と顔を合わせて、お姉さまの事について悩み相談を受けているんだ。そりゃ慣れもするよ」
「わかりやすかったでしょう。姉さまの演技力は褒められたものではないから……失礼」
　俺の横に腰をおろし、イリスが軽く黒髪をかきあげた。
　落ち着いた仕草。気品のある物腰。
　まさに深窓の令嬢という感じだが――エキドナに似た角と尻尾は、間違いなく彼女が魔界の貴族階級、上級魔族である事を示している。
　副王イリス。
　エキドナと並んで魔界を支配するもうひとりの王……それが彼女なのだ。
「といっても、話す事はあまり無いのですよね。エキドナ姉さまが人間界から帰ってきた今、私のほうは大地や風の汚染を取り除く研究で、頭がいっぱいですし」
「水の汚染は俺とエキドナでなんとかするしな」
「そういう事です。貴方の動向は密偵を通してしばらく見守っていましたが、真面目に魔界の未来を考えてくれているようで、ほっとしました」
　さらりと怖い事を言う。
　人間界に来ていない彼女からすると、やはり『人間界の勇者』というのは得体の知れない、信用の出来ない存在だったようだ。
「信用して貰えたかい？」
「それはもちろん。そうでなければ、姉さまの"レオとケンカしちゃったけど実は図星だったので変装して改めて悩みを相談しにいこうドキドキ大作戦"を応援したりはしません」
「……その作戦名、エキドナ発案か？」
「私ですが？」
　なにか？　といった具合に首を傾げる。
　髪の色と同じ、じっと見ていると吸い込まれそうな、漆黒の瞳。
　ああ……そういや、DHシリーズにもこういう奴がいたな。他人に惑わされずに自分のスタンスを貫く、メルネスやリリとはまた違う『天然』というやつだ。
「応援ってえのは、あれか。各地への挨拶回りの事か」
「そうです。姉さまがイリスのフリをして王都にとどまるなら、私はその逆。つい昨日まで、姉さまのフリをして各地を回ってきました」
「そりゃすごい。バレないものか？」
「バレなかったですね。こう見えても私、演技は上手いですし。まあ、バレたところで大した問題ではないのですが」
　す、とイリスが眉間に人差し指を持っていった。そして小さく呪文をつぶやき、《変装》、《転身》、《変声》といった変装用呪文を一気に発動させる。
　連鎖呪《チェインスペル》と呼ばれる技術だ。複数の呪文をワンセットにして自分の脳内に『登録』しておき、特定の動作でそれを呼び出す。科学文化で例えれば、計算処理をマクロ登録しておくようなものだ。
　もちろん、言うほど簡単な技能ではない。ただこれだけでも、イリスがベテランの魔術師であることは容易に察する事ができた。
　一瞬でイリスが光に包まれる。
　光が晴れた中に立っていたのは――俺がよく知る、魔王エキドナの姿だ。
「ふふふふ。最初はこの姿で現れて、貴様をからかおうかと思っていたのだがな」
「面白いじゃないか。やってくれてよかったのに」
「あまり遊んでいると"イリス"が戻ってきてしまうからな。あちらとしては、まだ変装がバレていないつもりなのだろう？　このタイミングで我と出会ってしまうのは、少々まずい」
「素晴らしい。その変装テク、ほんの少しでも姉に分けてやってほしいぜ」
　変装する時に重要なのは、見てくれよりも口調だ。とりわけ一人称と三人称の不備から変装がバレるケースというのは非常に多い。
　エキドナに扮するなら、一人称は『我』。妹のイリスを呼ぶ時は、呼び捨て。
　ここを間違えて『私』と名乗ってしまったり、『イリス様』とか言ってしまったりするともう最悪だ。どんなに見た目が完璧でも、バレるリスクはグンと高まる。
　変装の基礎にして、いざやってみると一番混乱してしまうポイント。そこをそつなく抑えているイリスは、姉とは比べ物にならない変装技能を持っているようだった。光が"エキドナ"を包み込み、再びイリスの姿が現れる。
「ともあれ、私はあなたを信用しています。姉さまは多少抜けているところもありますが、人を見る目は確かです。その姉さまが――シュティーナちゃんにすら弱音を吐かなかった姉さまが、『レオに相談したい』と言ったなら、姉さまが信じるあなたを信用する。妹として当然です」
「なるほど。イリスはお姉ちゃん大好きっ娘とは聞いてたが、こういう方向性だったか……」
「否定はしません。では、姉さまをよろしく頼みます」
「……おお、おいおいおい！？　そんだけかよ！？」
　話は終わった、とばかりに立ち上がり、さっさとその場を去ろうとするイリス。
　慌ててその背中に声をかけると、イリスが不思議そうにこちらを向いた。
「なんでしょう」
「いや、妹として何かないのか？」
「何かとは？」
「だからさ……そこまで事情を把握してるなら、もう分かってるだろ。エキドナが自信を喪失してる、ってことくらい」
「そうですね。有能なあなたを次期魔王に推薦し、自分は身を引くかもしれない……とも言っていました。あなたが有能なのはここまでの活躍でよく分かりますし、納得といえば納得です」
　さらりと言う。
　自分のパートナーがエキドナから俺に変わるかもしれないというのに、そこには一切の焦りも、戸惑いも感じられなかった。
「心配じゃないのか？」
「……。姉さまは、強いお方ですので」
　イリスは先程まで座っていたベンチをちらりと見たが、座らなかった。
「生半可な強さでは魔王にはなれません。戦いにおける強さ、精神的な強さ、運の良さ、めぐり合わせの良さ……あらゆる力を兼ね備えたものだけが、次期魔王を決める戦いを勝ち抜く事ができた。私も、シュティーナちゃんも、数多のライバルも――全員が全力で戦った結果、姉さまが勝ち残り、王になったのです」
　どこか懐かしむように遠くを見ながら、イリスは淡々と続けた。
「盲信というわけでもありませんが、姉さまはそれほどに強いお方なのです。となれば、今回の悩みにもきっと打ち勝つ事でしょう。――そして」
　イリスは、その黒い瞳で真っ直ぐに俺を見据え、
「今回の戦いで姉さまを支えるのは、私ではなく、貴方だと思います」
「俺？」
「はい。だって、貴方に相談したいと、他ならぬ姉さま自身が言っているんですから。なら私は出しゃばらず、少し離れたところから静かに見守るだけです」
「そうか。……ふ、ふふふふ」
「なんですか？」
「いや……」
　急に笑いだした俺を、イリスが奇妙な目で見ている。
　変なところが似ているな、と思ったのだ。
　兄弟を心から信用し、大切に思い、自分に出来る範囲の手助けを淡々と行う――それは3000年前、他のDHシリーズと一緒に戦っていた頃の俺と、よくダブる。
　昔の自分によく似た相手と出会う。それ自体が稀な事だが、こうして客観的に外から見る機会というのは、なおさら稀だ。言葉には現しにくい、奇妙な面白さがあった。
「なんでもないよ。安請け合いはしないように気をつけてるんだが……安心しろ。エキドナのことは、俺に任せておいてくれ」
「任せました。私は常にアカデミアにいますから、何かあれば西の研究塔まで」
　ドレスの両裾を摘んでぺこりと頭を下げ、イリスが去っていき――。
「……あっ、そうだ」
　戻ってくる。
「なんだ？」
「せっかくですから、姉さまにひとつ伝言をお願いします」
「ああ、そんなことか。いいぜ、なんて伝える？」
「そうですね。では、大した内容ではないのですが……」
「…………」
　……イリスの伝言は、なかなかに面白いものだった。
　流石に魔界の副王だ。エキドナとも四天王とも違うタイプだが、これくらいの性格でないと魔界の支配者というのは務まらないのかもしれない。
「ということで」
「ああ、わかった。伝えておくよ」
「お願いします。それでは、ごきげんよう」
　再びぺこりとお辞儀し、今度こそイリスは去っていく。
　……騒がしい方の『イリス』が戻ってきたのは、その背中が見えなくなってすぐの事だった。

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「……どおーして！　わざわざ！　歩いて帰るのよ～～～っ！」
　アカデミアからの帰り道。
　俺とイリスは呪文によるショートカットではなく、あえて徒歩で王都へ向かっていた。
「気にするな。たまには観光気分でゆっくり歩きたい気分なんだよ」
「ここから王都までは見どころなんて全然ないわよ？　《転送門《ワープポータル》》でパーッと帰っちゃえば楽なのに……」
　イリスは先程からぶちぶち文句をたれている。
　俺たちはいちおう街道に沿って歩いているのだが、街道といっても人間界のそれとは違い、平野に刻まれた轍のようなもんである。しかも、王都とアカデミアはそれほど離れていないとはいえ、歩けば軽く半日ほどかかる。イリスの不満ももっともであった。
　さく、さく、と、俺とイリスの足音だけが周囲に満ちる。
　魔界は人間界より人口が少ないせいか、街道を通る人影はまったくない。
「まあいいじゃないか。クロケルも協力してくれるって言うし、ウンディーネ降霊儀式のめども立った。王都のシュティーナが準備を進めてくれてるから、明日か明後日には儀式を執り行えるさ」
「だったら、余計にシュティーナの手伝いを……」
「そう。手伝わないといけないよな？」
「……あ」
　イリスがはっと口に手を当てた。
「分かったか。俺らが二人きりで話せる時間は、残り少ないんだよ」
　――今回の降霊儀式は、魔界の水を清浄化できるかどうかという一大プロジェクトである。
　責任者が必要だ。"表向きは"外交に出ている事になっているエキドナも、明日には戻ってきて儀式を手伝う……そういう手はずになっている。
　王が戻ってくるのだから、『イリス』が代理をつとめる必要もなくなる。
　つまり、俺と彼女が決着をつけるのは、『エキドナ』が戻ってくる前の、今しかないというわけだ。
「……」
「どうしたんだよ、急に黙っちゃって。さっきまで文句たらたらだったのに」
「……」
「おいってば」
　だというのに、イリスは黙り込んでいる。こちらから水を向けてやらないと、おそらく、王都につくまで黙りっぱなしだろう。
　――仕方がない。
　薄ぼんやりと明るい魔界の夜道を歩きながら、俺はずっと言いたかった事を口にした。
「なあ、イリス」
「なに？」
「お前と最初に会った時から、言うべきかどうか、ずうううっと迷ってたんだが……」
　並んで歩くイリスの方を見ないまま、すぱっと言い切る。
「エキドナだろ。お前」
「んぶふっ」
　イリスが潰れたカエルのような変な声を出した。
　ちらと隣に目をやると、目を白黒させて顔をそらし、口をぱくぱくさせ、必死に言い訳を紡ぎ出そうとしている自称・副王の姿があった。
「な、なな……何を根拠にそんな……」
「本気で言ってんのか！　前々から思ってたけど、お前、演技力がなさすぎるんだよ！」
「う、ううっ……！」
「どうする？　お前がエキドナだって理由を一つ一つ列挙してやっても、俺は構わないぞ」
　実際、根拠なら山のように挙げられる。イリスの方もこれ以上誤魔化しきれない事を悟っているのか、諦めにも似た表情を浮かべていた。
「わざわざ人気のないルートを選んでやったんだ。この付近には集落もない。大声でケンカしようが、俺とお前で思いっきり戦おうが、大した迷惑はかからんだろう。話したい事があるなら、話してみろよ」
　まあ、魔王と勇者が本気で戦ったら周辺環境への被害は計り知れないものになるのだが、仕方があるまい。殴り合ってエキドナの気が晴れるなら、俺は喜んで付き合うつもりだった。
「……。はぁー」
　幸い、そうはならなかった。大きなため息とともにイリスが立ち止まったのだ。
　そこはちょうど、王都とアカデミアの中間にある森林地帯の入口だった。『休憩場所にしてください』とでも言うように巨大な樹木の根っこが絡み合い、ベンチのようになっている。
　そこにひょいと腰掛け、イリスが小さくつぶやく。
「解除。《変装》、《転身》、《正体隠蔽》」
　――ぱしゅん。
　イリスを中心に、小さな光が無数に弾けた。夜空にまたたく星か、さもなくば線香花火を思わせる、綺麗な光。
　光の中で、イリスの姿も少しずつ変わって――いや、戻っていき――。
「……ふうっ」
　数秒後。
　そこには俺のよく知る、魔王エキドナの姿があった。



2. すべての答え合わせ(2)

　しばらくの間、俺とエキドナは沈黙していた。なんとなく、ここはエキドナの言葉を待つべきだろうと思ったのだ。
　少し、と言うにはかなり長い間があった。
　長い長い沈黙の後、ようやくエキドナが、
「……何から話そうか」
「おい……。イリスの時はあれだけ饒舌だったのに、もとに戻った途端にそれか」
「イリスの姿だからこそ、饒舌だったのよ。あんたとふつーに喋れるなら、最初から変装なんかしないっての」
　ごもっともである。
「その口調はいいのか？　もう"イリス"じゃないのに」
「いいのよ。これ、あたしの《《素》》だし。今のあたしは魔王じゃなくて、ただのエキドナ。そういう事にしておいて」
「じゃ、俺に弱音を吐いたり、相談してもいいってわけだ」
「そうそう……って、違う！　なに"相談されて当然"みたいな態度取ってるのよ！」
「いや、自分から座ったし、本腰を入れて相談する気になったのかなーって」
「勘違いしてんじゃないわよ！　これは単に歩き疲れただけ！」
　つん、と横を向く。そして、
「別に、あんたに相談したい事なんて何も……」
「……」
「……何も……」
　最後の言葉は弱々しかった。
　肩を落とし、俯いてしまう。
　……うーむ、これは想像以上に重症だな。イリスの姿を取っていたのは、ただ単に『俺と気兼ねなく話せる』というだけではなく、一時的な逃避という意味もあったのかもしれない。
　魔王という、重い地位から。
　そして、自分が魔王に相応しいのかという不安から。
　自信喪失というのは、それほどまでに彼女の中で大きい問題だったのだろう。
「じゃ、そうだな。俺の方からいくつか話したい事があるんだが――そっち先でもいいか？」
「どーぞ。好きにしなさい」
「まず一つ。本物のイリスからの伝言を預かってる」
「ふーん。……って、うええええ！？」
　エキドナが勢いよく立ち上がった。目を丸くし、ぱくぱくと声にならない声を出している。
「い……い……！」
「いつ？　という話なら、アカデミアを出るちょっと前だな。お前がクロケルを宿舎へ送っていった時、俺の方にちょっと待ち時間があっただろ。あん時にイリスから話しかけてきた」
「へ、変装がバレるからレオには接触しないように、って言っておいたのに……」
「……いや、お前の変装は最初からバレてたよ……」
　こいつ、本気でバレてないと思ってたのか……なんというか、ここまでガバガバの作戦を目の当たりにすると、いっそ可愛くすら見えてくるな……。
「で、何？　イリスはなんて言ってたの？」
「一言だけだ。"姉さまが魔王を辞めるなら、私も辞めます"だってさ」
「え……ええー……」
「あ、あと、"せっかくだから人間界でパン屋でもやりませんか"だそうだ」
「ああー言いそう……。あの子、人間界の食べ物の中でも焼き立てのパンが一番好きだから」
　そういえば、魔王城の地下食堂には専用のパン焼き窯があった。
　焼き立てのパンは兵士たちにも好評だったから、特段気にしてもいなかったが……なるほど、あれは魔界で留守番している妹に焼きたてのパンを届けてやろう、という、エキドナの姉らしい気遣いだったのかもしれない。
「で、どうするんだ？　『元魔王、今はパン屋をやってます』……か。エッセイにでもすれば、なかなか面白い内容になりそうだが」
「今後の展開次第ね。……イリスの事は分かったわ。つぎ行っていいわよ」
「んじゃ二つ目。これもずっと気になってたんだが――変装しても口調をイリス本人に似せなかったのは、何故だ？」
　エキドナが眉をひそめ、怪訝な声で、
「……それって今聞くこと？」
「世間話だよ。好きにしなさいって言ったのはお前だろ」
「そうだけど……」
　会話には適切な流れというものがある。
　そして、話す相手によってその流れは複雑に変わる。
　この『流れ』を俯瞰し、制御する――そういうテクニックこそが『話術』なのだ。
　今のエキドナは素直に本心を語れない状態だ。いきなり本題に切り込んでも、ぎくしゃくした、表面だけの会話になるだけだろう。これでは流れは掴めない。
　だから、まずはささいな世間話でリラックスさせる。
　緊張をほぐし、『今なら本音を打ち明けてもいいかな』という空気を作る――これが一番この場にあったやり方だろうと、俺は長年の経験から判断していた。以前裏社会で交渉役《ネゴシエイター》をやってた事もあるから、こういう話術はお手の物だ。
「そりゃあ確かにエキドナ。お前はひどい大根役者だが――」
「誰が大根役者よっ！」
「――ちょっとばかり演技力に問題があると思うが、それでも、口調をイリス本人に似せれば、バレる確率はそのぶん下がったはずだ。なんで口調だけ"エキドナ"のままだったんだ？」
「そんなの簡単よ。演じきる自信がないもの」
　特に反省する様子もなく、エキドナがさらっと言った。
「あたしが徹底的に身につけたのは、『堂々とした魔王モード』の演技だけ。イリスみたいな……ほら、わかるでしょ？　あの子と話したなら。あの空気」
「ああ……うん」
「ぜったい無理よ。あんなの、このあたしが真似できるわけないじゃない」
　まあ、無理だわな……。
　本物のイリスがまとっていた、あの気品。あの落ち着いた空気。
　言っちゃ悪いが、このやんちゃ娘に真似できるとは思えない。頑張って再現したところで、いずれボロが出るのがオチだろう。
　それまで静かな口調だった『イリス』が急にお転婆な口調になれば、どんなバカだってこれはおかしいと気づく。幸い、俺は本物のイリスがどんなやつか知らなかったわけだし、最初から『イリスはお転婆な性格』として振る舞ってしまったほうが良かったというわけだ。
「あたし、『才能』とか『生まれつき』って言葉、正直キライなのよね。努力しだいで大抵の事はできるようになると思ってるから」
「お前も、シュティーナに教わるまでは呪文はからきしだったらしいしな」
「そうそう。《光球》すら満足に使えなかったところから、頑張って頑張って頑張って頑張って今のあたしになったのよ！　すごくない！？」
「いや、それはマジでスゴイ。尊敬する」
「ふふん！」
　ドヤ顔を晒していたエキドナだったが、それもすぐに真顔に戻った。
「……でもやっぱり、あたしはあたしだから。出来もしないイリスの真似なんかしても無駄だろう、すぐバレるだろう、って思ったの」
「そうだな。それは間違いない」
「それにね。あたしがやりたかった事はアンタに相談することであって、イリスになりきる事じゃないじゃない？　イリスの真似にこだわるのは意味がないなー、って思ったのよ」
「……その素直さをもう少し早く発揮してくれりゃあ、変装も要らなかっただろうになあ」
「そっ、それは仕方がないでしょ！？」
　ぼそりと呟いた俺に反応し、エキドナが立ち上がった。
「元はと言えば、アンタがいきなり"魔王を辞めたいんだろ"とか言い出すからケンカになっちゃったのよ！　あたしはなんっにも悪くないっての！」
「俺かよ！？　でも、いいじゃないか。図星だったんだろ？　実際」
「図星だからこそ心の準備ってもんがあるのよ！」
「うわ！？　ちょっ、やめろ！」
「このっ、このっ！　バカ勇者っ！」
　そこらに落ちている木の枝を掴んで投げつけてくる。子供か！
　だが、これで分かった。
　いや、イリスを演じている時から薄々感じてはいたが、これでハッキリした。
　素の――魔王の仮面を外したエキドナは、いつもの尊大な態度が嘘であるかのように無邪気で、平凡な、等身大の女の子でしかなかったのだ。
　こんな奴が『故郷を救いたい』という一心で自分を変え、魔王の仮面を被り、人間界への侵攻を決意したのだ。シュティーナや他の四天王が居たとはいえ、心細かったに違いない。
　自由気ままな戦争に明け暮れ、莫大な負債ばかりをエキドナに残していった先代の魔王どもに、俺はちょっとばかりの怒りを覚えた。
　ぺちぺちと絶え間なく飛んでくる木の枝攻撃がしだいに緩慢になり、止む。
　再び木の根に腰掛けたエキドナがポツリと言った。
「……宿題」
「ん？」
「宿題、出してたわよね。覚えてる？」
「もちろんだ。出題側が忘れてちゃあ、宿題にならないからな」
　――魔界には、優秀な王が必要である。
　ゆえに、俺《レオ》が王をやるより、エキドナが王をやったほうがいい。
　では問題です。エキドナの方がレオより優れている部分とは、一体どこでしょうか。
　なぜレオは、『エキドナの方が優れた王になる』と言い切れるのでしょうか……。
「答えは出たか？」
「ちょこっとだけ。でも、合ってるかどうかは分かんない」
「そりゃ、合ってるかどうかはこれから答え合わせするわけだからな。間違っててもいいから、まずはお前の考えを言ってみろ」
「ん……」
　ちょっとばかり逡巡してから、エキドナがそろそろと口を開く。
「……最初に"あれ？"って思ったのは、つい昨日。あんたの言葉がきっかけだったわ」
「俺？　なんか言ったっけ？」
「とぼけないでよ。――"俺がなんとかできるのは技術面だけだ"ってアレ、ヒントのつもりだったんでしょ」
「ははは。まあ、な」
　そう。確かに俺は昨日、エキドナにそう言った。
　俺は基本的に理屈で考えてしまう男だ。これは、もとを辿れば俺が『超成長』をコンセプトとして開発された事に起因する。
　俺だって神様ではない。ただ漫然と『なんとなくコピー』をしているわけではないのだ。
　物事が発生するプロセスの分析。熟練者の思考回路のトレース。
　そういった解析を、常時頭の中で行っている。
　一の挙動から十を読み取り、それを百の知識へと変換する――そういう風に造られている。普通の人間が俺の思考をすべて共有したなら、膨大な思考負荷によって一瞬で頭がパンクしてしまう事だろう。
　ついでに言えば今の俺の性格だってそうだ。
　これは、『18歳前後の男性の一般的な性格』『旅人として平均的で、情報収集もしやすい性格』などを総合して"作り上げた"ものである。俺は、理論と分析で生きている男なのだ。
　理論派なのは俺の誇りであり、アイデンティティでもあり――そして、弱点でもあった。
「俺はすぐ理論で考えてしまう。3000年も生きてくれば誤魔化しも上手くなるが、昔はなにかにつけて理論臭い、話が硬い、説教臭いって言われたよ。それに比べると、お前は……」
「言わなくても分かるわよ。あたしは割と大雑把だし、理屈ではなく、感情で身体が動く。ぶっちゃけ、真逆よね。あんたとは」
　俺は回りくどくクロケルを追い込み、極限状態を経由し、大きな自信を与えた。
　それに対してエキドナはどうだったか。こいつは愚直なほどに真正面からクロケルにぶつかっていき、しかし、最終的には同じような自信を与えた。
　結果は同じ。しかし、やり方は異なる。
「あんたはあたしと違って理論に偏り過ぎている。それは王よりも――どちらかというと、王を支える参謀に向いている素質だわ」
「ビンゴだ、エキドナ」
　これが、エキドナに出した宿題の答え。
　俺より、エキドナが王になったほうが良い理由だった。
「あたしは理屈より、みんなが納得するかどうかを……出来る限り多くの民が幸せになれるかどうかを重視するわ。それが多分、あんたの言う、王の素質ってことなんだと思う」
「そのとおりだ。もしお前が理屈を優先する奴なら、俺はここに立っていないからな」
　――そう。そうなのだ。
　エキドナが俺と同じ、理論に傾倒したやつだったとしたら、俺はそもそも、あの雪山で死んでいたはずなのだ。
　あの時。俺がエキドナと四天王に戦いを挑み、敗北し、『俺の心臓である《賢者の石》を持っていけ』と言った時、エキドナはなんと言っただろうか？
　今でも覚えている。こいつは、俺を殺すことを拒んだだけではなく、『我といっしょに来い』――と言ってくれたのだ。
　人間界に攻め込んでまで手に入れようとした《賢者の石》の入手チャンスをふいにしてまで、俺を救ってくれた。エキドナがエキドナだからこそ、俺は生きてここに立っている。
　それこそが、エキドナが王をやるべき理由だった。
「お前には生来のカリスマが、人を魅了する力がある。俺にはない力だ。感情で動くのは確かに短所になりうるかもしれないが、そりゃこっちだって同じだ。短所……"他のやつと違うところ"は、見方を変えれば、長所になる」
「……あたしはあたしのままで良いって事？」
「ちょっと違う」
　俺は首を振り、エキドナをまっすぐ見据え、言った。
「お前は――俺と二人で魔王をやるんだ」


3. すべての答え合わせ(3)

「二人……？」
「想像してみろ、成長したお前を。"技"しか使えない俺より、"才能"と"技"の両方を併せ持った、成長したお前のほうが、絶対に良い王になれる。そうは思わないか？」
「……なる、ほど」
　いつだったかのリリと同じだ。こいつには、まだまだ伸びしろがある。そこを伸ばすも潰すも、すべては本人次第。そして教師次第だ。
　俺が教師につけば、その伸びしろを最大限に活かす事ができる。エキドナを、史上最高の王に育て上げる事ができるだろう。
「今のお前には俺がいるんだ。3000年生きて無数の技を身に着けた俺がな。俺が魔王補佐に周り、身につけたノウハウを全部教えてやる」
「うん」
「だから、お前がちゃんと成長さえすれば……。……………………」
「……え、なに？　どうしたの？」
「……いや。違う。ちょっと待て」
　唐突にかぶりを振った俺を見て、エキドナが怪訝な顔を向けた。
「違うんだ。いや違わないんだが……。まず、理屈としては以上だ。お前、カリスマがある。俺、それの補助をする。オーケー？」
「お、オーケーだけど……なによその"理屈としては"っていうのは！」
「だから、違うんだよ！」
「だから、なにが！」
「理屈とか全部抜きにして、お前に言いたかった事があるんだよ！　あるんだが……くそっ。こういう時、お前のシンプルな思考回路が羨ましくなるな……！」
「ちょっと！？　なんかバカにされてるように聞こえるんだけど！？」
　……技だけの俺より、天性のカリスマという下地があるお前の方が、王に向いている。
　理屈ではそうなのだが、そうではない。俺としては、そんな事よりもずっとエキドナに言ってやりたかった、とある《《感情論》》があったのだ。
　宿題の答え合わせの時はそれを最初に言おう言おうと思っていたのに、ついつい理屈っぽい話になってしまった。本当に、俺の悪いクセだ。
「だから……つまりだな……」
「う、うん……」
「つっ、つまり……俺が言いたい事は、こういう、小難しい事ではなくて……」
「……ゆ、ゆっくりでいいわよ。言いたいことがあるなら、ゆっくり整理していいからね？」
　ついには、エキドナすら俺を気遣うような口ぶりになってしまう。これではどっちが答え合わせをしているのか分からない。
　……こうか？
　いや違う、こうか……こうだな？
　俺はひどく苦労しながら理屈っぽい言葉を全部とっぱらい、ようやく、思いの丈を口にする事ができた。
「つまり！　俺は、お前に王をやってて欲しいんだよ！」
「……へ……？」
　ようやくエンジンがかかった。
　あっけにとられたエキドナをよそに、まくしたてる。
「向き不向きなんざ知るか！　俺はなあ、お前が王だからこうして魔王軍やってんだ！　俺を救ってくれたお前に惚れ込んで、お前の事を支えたいって思ったからこそ、魔界くんだりまでついてきて、お前の故郷を破滅から救おうとしてるんだ！　イリスと同じだよ。もし王がお前じゃなかったら、とっくに放浪の旅に戻ってる！」
「ちょっ、レオ……」
「だからお前、自信持てよ。たくさんの部下を率いている事を誇れ。お前を支えてくれる四天王が居ることを誇れ！　そして、俺を、地上最強の勇者を仲間に引き入れた事を、誇れ！」
「……」
「あれもこれも、何もかも！　『魔王エキドナ』にしかできなかった事だろうが！」
　そうなのだ。
　結局、俺が言いたいのはそういう事だった。
　――総合的に見て、エキドナの方が王に向いている？
　――俺が補佐についた方が、エキドナのカリスマをより効果的に生かす事ができる？
　ああ！　なんと些細で、なんと小難しい理由だろう！
　そんなの、クソだ！　心底どうでもいい！
　重要なのはそんな事じゃない。
「俺は……俺は」
　俺はずっと、これを言いたかった。
「俺は、お前が魔王をやっててくれたから、あの時、死なずに済んだんだ。まだ生きていてもいいんだ――って思えたんだ。お前が俺を救ってくれたんだ」
「……レオ……」
「俺が仕える王は、お前一人しかいないんだよ。それを忘れないでくれ。……忘れるな」
　夜の森がしんと静まり返った。
　いつだったかの、バルコニーのお茶会のときとは逆だ。今度は俺が荒い息を吐き、エキドナがそれを見守る番だった。
　やがて俺の呼吸が収まるのを待ってから、エキドナが静かに言った。
「その……えっと」
「……」
「色々、ごめん。あんたがそんなに熱くなるなんて、思わなかった」
　俺がエキドナを無敵メンタルの鋼鉄女だと思っていたように、エキドナもまた、俺のことを見誤っていたようだった。
　いつも余裕綽々で、どんな問題もたちまち解決してしまう、最強勇者――。
　とんでもない。あの雪山の戦いで見せた通り、俺はこういう性格だ。
　相反する二つ。生来の理屈っぽさと、3000年間の成長によって育まれた情緒。
　常に衝突《コンフリクト》を起こしているそれらを、理性で必死に抑え込んでいるのだ。
「……とにかく、俺の考えは今ぶちまけた。お前の考えを聞かせてくれ」
「そう、ね。んー……」
　わずかな照れ笑いを浮かべ、エキドナがやや恥ずかしそうに言った。
「なんか、馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。元々あたしはシンプルな性格してるはずなのに、なんであんなに小難しく悩んでたんだろうね」
　そう言いながら、ぺちぺちと自分が座っている大樹の根っこの隣を叩く。
　座れ、という事らしい。
　俺が座ると、当然ながら隣のエキドナの姿は見えなくなった。感じられるのは夜の森に広がる薄明かりと、少し離れたところに座るエキドナの体温だけだ。
　そして、
「あたし、魔王は辞めない」
　きっぱりとエキドナが言い切った。
「だってそうでしょ？　"レオと比べてるうちに自信がなくなってきたから、魔王辞めます"なんて言ったら、王座を巡って争ったシュティーナやイリスに怒られるわ」
「怒られる、程度で済めばいいがな。少なくとも、俺がライバルだったらまっさきにお前を殺しに行くぞ。平和な隠居暮らしなんざ絶対にさせん」
「うん。それが普通だと思う」
　くすくすと笑う。顔は見えないが、その笑いからは暗さは感じられなかった。
「でも、あたしの多くの部分があんたに劣ってるのも、事実よね。あたしの武器は、現状、この……」
　さすがのエキドナも、自分を指して"カリスマ"と言うのは気恥ずかしいらしい。少し口ごもったあと、
「この、ノリの良さっていうのかな。持って生まれた、みんなを引っ張る力。あたしがあんたに勝ってる部分は、現状これくらいって事よね」
「人望とカリスマだな。それはお前が生まれ持ったものであり、俺にはないもので……そして残念ながら、それ以外がおおむね俺に劣っているのも、事実だと思う。こと現状だけを見れば、俺が王をやった方がいいかもな」
「うん、オーケー。わかった」
　エキドナはこくんと頷いたようだった。
　そして……ふいに俺の手を力強く握る。
「レオ」
「……なんだ」
「あたし、頑張るから。これからも、王らしい王でいられるように。昨日よりも良い自分でいられるように、成長する。だから……その」
「うん。そうだな」
　俺もしっかりと手を握り返し、微笑んだ。
「こっからは二人三脚だ。俺の技を全部覚えられるよう、頑張れよな」
「うん。……シュティーナたちもいるから、正確には"二人"じゃないけどね」
「それもそうだ。ははははは……」

　……教訓。
　自分が短所だと思っている部分は、時として長所になりうる。
　重要なのは、その短所を無理矢理になくそうとしたり、短所を理由に夢を諦める事ではない。
　信頼できる誰かに悩みを打ち明け、短所を長所に変える方法を、見つける事である――。




4. そして、オマケの答え合わせ
　さく、さく。
　たっぷり休憩を取った俺とエキドナは、並んで街道を歩いていた。
　もう悩み相談は終わったのだから、呪文でサクっと王都まで帰ってもよかったのだが――今度はエキドナが『もう少し歩きたい』と言ったのだ。反対する理由も、特になかった。
「そういえばさ。あたしがレオより魔王に向いてる理由って、さっきのアレだけなの？」
「どういう事だ？」
「あんたが補佐に回って、才能のあるあたしを伸ばしたほうがいい――それはそれとして、それ以外にももう一つ大事な理由があります～、みたいな空気を出してた気がするんだけど」
「……あー」
「あたしの気のせいかな。気のせいなら、別にいいんだけど」
　さすが直感型というか、変なところで鋭い奴である。
　確かに――エキドナの言う通り、エキドナが王に向いている理由は、もう一つあったのだった。
　重要といえば重要なのだが、些細と言えば些細なポイントである。タイミング的にも話し損ねたし、別にこのまま放置でも良かったのだが……。他ならぬ本人から聞かれたとあっては、答えざるを得ない。
「別に、大した話じゃないぞ？」
「それでもいいの！　聞かせて」
「お前が魔王に向いている、もう一つの理由――それは、"お前が人間界に攻めてきた事"だ」
「……へ？　どういう事？」
　エキドナが首を傾げるのも無理はない。俺は一つ一つ、順を追って説明することにした。
「お前、戦いはあんま好きじゃないだろ。いや……力試しとか大食い対決とか、そういう『試合』レベルなら大好きかもしれないが、ガチの命の奪い合いや、どちらかが滅びるまでやる戦争ってのは、嫌いだろ」
「そりゃそうでしょ」
　当たり前じゃない、とエキドナが不満そうに言った。
「ベリアルをはじめとする昔の魔王はそういうのが大好きだったみたいだけど、あたしは好きじゃないわ。平和に暮らす方が絶対楽しいもの」
「だよな」
「でも、"嫌いだから"で済ませてたら、王は務まらないからね。剣術、魔術、戦術学に暗殺術まで――およそ戦いに必要なものは全部学んだわ。イヤだったけど」
「そこだよ」
「はえ？」
　いま本人が言った通り、エキドナは殺しを好まない。
　だから人間界へ侵攻した際も、人々に無駄な危害を加える事は固く禁じていたし、町の破壊などもさせないよう、軍規を徹底させた。
「そんなお前が、大戦争になるのを覚悟で人間界へ侵略したのは、何故だ？」
「それは……え、今さらそれ聞くの？　言うまでもないと思うんだけど」
「いいから言えって」
「だから、そりゃあ、《賢者の石》のためよ。荒廃していく一方の魔界を救うためには、人間界に眠るスーパーアイテム、《賢者の石》に頼るしかないだろう、って思って。人間界の人々を不幸にする侵略戦争なんて、イヤでイヤでしょうがなかったけど、でも、王として魔界を見捨てるわけには、いかなくて……。"責任は我が取る。人間界からどんな恨みを買おうとも構わん"。そう言って、侵略を」
「そこさ。お前は、基本的に自己犠牲で生きている」
　立ち止まり、びしりとエキドナに指を突きつける。
「絶対にやりたくない事であっても、国を守るためなら、自分自身すら捨てる事ができるんだ。そういう自己犠牲の精神ってのは――支配者にもっとも必要で、それでいて多くの支配者に欠けている、非常に重要な要素なんだ」
「……あ……」
　そういうことか、というようにエキドナが目を瞬かせた。
　俺は、西暦2060年から3000年間を生きてきた。
　多くの国家の興りを見たし、多くの国家の衰退を見た。
　多くの指導者と出会い、別れ、時には協力し、時には敵対することもあった。
　――守るべきもののためなら、自分自身すら捨てられる。
　所詮は理想論だ。そんな権力者なんてめったにいない。
　最初はそんな崇高な理想を掲げていたとしても、徐々に徐々にその精神は腐り、自分の保身と目先の富を追い求めるようになっていく。残念ながら、それが現実だ。
　当然だ。『あなたが犠牲になれば多くの人々が助かります』と言われて、そう簡単に犠牲になれる奴はいない。地道に努力を積み重ねて生きてきた奴なら、なおさらだ。口では『できる』と言っているやつも、いざ自分の番になれば尻込みしてしまうものだろう。
　――エキドナはどうだっただろう？
　魔族は長命だ。エキドナが魔王を志したのは、シュティーナがまだ幼い頃……実に150年は前の事だったらしい。
　エキドナは、争いだらけの魔界がイヤだった。
　しかし、自分の故郷の魔界を見捨てたくもなかった。
　そして何より、魔界の環境汚染による破滅を防ぎたいと思っていた。
　ならばもう、これは、自分が王になるしかない。
　魔王になって、魔界を変えるしかない。
「……」
「な、なによ？」
「いや……」
　見ての通り、素のエキドナはこんな性格だ。
　普段の尊大な態度も、言葉遣いも、すべては後付で身につけたもの。『王らしくあろう』という努力を重ねて身につけたものだ。
　この――争いが嫌いで、平和を愛する、等身大の少女らしいエキドナが、魔界を救いたいという一心でライバルたちを蹴散らし、王になった。
　そして、苦渋の思いで人間界への侵攻を決意した。
　長い間、こいつはずっと自己を犠牲にし、魔界を守る装置として生きてきたのである。
（……ああ、そうか）
　エキドナを好意的に感じる理由が、今ここにきてようやくわかった。
　こいつは、勇者だった頃の俺と、まったく同じなのだ。
　大切なものを守る為なら、自分自身を容赦なく犠牲にできる奴なのだ。
「とにかく、そういう事だ。多くの支配者に欠けている、自己犠牲の精神――それをごく自然に発揮しているお前が、王に向いてないわけがない。ずうっと、そう思っていた」
「……そっか」
　――それはあんたも同じじゃない。
　そう言いたげな視線が投げかけられたが、エキドナはそれ以上追求しなかった。ただ、満足そうに深く頷いたのみだ。
「納得できたか？」
「うん。納得した」
　ひどくそっけないやり取りだったが、エキドナの言葉からは深い満足が感じられた。
　――さく、さく。
　足取りもどこか軽く、王都への道のりを再び歩きはじめる。
　心残りはない。
　これで、普段の日常に戻れる。
「レオ」
「ん？」
「――ありがと」
　さく、さく。
　さく、さく。
　並んで森を歩く俺たちの遥か向こうに、うっすらと王都の姿が見えてくる。

　――その日の朝。
　二週間ほど城を開けていた魔王エキドナは、代理を務めていた副王イリスと再び交代し――。
　いったい何があったのか。ずいぶんと満ち足りた顔で、自信満々に職務に励んだのだった。

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最終章：魔王軍vs水龍バルバス

1. 
　あれから数日後。
　何百年も静けさを保ってきたアミア湖のほとりは、ひどく騒がしかった。
「やあヴァルゴ、久しぶり。はははは、これはまた、たいそう可愛い姿になったね」
『アクエリアス……！　なんでテメーが生きてんだよッ！　おいやめろ触んな、近寄るな！』
「またまた、敬愛する姉が生きていて嬉しい癖に。おおよしよし、いい子だねえ」
『これっぽっちもテメーを敬愛した覚えはねえ！　おいカナン助けろ！』
「――ああ、美しい人。そうか、君があの呪術師カナンだったのか」
　そっ……。
　今の今までぬいぐるみヴァルゴを弄くり回していたアクエリアスが、まるで瞬間移動でもしたかのようにカナンに寄り添い、彼女の手を取った。
「ひえっ！？」
「西のザレム村出身の才媛。無数の呪術を修め、その高い実力をもって中央アカデミアを主席で卒業し、魔将軍シュティーナに弟子入りした、若きサキュバス――まさかこれほどまでに美しいとは思っていなかった」
　《霧幻歩《ミラージュステップ》》という呪文だ。光を乱反射する特殊な氷片を空中にばらまき、一時的に自分の動きを読みにくくする術。逃走時や回避時はもちろん、ああして距離を詰めるのにも威力を発揮する、氷の高等術。
　……高等術をナンパに使うなよ……。それも、カナン相手……。
「私はアクエリアス。レオやヴァルゴと同じ、誇り高きDHシリーズの一人。出身は英国だ」
「い、イギ……？」
「私が大金持ちで、普段は丘の上のお屋敷に住んでるって話はしたかな？　たった一人で住んでいるんだ。お屋敷はちょっと寒いんだけど、もし君が一緒に住んでくれるなら、暖房器具は次のゴミの日に全部捨ててしまってもいいとすら思えるよ」
「ひっ！　ゔぁっ、ヴァルゴ――ヴァルゴ、何こいつ！　助けて！」
『諦めろ。そいつに捕まったら、もう無理だ』
　意味不明な口説き文句を囁きながら、もう片方の手をカナンの腰に回すアクエリアス。ヴァルゴは既に我関せずを決め込んでおり、カナンは困惑しっぱなしだ。
　ヴァルゴもカナンも、その気性の荒さ・その扱いづらさは俺の手に余る程だが、どうやら思わぬ天敵がいたらしい。今度あいつらが問題を起こしたらアクエリアスに頼るとしよう。
「何をやっているのだあいつらは……。レオ。あのアクエリアスという女、本当に大丈夫なのだろうな？」
　俺の隣に立つエキドナが、呆れ顔で呟いた。
「ヴァルゴと同じお前の兄妹という事だし、なにより、ウンディーネ攻略のキーパーソンになるというから、いちおうは信用しているが……」
　そこで言葉を区切り、もう一度視線を向こうへやるエキドナ。ヴァルゴもカナンも、もはや諦めの境地と言った顔を浮かべており、アクエリアスに弄られ続けている。
「……本当に大丈夫なのだろうな？」
「見逃してやってくれ。あいつにとって、ウンディーネは魔界で出来たはじめての友人だったんだ」
　俺はしゃがみこみ、儀式用の小さな魔法陣に魔力を注ぎ込みながら笑った。
「あいつは表向きこそいい加減で軽薄な性格を取っているが、本当は違う。あいつは、家族や友人を誰よりも大事にし、そいつらが困っていれば全力で助けに行く奴だ。だからこそ、数百年もの間――兵器利用され、汚染されてしまったウンディーネをずっと守ってこられたんだ」

「それでも、精霊を湖に封じ続けるのは限界がある。もうこうなったら、友人を倒すしかないかもしれない……そんな時に現れたのが俺たちだったんだ、多少浮かれるのは仕方がないさ」
「ふん。勇者レオともあろうものが、ヤツにはずいぶんと甘いではないか」
　エキドナが不満そうに唇を尖らせ、
「なぜヤツだけ特別扱いをする。理不尽だ！　宿題だのなんだの、我には何かにつけて意地悪をしてきたというのに！」
「別に意地悪はしてないだろ……。なんだよ？　ヤキモチやいてるのかお前？」
「やっ！」
　顔を真赤にしたエキドナが、ゲシゲシと俺を蹴りつけてくる。
「焼いてない！　焼くわけないでしょ！」
「いってえ！　やめろ、術が乱れる！」
「――おーいレオ、エキドナ様。大丈夫かい？　私も手伝った方がいいかな？」
「貴様は来なくて良い！　そこのオモチャと遊んでおれ！」
　誰がオモチャだ、というヴァルゴの反論が聞こえた。それもすぐにアクエリアスの笑い声にかき消され、聞こえなくなる。
　――アミア湖畔。ウンディーネの伝承が眠る場所。
　湖の奥深くに、過去の魔王によって闇に染まったウンディーネが眠る場所。
　俺たちが今居るのは、そんなアミア湖のほとりに築かれた祭壇近くだった。
　祭壇をぐるりと囲むように描かれた巨大な複合魔法陣と、それを制御する無数の小魔法陣。古代《西暦》の人間が見れば、有名なナスカの地上絵か、あるいは精密機械の内部構造を連想するかもしれない。
　基盤となる複合魔法陣がマザーボード。様々な処理を行う祭壇はCPU。それらを補助する小魔法陣は、メモリやOS《オペレーティングシステム》といったところだろう。
　これらすべてを合体させ、一つの巨大な召喚装置として運用することで、降霊儀式は実現する。本来なら物質界に降りてこられない大精霊――大精霊ウンディーネを、この世界へ降ろす事が可能になるのだ。
　いまこの場に居るのは全部で十人。
　儀式のキーパーソンとなるクロケルと、それを守るヴァルゴ、アクエリアス。
　戦闘を担当するのは俺とエキドナ、そしてシュティーナ以外の四天王たち。
　シュティーナとカナンは『送還』担当――大精霊を送り返す係だ。
「こんなもんだな。どうだエキドナ？」
「うむ！　下準備はこれで十分だろう」
　最後に施した術式を見、エキドナがうんうんと満足げに頷いた。
「では、いよいよ本番だ。我らもクロケルのもとへ行き、降霊儀式に移るとしよう」
「オッケー。大精霊とのご対面だ、ビビるなよ」
「ふん、誰に向かって口を利いている。我は――」
「そうだな。魔界を統べる王、爆炎の女帝、魔王エキドナ様だもんな。安心、安心」
「人の台詞を勝手に取るな！」

【説明台詞っぽいので、省けるなら省きたい】

「にいちゃーん！　エキドナちゃーん！
　難しい話が終わったのを見、リリが遠くからすっとんできた。後ろから俺の腰に抱きつく。
「ウンディネ？　を降ろすんだよね！　上の方にいるおっきいウンディネと、あたしたちの世界にいるちっちゃいウンディネがいて、おっきいほう」
「お、おお……！？　リリのくせによく勉強してるな」
「シュティーナに教えてもらったから！　あと、アクエリちゃんにも！」
　ふふん、とリリが得意げに鼻を鳴らした。

【ここまで】【リリの描写は入れたい】

　リリにはもう一度、儀式の手順を説明しておいたほうが良いかもしれないな……と思った。
　別にリリを信用していないわけではない。昨晩開いたブリーフィングで、他メンバーに対しては詳細な手順を説明していたが、早寝遅起きのリリだけはそのブリーフィングに参加していなかったのだ。
　儀式の直前ということで、丁度いいタイミングではある。こういう大規模かつ前例のない儀式の場合、手順の見直しは多ければ多いほどいい。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。手順の最終確認をする。クロケルも、準備しながらでいいから、話だけは聞いててくれ」
「はーい」
　全員が祭壇の上に集まり、三々五々に腰を降ろした。クロケルだけはやや離れたところで儀式の準備に忙しくしており、こちらには来ない。先ほどから一生懸命、《《特殊な木箱のようなもの》》を弄っている。

【ここらへんの説明も、もう少しシンプルにしたい】
【むしろ、これらの流れはここまでで説明しきってしまいたい】
【今回は完全な"おさらい"だけにできるといいのですが……】

「いいかリリ、儀式の流れのおさらいだ。今回の儀式は、大精霊――お前の言う、"おっきいウンディーネ"をこの魔界へ降ろすのが目的となる。クロケルの家に語り継がれてきた伝承をもとに、大精霊ウンディーネをこの地へ喚ぶんだ」
「おっきいのが引っ越してくるの？」
「おっきい精霊でちっちゃい精霊を上書きしたいんだ」
　儀式の流れはこうだ。まず、クロケルが主体となって大精霊ウンディーネをこの湖に降ろし、魔素によって汚染されてしまった分霊ウンディーネを大精霊で上書きする。そののち、魔王クロケルの伝承と同じように、大精霊ウンディーネと俺たちが戦う。
　ギリギリまで大精霊を弱らせたところで、送還担当――シュティーナとカナンが大精霊『だけ』を精神界へ送り返す事により――。
　このアミア湖に残るのは、初期化された小精霊ウンディーネだけ。
　水の汚染も一挙解決。魔界に綺麗な水が戻ってくる、というわけだ。
「上書きするのは、別にいいんだけどさ」
　黙ってリンゴを齧っていたメルネスが静かに呟いた。
　その顔はまさに半信半疑といった感じで、儀式への不信感がありありと浮かんでいる。
「降霊儀式ってホントに《《これ》》でいいの？　正直、未だに信じられないんだけど」
「うむ……俺も正直、メルネスと同じ気持ちだ」
　これはエドヴァルトだ。こちらもメルネスほどではないが、困惑の表情だった。
「レオ殿が考えたのだ。よもや間違っているとは思わんが――思わんが、本当にこんなことで大精霊を喚び出せるものなのか？　これでは、リリをエサで釣るのと次元が変わらん」
「ねえねえシュティーナ。あたし、ほめられてる？」
「どちらかというと、バカにされてますね」
「なにいー！」
「大丈夫大丈夫。昨晩も言ったろ？　精霊や神霊ってのは、人々の信仰によって物質界に現れ、その存在を確立するんだ。つまり彼らの存在強度は、俺たちの精神面……ありきたりな表現をすれば『想いの強さ』に大きく依存しているということになる」
　じたばたするリリの首根っこを掴んで動きを封じつつ、みんなに説明する。
　まあ、みんなが信じられないのも無理はない。魔女ルテレシアと戦った経験がなければ、俺だって半信半疑だったろう。
「極端な話、俺たちが『いる』と思えば居るし、『いない』と思えば消えてしまう。それほどに構造が異なる存在なのさ。彼らはな」
「だから、このやり方で俺らの信仰を――つまり、『大精霊は本当に居る』という想いを増幅させるというわけか」
「そういうこと」
　エドヴァルトが視線を送った先。
　そこには、左右と上部に扉のついた、小さな箱のようなものがあった。
　大きさはヨコ60cm、タテはそれより少し短い長方形。それが木製の台の上に乗っかっている。
　扉を開けると、中には無数の紙が入っているのがわかるだろう。クロケルが先ほどから喋らないのは、中に入れる紙を一枚一枚チェックしているからだ。真剣な表情であった。
　紙にはそれぞれイラストが描かれていて、箱の後ろに立った者が、一枚一枚順番に紙をめくれるようになっている。
「紙芝居ってやつだろ、これ。ふざけてるのか」
　メルネスの呆れは、しごく尤もな話であった。

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